大事な妹が女好きな皇子の教育係に任命されたので、俺が行って躾てやろうと思います。

エノコモモ

大事な妹が女好きな皇子の教育係に任命されたので、俺が行って躾てやろうと思います。


国と国に挟まれた国境付近。険しい山岳地帯に、どの国にも属さない民族が住んでいる。名をソリス。


ソリスの民は別名を『月の一族』とも呼ばれる。由来は人間であって人間ではないようなその見た目にある。髪や睫毛、そして肌に至るまで白。唯一、瞳だけが青みがかった月のように輝く。


世界的に見ても珍しい姿。それに目を付けたのが、サルディネロ帝国第一皇子のアキレスだった。この男が若く精悍、そんでもって超が付くほどの女好き。


一風変わったソリスの女性の容姿は、当然のように好色な奴の興味を引いた。しかしながら、彼女達が住むのはサルディネロの外、国境の先の少数民族。そう簡単に出会えはしない。かと言ってまだまだ遊びたい盛りの奴にとって、正式に妃に迎えるのは都合が悪い。それでも、どうにかして関係を持ちたい奴が取った手段がこれだ。


『ソリスが長サンダリオ。その娘第一息女ララ・ソリス。貴殿をサルディネロ帝国第一皇子アキレス・サルディネロの“教育係”として迎え入れたくここに勅命を記す』


派手でゴテゴテした書簡には、次期帝王になる身として異文化を学ぶ必要がとか、これはこちらからの友好の証であるとか取り繕ったような文言が並んでいた気がするが、怒りに震える俺が燃やしたのでもう残っていない。奴が面白半分で手を出そうとしたソリスの姫。ララ・ソリス。彼女は俺の双子の妹だった。


俺達の民族文化を女遊びのダシにされ、そして何より嫁入り前の大切な妹に興味本位で手を付けようとしたのだ。それだけでも万死に値すると言っていいだろう。そんな奴に大人しく妹を差し出すほど俺は馬鹿じゃない。


が、さすがに大国の皇子の意向を無下にもできない。と言うわけで俺が取った行動はただひとつ。


『そんなに教育係が欲しいなら、俺がララとして行って奴を躾てやるよ!』


と言うわけで俺は、止める妹を振り払って故郷を後にした。妹可愛さに自棄にはなったわけじゃない。ごまかしきれる勝算はあった。『月の一族』の稀有な容姿は男女問わず遺伝する。俺と妹は双子なだけあってよく似ているし、そもそも連中が異人の俺達の違いを認識できるとは思えない。だから作戦は成功する確率が高いと踏んだのだ。


懸念は一つだけ。幸か不幸か、俺は男だった。さすがに男のままでは潜入できない。と言うわけで俺は村に古くから伝わる謎の薬の力を借りて一時的に女になった。男から女になったと言うのに見た目があまり変わらなかった時には不思議な気持ちになったものだが、とにかく俺は妹になりきることに成功した訳だ。


「噂に違わぬ美しい姫君だ」


件の皇子と初めて相対した時。下心を隠しもせず、開口一番奴は口説いてきた。


アキレス・サルディネロ。浅黒い肌に赤く輝く瞳。艶々とした黒髪が、彫りの深い目鼻立ちを際立たせる。小柄な俺が見上げるほどの高い背丈、露出の高い服からは鍛え上げられた筋肉が見える。そんな色男は形の良い唇を開けた。


「君に教わるのも良いが、ぜひ余が教えてあげたい」


俺が上から下まで着こんだソリスの正式衣装を邪魔臭そうに払い、俺の手を取る。キスを落とし微笑んだ。


「他ならぬ余のことを」


美しい笑みだ。声色やタイミングひとつ取っても完璧。まるで人を魅了する為に生まれてきたと言っても過言ではないだろう。


が、幾人もの女性を落とした笑顔や薄っぺらい口説き文句も俺には一切通用しない。俺は舌打ちと同時にその手をはたき落とす。


「次触ったらお前の指をぶち折るからな」


この時の俺は人生でいちばん冷たい目をしていたと思う。そして女性からこのような扱いを受けるのは初めてだったのだろう。アキレスは面食らっていた。


それでも、奴の心は折れなかった。なんとかして鉄壁の姫君をものにしようと、偶然を装い殆どすっぽんぽんで現れ自慢の肉体を見せつけてきたり、俺の目の前で他の女とイチャついてみたり、俺のピンチを助けようとして失敗したり、よくもまあ思い付くなと感心してしまうほど多彩な手段を取ってきた。


そして俺と言えばそれら全てのアピールを鼻で笑い奴の自尊心を全力で踏み潰して対処してきたわけだ。


「最近はすっかり大人しくなって良い気味だ」


アキレスとの出会いから半年後。広い宮殿の一角、「副団長執務室」と彫られた金のプレートが掲げられた部屋に俺はいた。


「感謝するぞ、“ララ”」


張りのある美しい声と共に、女性が現れる。日除けのマントにこの国の騎士の装束。彼女が歩く度に鎧が音を立てる。


「まさか弟のあんな姿を拝めるとは思ってもみなかった」


カサンドラ・サルディネロ。サルディネロの王都を守護する副騎士団長だ。そしてアキレスの実姉であると同時に、俺の協力者でもある。


「王となるには弟の鼻っ柱は伸びすぎた。少しは反省すると良いんだが」


そう言いながら、カサンドラは体の殆どを覆っていたマントを脱いだ。中から豊かな谷間とそれを挟む鎧が出てきて、慌てて視線を逸らす。弟といい姉といい、砂漠の熱さのせいか、この国の人間は無駄に露出度が高い。そちらをあまり見ないようにしながら、俺は口を開く。


「いよいよ仕上げだ」

「まだ何かあるのか?」


カサンドラの言葉に頷く。俺は次にして最後の計画を口にした。


「アキレスに言ってやるんだよ。お前が今まで必死に落とそうとしてきた相手は男だったんだってな」


ここへ来てこの衝撃的な事実。アキレスの心は完全に折れるだろう。そこで俺の復讐は終わりを告げる。


「そうなったら教育係の俺はいよいよお払い箱。相談もせず飛び出してきちまって、妹も怒ってるからな。都会の土産でも買って故郷に帰るよ」


全ては俺の個人的な復讐だ。カサンドラには悪いが奴の改心など期待しちゃいないし、俺はアキレスをぎゃふんと言わせられれば十分なのである。あとは故郷に戻って平穏平和に過ごせれば俺はそれで良い。


しかしそう話した瞬間、カサンドラの表情は曇った。


「そう上手くいくかは…」

「?なんだよ。大丈夫だって」


彼女が心配しているのは、俺が本当の性別を暴露するのくだりだろう。俺が男だと分かれば、当然アキレスはキレる。そして次期王の命を謀り国家を騙したと分かれば、大事件に発展するに違いない。


しかし俺には自信がある。自分で言うのもなんだが、俺はソリスの“姫君”として相当うまく立ち回った。


「これに関してはアキレスの教育係って立場を利用させてもらったぜ。サルディネロの社交界やお偉いさんとのコネクションはバッチリ。この国にとってのソリスの価値は半年前と比べて段違いに上がってる」


故郷での俺の本職は外交官だ。対外交渉は専門分野。弱小民族の渉外だと侮るなかれ。大国に取り込まれることなく文化も見た目もそのままに生き残っている民族なのだ。先祖代々繋いできた生存戦略はだてじゃない。


ついでに言えば、アキレスの女癖の悪さに呆れていた側近も多く、俺の態度に溜飲が下がった者も少なくなかった。そういった者達から取り込んで、有事の際は俺の味方になってくれるよう働きかけも万端。俺とアキレスの力関係は既に逆転している。


つまるところ、アキレス1人だけが逆上しようが俺達兄妹とその民には手を出せないのだ。


「いや、そういうことではないのだが…」

「……?」


しかしカサンドラの顔は晴れない。詳細を聞こうとしている内に彼女は呼ばれ、その続きは聞けなかった。





「なんだったんだ…?」


夜。俺は宮殿の廊下にいた。カサンドラの真意は気になるが、今の俺がやるべきことは決まっている。


「アキレス」


俺の声に、カーテンの向こうから大きな影が姿を現した。


「ら、ララ」


アキレスだ。ここは奴の自室であり、今から俺がしようとしていることはただひとつ。復讐だ。


「……?」


(なんだ、今日は女の子いないのか)


ふと気づく。アキレスの背後に見えるのは、空っぽの寝室。常に女性を侍らせているようなクソ野郎にしては珍しいこともあるものだ。


腹が立つことに、アキレスが囲う女性は美人で魅惑的。その上、漏れなく全員露出が高い。だから実際に目の前に居られるとちょっとドキドキして復讐に集中できなくなってしまうのでまあ良い。


「ララが余の部屋を訪ねるなんて珍しいな」


アキレスの声は少し緊張を孕んでいる。


「お前に言いたいことがあるんだ」


そんな奴に向かって、俺は静かに宣言する。アキレスが不思議そうにこちらを見た。沈黙を十分に溜めた後で、俺は言い放つ。


「俺は男なんだよ!」


衝撃的な告白が、廊下に響き渡る。状況を理解しきれてないのか、きょとんとするアキレスに向かって、俺は続けて捲し立てた。


「ララのふりをしてお前の教育係なんてクソみたいな仕事をしていたのも、この宮殿に留まっていたのも…全てはお前に一泡ふかせる為だ!」

「っ…!?何…?」


そこで初めて、アキレスは愕然と声を発した。その顔は俺が見たかった表情そのもの。彼はそのまま、茫然自失といった様子で口を開いた。


「ずっと、この為に…?」

「ああ!」


絶望している奴を前に、俺は得意気に胸を張る。アキレスは何事か言わんと何度か口を動かした後、静かに口を閉じた。


「そうか…」


小さくそれだけ言って、俺に背を向ける。アキレスはそのまま、カーテンの向こう側へ消えていった。


「…ん?」


廊下に残された俺と言えば、頭の上にハテナを散らしながら首を捻る。


アキレスの反応は、予想と少し違っていた。眉根が下がりしょんぼりとした表情。無駄にデカイ筈なのに、妙に小さく見える背中。男と知られた瞬間激昂し怒られるものだと思って構えていたのに、あの態度である。肩透かしを食らった気分だ。


(あまりに冷たくしすぎて、俺に興味がなくなったか?)


「うーん…」


少し物足りない気持ちにはなりながらも、俺は小躍りしながら自室へ帰る。机の上で出番を待つ酒瓶を手に取った。


(まあ、明日にはクビだろうし良いか)


これは祝杯用にと保管しておいたとっておき。これの為に頑張ってきたと言っても過言ではないのだ。思わず緩む頬を抑えながら、俺はボトルの栓を抜いた。






「昨夜は衝撃的な事実が明らかになってしまったのだ…」


サルディネロ帝国第一皇子アキレス・サルディネロ。生まれた瞬間から大陸随一の覇権を手にしていた男は現在、落ち込んでいた。


「…弟よ。前から言っているが、何故私に相談するのか」


そして彼の目の前にいたのは、姉であるカサンドラであった。早朝から弟に叩き起こされた為に、少々機嫌が悪い。


「他の女性にララのことを相談したら怒られたからな」

「……」


アキレスは心底不思議そうに言っているが、どうせ相手は関係を持っていた女性だろう。女性が怒った理由は火を見るより明らかである。


しかし今、アキレスはそれどころではなかった。彼の顔が翳る。普段堂々と口説き文句を吐く口で、ぽつぽつ話し始めた。


「初めは興味本意だった…。ソリスの民は非常に珍しい見目をしていると偶然耳に挟んでな。その姫君と…是非親しくなりたいと思った」


たとえどんな馬鹿馬鹿しい理由であっても、彼が望めば叶ってしまうところが権力の恐ろしさを表している。しかしアキレスに罪悪感はなかった。理由は2つ。1つは生まれる前から王になることが決まっていた彼にとっては、自分の希望を叶えるために周囲が動くのは至極当然の理だから。そして2つ目は。


「余は太陽なのだと母は言った。微笑むだけで皆の心を照らす太陽だと。だから…一時的にでも余に愛されることは幸せなのだと信じて疑って来なかった」

「……」


嫌な弟を持ってしまったものだとカサンドラは思う。しかし事実として、アキレスの母譲りの美貌にやんごとない地位は、彼の自尊心を天上にまで引き上げた。


「しかしララはまったく余に靡かないどころか、汚物でも見るような目で余のことを見てくる…」


太陽を相手に、“ララ”は冷たかった。それはもう砂漠の暑さなど吹き飛ばし、一瞬でこちらが凍ってしまうような温度だった。アキレスの口説き文句を一蹴し、彼の笑顔に心からの真顔で返した。裸でアプローチをした際などは開口一番「うわっ最悪」と呟き顔を歪めて不快感を露にしていた。


そんなララの所業を思い出しながら、アキレスは拳を握る。


「それどころか…それどころかだ!ララは自分の立場を利用してソリスの政治的価値を上げることに夢中だ!遊ぶつもりで呼んだのに、逆に遊ばれているようなこの感覚!」


アキレスの口からは悔しい思いが吐露される。そしてふと真剣な顔になり、我に返ったように口を開いた。


「余は気づいた」


そう。アキレスはあまりにも冷たくされ過ぎた。天まで伸びた自尊心は根本から折られ、傷痕1つ無かった心はバキバキに破壊された。そして何もなくなった彼の心に宿ったのは、“ララ”に対する憎しみでも苛立ちでも、まして悲しみでもない。


「これが、恋…!」


アキレスの心に芽生えたのは、甘酸っぱく幸せで、そして少し歪んだ初恋であった。


全くありがたくないことに、ララことその兄は、女好きな皇子の心をいたく掴んでしまったのだ。


「日夜ソリスの為に懸命に頑張るララを見て、皆の上に立つ長とはこうあるべきだと感銘を得た。だから余はこれまで遊んでいた女性達とも全員手を切って、善い王になれるよう国のことを学び直しているんだ!全てはララにふさわしい男になれるよう、そしてララに真剣な交際を申し込む為にだ!」


そして本来、目的ではなかったアキレスの改心に成功してしまっていた。


「それでも…余に冷たく当たりながらも、ララは王宮から出て行くことも、教育係から降りることもなかったから、余のことを多少なりとも気に入ってくれているんだと思っていた…」


そこで言葉を切った。アキレスの端正な顔が歪む。声量を落とし、彼は小さく呟いた。


「だからこそ、昨夜の告白は衝撃的だったのだ…」


彼は語る。アキレスの甘い期待を粉微塵にし、一夜にして彼の望みを断った衝撃的な一言を。


「まさかララが余のことを、全く好きじゃなかったなんて…!」


全ては復讐の為だった――それこそがアキレス史上最大の衝撃にして彼を絶望のどん底へと追いやった事実であった。


「…弟よ。そこか?」


カサンドラが口を開いた。彼女は“ララ”の戦略もその進行状況も全てを知っている。だから、不思議に思いながら先を続ける。


「ララからお前に、他にもっと衝撃的な告白はなかったか?」


当然だ。カサンドラは昨日、“ララ”から本当の性別を暴露すると聞いているのだ。そこに触れない弟に違和感を抱くのは当たり前である。


「?何の話だ姉上」


しかしアキレスは首を傾げている。彼が“ララ”の一世一代の暴露を全く聞いていなかったのかとか、本当の性別を既に知っていたのかと疑いたくなるが、そうではない。


「俺はもうに夢中なのに…今さら好きじゃないなんて、そんなことを言われても、困る…!」


美少女にさんざん冷たくされ自尊心を折られ、そして一から躾られた彼にとって、もはや性別など些末な問題であった。


そしてアキレスは口にする。生まれて初めて抱き、どうしても叶えたい疑問を。


「一体どうしたら、彼に好きになってもらえるんだ…!?」


さて。


今まで空っぽだったアキレスの本棚には帝王学や経済の書物が並び始める。それに混じって『男を落とす方法』や『カレに特別扱いしてもらうには』といった題名の異質な本が並ぶ戦慄の展開が待ち受けている訳だが、現在二日酔いでベッドの上から一ミリも動けなくなっている俺は、知る由もなかった。

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