第2話 雨天の邂逅


 いつの間に来たのか、羅城門の大柱を挟んで、孝之と共に一人の旅装の遊女が雨宿りをしていた。

 市女笠いちめかさを被り、その縁から垂れ下がる薄絹の所為で顔は分からぬが、どうやら若草色のうちきに抹茶色のひとえを着込んだ妙齢の女性であることだけは分かった。

 その遊女は柱越しに、孝之に如何にも気安い態度で話しかけると、足音も立てずに孝之の傍に来た。

 そんな遊女に、孝之もわずかに沈黙して、苦笑した。


「……まあ、些か困った出来事に巻き込まれているな。幾分か、誰かに俺の不幸を分けてやりたいほどには困った出来事だ」


「そうかい。そりゃあ、大変だったねい。どうだい?私にちょいと、その話をしてみないかい?少しはあんたの力になれるかもしれないよう?」


 遊女はそう言うと、孝之の前で今まで被っていた市女笠を脱いだ。

 流石に遊女をやるだけあって顔の造作は整っており、孝之よりも頭半分ほど低い背丈をした、華奢な体格の女だった。

 白い肌に艶々とした輝きの黒髪がよく映えた、その如何にも凛々しい美しさは、いっそ空恐ろしいほどに魅力的だった。

 だが、孝之を見上げる顔は、あどけなささえ感じさせるにこやか笑みを浮かべており、理知的な美貌とその表情との差には、魔性さえも感じさせる魅力があった。

 そんな遊女の様子に、思わず孝之は声を上げて笑った。


「そうかい、そりゃあ心強いな。だが、それには及ばない。俺はお前を殺すからな」


 言うや否や、孝之は抜き手も見せぬ早業で腰元の太刀を抜き放ち、遊女の鼻先に向けてその太刀の切っ先を突きつけていた。


「無駄に長話をする気はない。お前さん何者だ?」


「それを知ったところで、どうするつもりだい?殺すってんなら、知るも知らぬも同じことだろう?」


「いいや。知ってた方がいいさ。その方が念仏を上げる時に、困らねえからな」


 刀を突きつけられても眉根一つ動かすことなく笑顔を浮かべる遊女に、孝之はそう啖呵を切ると、そのまま刀を一閃させて遊女の首を刎ねた。


 はずだった。


 遊女の首を狙いすまして切り裂いた一撃は、その美しい女の生首を地面に転がすはずであった。

 しかし。


「……どういうことだ?コレは」


 孝之は思わずその場を飛び退りながら、手にした刀を構えなおした。


「確かに俺はお前の首を切り落としたはずだぞ?刀に手ごたえもあった。人間なら、生きてはいられねえはずだ?」


 孝之が振るった刀には、確かに人の命を奪う手ごたえがあった。

 肉を割き、骨を断ち、血肉が刃に伝わる確かな気配。

 これでも検非違使として、多くの野盗、野武士の類を斬り殺してきた孝之にとって、疑いようもない確かな死の感覚。


 しかし。


 目の前の女は、その落としたはずの首を胴体につけたまま、只静かに微笑みながら孝之を見つめていた。

 孝之が斬りつけたはずの肌には、傷一つ、血の後一つせず、つい寸刻ほどと変わらぬ様子の遊女は、孝之に向かって皮肉を飛ばした。


「なんとまあ、女を傷物にしておきながら、酷い言い草をしなさるじゃないかねい?少しばかりお前さんに力を貸してやろうと言うのだ。そうそう酷い態度をとるもんじゃないよ」


 そう言う遊女の言葉を孝之は鼻で笑い飛ばしながら、刀を握り締める手に力を込めた。


「女だあ?俺は、これでもいっぱしの剣士として名が売れててね。そんな俺を相手に気配もなしに近づく奴が、初心な生娘気取ってんじゃねえや。と言っても様子を見るに、人間どころかバケモノの類の様だがな」


「いうに事欠いて、バケモノとはまあ、本当に礼儀作法のなってない男だねえ。だが、それなら猶更あんたに都合がいいんじゃないかねい?」


「ああ?どういう意味だ?」


「頼る人もなく、逃げ隠れする当てもないんだろう。ならバケモノに頼るくらいがちょうどいいんじゃないかと思ってねい?それとも何かい?目の前のバケモノより、神頼みでもして凌ぐのかい?」


 怪しい遊女の言葉に、孝之はしばしの間刀を構えて考え込んでいたが、やがて鋭く舌打ちをして刀を鞘に納めた。


「……まあいいさ。斬って斬れねえバケモノ相手に、無理を押しても意味はねえ。確かに今は藁にもすがりたい状況だ。お前が俺を助けてくれるって言うなら、助けてもらうさ」


「そうかい。それならアンタが今一体何に巻き込まれているのか、教えてくれるかい?」


 そう訊いてくる遊女に、孝之はああ。と返すと、やがてぽつぽつと自分の身に起こったことを語り始めた。







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