ソード・ヒストリア・ファースト・エイジ~ソードダンスは止まらない。~

嶺上 三元

最初の剣豪

序文 羅刹の孝之


 葦和の国あしなわのくにには、数限りない剣豪、剣聖の逸話が残っている。

 しかし、その多くが百年続いた乱世である戦乱の世の者たちであり、それ以外の時代の剣士について言及されることは少ない。

 ひも解いてみると、数多くの剣豪たちが開いた剣術の諸流派は、最終的に三つの流派に行きつくと言われている。

 すなわち、


 空流くうりゅう


 恩流おんりゅう


 虚無流こむりゅう

 

 以上の三流派である。

 それぞれの剣術のルーツをたどると、面白いことに、全て武芸とは真逆のものに行きつく。

 すなわち、歌舞謡曲や、書画彫刻の類である。

 さらに面白いもので、葦和の国の剣術と言うものは、そこから更に槍術や棒術と言った武器を使った各種の武術に発展し、更には柔術や拳法と言った無手の武術にも進化を遂げた。

 そこから更に、武芸全般のその動きや発声方法などが、歌舞伎や浄瑠璃にも取り入れられるようになったという。

 つまりは、一周回って同じ文化に溶け込んだというわけだ。

 話がずれた。要は、葦和の国の武術は剣術であり、その剣術は三つの流派から派生したという事である。

 では、それぞれの剣術の始祖は、どこから着想を得て、どうやって剣術を起こしたのだろう。


 空流の開祖、愛洲あいす 忠真ただざねは、一幅の掛け軸に描かれた絵から、剣の神髄を得たという。


 恩流の開祖、奈無阿弥なむあみ 慈空じくうは、修行中の寺で聞いた音楽から、剣の極意を見出したという。


 虚無流には開祖などなく、京都を中心に葦和で自然発生した諸流派の総称だが、その礎になったのはとある雅楽の舞だという。


 そして面白いことに、それぞれの剣術の開闢にまつわる芸術には、必ず一人の男が関わっている。


 忠真が見た掛け軸の絵を描いたのも。

 慈空が寺で聞いた音楽を作ったのも。 

 虚無流の起源になった雅楽の舞を考案したのも。


 その一人の男が作った芸術作品であり、その男自身も、その時代から卓越した剣技の使い手として、大変に名を馳せた男だった。


 つまりは、その男こそが、葦和の国の最初の剣豪と言うわけだ。


 男の名は、羅刹らせつ孝之たかゆき


 洛中の剣鬼と謳われ、後の葦和の武を築いた男である。












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