極道絶走遊戯 しろぐみのダンス!

矢野満塁

実話ブレィメン第128号 「創刊十周年特別連載」初稿

【被害者七万人の"極道暴走"、七万字の証言・その一<仮題> 実話ブレィメン編集長 船居文光稿】


 去る一月一日、元旦の朝十時。

 私は滋賀県の満原会所有のマンションに入った。

 前日入りしたホテルから案内役の組員らに送迎され、玄関口では機械も用いた入念なボディチェックを受けた。信じがたい事だが、私を送迎した一人は過去に当誌で取り上げた事もある幹部クラスの人物だった。

「お仕事に必要な機器類や食事もいつでも用意させていただきます」

 数度同じ事を言われた。プレッシャーだった。


 サンシェードで目隠しされた廊下を進み部屋に通される。壁を抜いて二部屋を繋げた大部屋だった。室内では二十人近い組員らが"本番の調整"で忙しくしていて、私は自分の居場所を探して周囲を見渡した。

「船居編集長」

 あの落ち着いていて通る声――読者諸氏ならネット動画で聞いた事もあるだろう――が私を呼んだ。依頼人である垂野勝士氏だった。

 十八歳という若さで満原会の跡目を継ぐ立場となり、しかし三十一歳までを下積みに費やし、七十三歳になる今も日本最大の暴力団の舵を握る伝説的"総帥"は、先んじて私に立礼してみせた。

「満原会五代目を任されている垂野と申します。船居さん、どうぞ今日からよろしく」

 世界中で報道される事になる【暴力団レース】の発頭人は、常に丁重に私をもてなした。


 私も滞在したこの大部屋について触れておく必要がある。

 入り口から見て正面にオットマン付きの高級ソファが十数個並べてあり、全てが左手の壁を向いている。

 そしてその左手の壁のほぼ全面を、音楽ライブ等で見られる巨大なLEDビジョン(以下LEDV)が占拠していた。両脇にはPCや音響設備とそれらを扱うジャージ姿の組員達。天井にも音響機能付きの大型照明があった。

 重要な場所がもう一つ。巨大LEDVの向かい側、大部屋の右手最奥にあたる場所に、土台を作って三段ほど高くした『実況解説席』が作られていた。背にあたる壁には満原会をはじめとした十三の代紋――始めは緊張で数えられなかった――が飾られていた。

 直感的に表現するなら、大部屋がまるごとイベント会場のようだった。[※写真1]


 『実況解説席』にはわざわざ自分の名前のプレートが置かれていた。

 複数のモニターやマイクなどの放送機器があり、それどころか丁寧にもタブレットPC二機をはじめボイスレコーダーにデジカメ、高級チェア、地図帳、足下用ヒーターまで自分のための席が用意してあった。

「あの、自分が喋るんですか?」

「ぜひ。もちろん書き物に録画・録音、出来る限り自由にやってもらえます」

 呆気に取られる。私には何かを実況した経験などないし、あらかじめ聞いた話――端的に特殊な長期取材という話だった――とも違っていた。

 ――そもそも、これから何を見せられるのかさえ知らなかったのだ。

 ところがそこへもう一人、思いもよらぬ"実況担当"が姿を見せた。これが坪内洋二郞アナウンサーとの出会いだった。

 『坪内洋二郞』といえば、不適切発言や行き過ぎた奇行で干される五年前まで「ニッポンパワーゲーム・脚光サッカー(ペンテレビ系)」や「TVつるぽす(VQT系)」など人気番組を担当し、各種国際試合の実況もこなした正真正銘のプロアナウンサーだ。

 そんな坪内アナがトイレから出てきた時、私も彼も互いの姿を二度見した。彼にとっての私はやけにカジュアルな眼鏡をかけたホワイトカラーとでも感じただろうし、逆に私にとっての彼の様子はテレビで見た姿とあまり変わらない印象だった。たしか「アー、(この世界に)詳しい人だよね?」という言葉も投げかけられた。これもテレビの印象のままだった。

 あらかじめ明記するが、彼はテレビ人のわりに暴力団や極道という物に対して理解も繋がりもなかった。私のように交渉を受けた末、彼なりの事情で引き受けたようだった。

 暴力団事情に詳しい実話誌の編集長と、かつての人気スポーツアナ。私は【解説・船居文光】【実況・坪内洋二郞】というペアを組まされる事を知った。


「それじゃあ本題を話しましょう」

 部屋を見終わった私達に、垂野総帥は自ら"イベント"の説明を始めた。驚いたことに図入りの台本――しかも紙とデータの両方――まで渡された。[※写真3]

 表紙に早速『レース概要』の諸項目が見えた。

「"レース"ですか……?」

 思わぬ単語にたじろいだ。一方の坪内氏はそこだけ事前に聞いていたらしい。

「ええ。でもテレビ放送するわけじゃありません」

 "レース"。そして"テレビ"という言葉が出た瞬間、何もかも食い違いだした気配があった。

「ウチに限らない全ての極道、半グレ、暴走族の子達なんかにもひっそりネット配信します。余所のマフィア連中も知るでしょうから、観るのはざっと十万から十五万人くらいと思ってます」

 今ならこれが事実であり「ひっそり」どころではなかったと知っている。しかし当時の私といえば、この三十秒足らずの会話だけで非現実感に溺れかけた。ボイスレコーダーが無ければ会話も聞き逃しかねなかった。


 ――この前後の私、船居文光の姿はあまりに取り乱しており一記者として面目次第もなく、猛省しなければならない。読者諸氏にも読みづらいかと削る事も考えたが、しかしルポであると同時に、記録を任された者として出来るだけありのまま掲載させていただく。


 腑抜けになりかけた私を呼び戻したのは、音と共に点灯したLEDVだった。

「お。二人とも観て下さい。主役の子達ですよ」

 正面のLEDVは画面を左右二分割したレイアウトだったが、それぞれに車列――セダンをはじめバンや4WD等――と組員らが映り込む。特に目を引いたのは組の代紋が大きく塗装された車両だった。今どき挑発的で、無謀さすらあった。

「どの組か見分けはつきますか?」

 試されたのか画質の確認か分からなかったが、門外漢の坪内アナは「映像はばっちり」と作業する組員へ頭上で"マル"を作った。

「車に描いてある代紋だと、左が黒柴興業さん、右が宗像組さんです」

「そうです。じゃあ今度は――」

 総帥が近くのチューナーらしき機械を触ると、今度は一気に上空からの映像へと切り替わった。航空写真のように街並みや水面が見えた。

「ヘリまで……」

「これドローンです。海外のロードレースにも使われだした大きい奴が見つかりまして」

「ウホー、ロードレース用ってことは山越えなんかしちゃうのかな。オフロードも走る?」

「流石ですね坪内さん。でもチェックポイントさえ通ればコースは彼ら次第。こんな良いのを七十個も用意できたから、すごく見応えが出ますよ」

 また私は言葉に詰まった。大量の大型ドローンが必要なレースとはいったい何なのか。この"イベント"の姿をイメージできない。

 しかし、意外にも私以上に困惑しだしたのが、テレビで動じた姿を見せたことのない坪内アナだった。彼は文字通り頭を抱えた姿になった。

「ど、どうしました?」

「……だって七十っていうと、エー、番組名はどうでもいいや。昔、日本一周外国人リレー企画で手配してたロケ車が七十台くらいでさ。でも機材も積んでそれだったし、ドローンって何キロ飛べるのかなぁ」

 坪内アナが「日本一周」と口にした時の、総帥のひどく嬉しげな顔は特筆に値するだろう。


「コースは日本を"右回り"にぐるっと一周。琵琶湖からスタートして中国山地、九州の東側、船で沖縄。そこから引き返して九州の西側、また本州を日本海側から北上して北海道を道北から道東まで。また引き返して太平洋側を東北、関東、再びこの中部、関西を超えて最後は四国でゴールになります」

 台本をめくってコースを読み上げた総帥の声色から内心を多少察した。ドッキリ番組の仕掛け人のような、そういう最高潮一歩手前だ。

 ところで、その間もテストのために映像が切り替わり続けていたのだが、ふと疑問が生まれた。

「あの、参加者はいったい何人ほどですか?」

 LEDVでは代紋付きの車を中心にした映像が切り替わり続けている。しかしよく見ると、その代紋が毎回違う。

「ああやって見せられたら気になりますよね。なら、先に七ページに行きましょう」

 言われたとおりに紙をめくった先には代紋と組名、車両名、それらの横に五列×十行の――

「五十人?」

 さらにページをめくった。氏名の詰まったリストを何ページもめくっては、もう一度戻って数えなおした。

「十一ページ分……十一組から五十人ずつだったら、五百五十人ですよ!」


 私はそこから二分ほどの間、詳細こそ省くが日本最大の暴力団構成員が五百五十人もの規模で日本中を走り回る事を「狂っている」と表現までして怒鳴っていた。

「うんうん。そう思われるのも当然だ」

 そう総帥はなだめた。ただそれは私にではなく、背後にいた組員に向けられたものだ。でなければ私の身に何か起きていても不思議ではなかった。

「あまりに、失礼な物言いでした。ですが総帥、置いて行かれている思いといいますか――」

「ねぇ総帥さん。船居さんは詳しすぎててうわーってパニクってるみたいだけど、オレもこれ読んでも"さっぱり半分"なのよ」

 坪内氏からの思わぬフォローだった。

「ジャンルも選手もコースも一通り書けてんだけど、どっちかっていうとルールブックでさ。実況やるからにはもうちょい欲しいんだ」

「仰りたい事は分かります。まだ伏せたい事もあるんですが……、お呼び立てしておいて本職の方に叱られては言い訳できません。例えば何かありますか」

「やっぱコンセプトっていうか。どんな目線で計画したかってのは重いよね。総帥さんって超大物らしいのになァんでこんなアイディア始めちゃったのォとか、出場する人達はなに目指してんのォーって。……これ、タゲ層に伝えるために聞くんだから蹴らないでよ?」

 坪内アナは気付けば台本を全て読み終えて、これほど重要な点まで聞いてくれた。

 私もようやく場に飲まれている事を自覚してきた。実際は大事件の渦中にすでに落ちていて、ならば今は身を任せて進むだけだと立ち直るきっかけとなった。

「知りたいです。私もそこを書きたい」

 そこで自分の意志を発する事から始めた。改めて録音を聞くとまるで子供のようだった。

「なら明かしてしまいますが、コンセプトも組の子達が欲しがっている物も同じなんですよ」

 ――十秒ほど考えてみてほしい。満原会ほどの組織がこれほど無謀なイベントを行う価値があり、それにも勝る賞品。

 立ち直りかけの私には「組の金庫」などとしょうもない言葉しか浮かばなかった。

「……思いつきません」

「本当ですか?でも、今うちには足りない物があるでしょう。ナンバースリーっていう」

「ああっ」

 堪える間もなく、また叫んでしまった。


 満原会のナンバースリーとは、直系組織『日葉組』組長を示すのはこの世界では常識である。そしてその日葉組に起きている事件の事もだ。

「ナンバースリーって事は、会長の下の社長の下で副社長って事?そりゃ大変だ」

「いいえ、もっと大規模な話です」

 垂野総帥の前だったが、坪内氏へ満原会について簡単に解説する。

 満原会の歴史は、第一次大戦頃の発展から取り残されたヤクザに限らない小さな組織が集まり『満原日葉会』を名乗った所から始まった。

 第二次大戦後になると、行き場を失くした人々や疲弊した商人らの世話役という時代に添った極道組織への進化を求められ、戦後復興と共に急激に発展。しかし五十年前、満原日葉会はついに複数組織との大抗争を経験する。

 そこから生まれたのが、これまで同様に運営役を務める『満原会』の中に、組織の懐刀となり防弾チョッキとなる『日葉組系』という大型の武闘派組織を内包する新体制の姿だった。

「この満原会の序列を『一番頭、二番喉、三番鉄兜』と謳った言葉もありました」

「心臓は?」

「わかりません」

 ――なお本誌で連載中である【侠伝欠記】<電子版はリンク張ってね>では、この満原日葉会草創期からの姿が飛騨弓冶先生の熱筆によって鮮烈に切り込まれ続けている。本誌を初めて手に取った方はバックナンバーと併せて御一読願いたい。


「実は、日葉組二代目御園氏は亡くなられているんです」

 部屋全体の空気を窺い、声量を落とした。

「坪内さんはさっき、ナンバースリーを副社長と言いましたが、実際は国家における軍隊のトップに当たります。なのですぐに跡目が決まると思われていましたが、一年が過ぎても空席なんです。うちの実話ブレィメンでも調査したものの空振りばかりで、今回こうして……」

 私は手帳を開く。この機会に自ら調査したいとリストを作っていたが『日葉組の現在』については最上段に書いていた。

「うん。……それとレースとなんか関係あった?」

「フッ、ははは」

 飛び出したのは総帥の――おそらく素の――笑い声だった。

「いえ。ですからね、これで決めようって話なんです」

 総帥は改めてレース台本を見せる。

「……げっ、ヤクザってこうやって次の人決めちゃうんだね」

「まあ今回は特別ですが、優勝した所が日葉組を納める事は間違いありませんし、"六代目"にもなれるかもしれない」

「六代目ですか?しかし、そこは若頭の周東氏も現役ですから――」

 言いかけて、私は背後の壁に飾られた十三の代紋を振り返った。信じがたいが、壁には髙西会の代紋も確かにあった。

「船居さん、今度は誰の話?」

「若頭――満原会のナンバーツーにあたる周東廉吾という方がいるんです。彼が二代目を務める髙西会もかなりの有力組織で、名実共に満原会の副将といえます。いや、でも」

 ナンバーツーがナンバースリーを決めるレースに出るわけがない、はずなのだ。

「さすが話が早くていい。実のところ、この件は彼が言い出しっぺでしてね。私と周東くん以外は一回り下の子ばかりだから、日葉組を任せるなら自分を"負かせる"若手が良いなんてダジャレまじりで」

 七十近い周東氏の一回り下といっても、このレースに参戦する組長らは四十路から六十路まで年齢層が幅広い。ちょうど本誌が創刊された十年ほど前、総帥は組織全体の若返りを進めているとされていたが順調とみて間違い無い。

「そしたら、みみっちぃ喧嘩をさせるわけにもいかないでしょう。どうせならいかに組をまとめるかの求心力も見たい……とか言ってたらこうなっちゃった」

 荒唐無稽とも取れる語り口。しかし、私はその奥に別の意図が見え隠れした。

「彼らに"伝説"を作らせるためでもあるのでは」

 強大な組織を引き継ぐうえで最も難解かつ重要なのは『先代と同格かそれ以上で在りつづける』事であろう。疑似的な"親"と"子"の関係が連綿と続く極道社会なら尚更「親を伝承した」「親を超えた」と認められない者はトップとして認められる事もあり得ない。

 総帥は私の肩を軽く叩いた。思えば総帥が初めて私に触れたのはこの時だった。

「しかし、周東氏が敗れた時はどうなるんですか?」

「周東くんってカタギにもファンが多いんです。なので死ぬまで引退は許さないつもりなんだけど、それ以上は終わってからですね」

 その時だ。玄関口で見た組員が駆け足で現れると総帥へ何かを伝えた。間を置かずまた別の組員が入ってくると一言「来ました」と口にした。


 その人物はマンション全体をざわめかせながら現れた。

 彼が扉を開けて部下達と踏み入ると、大部屋に集まった全員がそちらに目を向けた。直後、ドラマの演出じみたタイミングでパトカーのサイレンが響き始めた。

「垂野は?」

 彼は黒スーツに黒のブーツを履いていた。その艶の無いブーツが酷く恐ろしい足音をさせて――鉄球でも入っているような音だった――数歩動くと、対して部屋中の組員達が駆け寄り二重・三重の壁を形作った。

 警察官である事はすぐに察せたが家宅捜査ではない。私も今は無き"四課"を始めとした警官らと幾度も接触した事はあれど、彼のような人物に聞き覚えがなかった。

「退け。それとも引っ張ろうか」

 隣にいた垂野総帥は眼鏡を胸元にしまい実況席の段を降りた。その際、近くの機器のスイッチをパチパチと押したのが見えた。何かあると直感が告げて、私はレコーダーを広域用のモードに切り替えた。

「青鉢さん、こっちです」

 青鉢と呼ばれたその警官は、組員らによる壁を軽々かき分けると、またあの足音をさせて総帥の前に立った。あとたった半歩踏み出せば、七三歳になる総帥は簡単に跳ね飛ばされるという距離感だった。

 彼の様子として印象的だったのが、やけに顎を引き、目は見開かれ、そのまま前に倒れて総帥を押し潰すようなイメージさえ感じた事だ。ヤクザ以上に威圧感を放つ警察官と会う事もあるが、彼の見せる圧迫感を私は他に知らない。

「組員集めて……映画上映会でもするってか」

「や、そんなところです」

「俺も呼びつけてかい」

 青鉢氏は上着のポケットに手を入れると、灰色がかった紙を広げて総帥に突き付けた。私や息子らの世代でも学校のプリント用紙に使われていた"わら半紙"だった。

「あの」

 私も思い切って実況席から降りた。青鉢氏はすぐに私をカタギの人間と見抜いたようで、わずかに姿勢を緩やかにした。

「どなた」

 問われて、急いで名刺を渡した。彼はその表裏を見てため息をこぼした。

「密着取材でやらせてもらっています。よければその紙の事を聞かせてもらえませんか」

 青鉢氏だけでなく総帥にも視線で是非を伺ったが、笑顔のままだった。彼は答える代わりにわら半紙を押しつけてきた。


 それは『おゆうぎ会のおしらせ』だった。

 幼稚園で配られていても不思議では無い文面の――子供を預けた事のある方なら想像できる通りの――簡素なプリント。しかし書かれた住所はこのマンションであり、この部屋を指定してある。文末には垂野総帥直筆の署名もある。[※写真4<住所黒塗りで>]

「総帥、もしや青鉢さんも私達みたいな――」

「とんでもない。警察にそんな事を頼んだら叱られちゃいますね。今回は喜んでもらおうと招待したんですよ」

「喜ばせる、ですか?"おゆうぎ会"とはこのレースの話ですよね?」

「レース?」

 青鉢氏はLEDVに目を向け、ようやく映されている物がなんなのか気付いた。

 すると総帥が組員らへ――五名余りはずっと青鉢氏を囲んでいた――指差し付きで新たな指示を出した。

「チャンネル四番映して。上のマイクもオン」

 ジャージ姿のスタッフらが機材を操作する。画面には代紋が描かれた車列と、今度はさらにカメラを取り囲むように組員達も整列している。代紋は日葉組系組織である四楼組の物だ。

 総帥は天井にあるマイク付きの大型照明へ話しかけた。

「もしもし?こっちの声聞こえてたかな」

 その声が届いた事を示すように、映像の向こうで一斉に組員らの立礼が始まる。

「おや。伊月はいないのかな」

『――もう少しこっちか、失礼しました』

 声の後、画角の外側から男性が映り込む。

 今風のパーマヘアにやや大げさな金縁のサングラス姿。四楼組二代目組長である伊月麒麟氏が姿を見せた。


 当誌で伊月氏並びに四楼組の名を扱った記事はここ三年で五つ。四楼組が満原会の三次団体である事を踏まえれば、かなりの多さと言っていい。

 暴対法の定着と表だった抗争が激減した近年で、過去の記事中にて「頭角を現す」という言葉が久しぶりに使われていた事を覚えている。

『親父。青鉢さんがいらっしゃるとは聞いてませんよ』

「お年玉みたいなもんだよ」

 伊月氏はその顔つきに似合った小さな笑みを見せた。

『青鉢さん、聞こえてますか。お久しぶりです』

 当の青鉢氏の顔つきはすっかり変わっていた。苛烈な表情ではない。私の父の友人に猟師がいたが、彼が自ら仕留めた鹿を捌いていた時の顔を思いだした。

「挨拶なんて出来たんだな。前は昼メシの後始末もしないで逃げてった奴が」

『あぁ。あの時は地滑りだか山崩れだか起きたでしょう。組員の生命を守るために緊急避難させてもらいました。あの時のBBQセット、取ってあったら差し上――』

 突然、私の側にあった二人掛けのソファがベランダ側へと"飛び跳ねた"。

「地主が喜んでたな。土地ごと使えなくなったのに外国人が買ってくれたとさ」

 彼らの間に垣間見えたこの事件には覚えがある。M県にてある金品の流通が急増。事件性があると見た警察がE市の山中にあるペンション群を捜査する直前、災害が発生し一帯が喪失。顧客には満原会構成員の名が連なっていたと言われている。<記事の画像挿入して>

『管理人してた奥さん、楽しい方だったんで心配していたんですよ。バードウォッチング勉強してたらしくて』

 また一つ、ソファが"飛び跳ねた"。

「このあと、うちの子達を集めて琵琶湖でレース始めるんですよ。それを見て楽しんでもらおうかなと思いまして。そう、サプライズ」

「レース……琵琶湖」

 私がそうだったように、青鉢氏も弾かれたように壁の代紋へ目をやった。

「そうです。車に乗って、走り回って――そうそう、相手を"妨害"して潰したりも出来ます」

 そんなルールは台本に無かった。だが、だからこそ可能という事だ。

 青鉢氏は口を開きかけ、だがやけにあっさり背を向けると黙々と部屋を出て行った。長いにらみ合いや無茶な逮捕劇もあるかと身構えた私にとっては一瞬で消えたようだった。

 彼のように最前線で暴力団とぶつかり合う警官らは「止めろ」などの言葉などまさに時間の無駄だと知っていたからだろう。

「スタートまで三十分ですよ」

 総帥の穏やかな声もあの足音にかき消された。


 気付けば午前十一時半を回っていた。垂野総帥が実況席のマイクを握る。

「さ、準備時間になったよ」

 『勝負は試合の前から始まっている』というのは有名な概念だが、このレースも同じだった。六分割画面となったLEDV内の映像が震え出し、突如として大型トレーラーやダンプカーが次々に映り込む。

 始まったのは数十人が動き回る大工事だった。荷台から次々降ろされるパーツ――タイヤや鉄板からエンジンまで――が各組の車列まで運ばれ、時には分解され、時には溶接される。画面が白飛びするほどにそこかしこで火花が飛ぶ。[※写真7]

 この三十分のうちに車両を改造できなければ、背後から来る他の組に一方的に襲撃もされかねない。総帥が準備した最初の仕掛けだ。

「登録された組員や車両同士の"妨害"ならだいたい目をつぶります。車を頑丈にするのは当然ですね」

「"S耐(スーパー耐久レース)"のピット前みたい」

 いつの間にか隠れていた坪内氏も戻っていた。

 こうして作り上げられた武装車両――我々は後に"組車"と呼んだ――がいかに凶悪な物だったか、誰もがテレビなどで散々目にしたはずだ。しかしこの時の私と坪内氏は、その光景を観てもまだ、"妨害"という言葉を鵜呑みにしていた。

「ねえ、ようやくビックリにも馴れたから仕事するけど、総帥さんはこのレースのウィニングセオリーって予想してる?」

「もちろん……いかに目立たず、いつ目立つか」

「マーク意識の話だ」

「はい。派手な真似ばかりしてると弱みまで見せてしまうもので。競技レースならガソリンを使いすぎたり、タイヤの損耗も。今回、警察の目もありますからね」

「さっきの青鉢って人の事?」

 総帥はスタート前からわざと青鉢氏という警官を"引き寄せた"。これは警察への宣戦布告に等しい。

 ――この総帥の狙いや青鉢氏については、今後のレース状況に沿って語られていく。次回以降も期待していただきたい。


 我々もいよいよ実況席に移り、放送機器や取材道具のチェックを済ませた。見知った組長らも現れてソファが埋まりだす。

 三分前になるとネット配信が始まった事を伝えられたが、既存サイトのようなコメントなどはなく実感が湧かなかった。

 だからというわけではないが、無意識に疑問をこぼしていた。

「レースが終わった後、満原会に何が起きるんでしょうね」

「……船居さん、誰もそんな事まで決められるわけがありません。極道もいつでも綱渡りばかりだ」

 ある年は薄氷のように鉄則を踏み潰され、ある年はいがみ合いの中心で不義理を選んで四方から撃たれた事もある。垂野勝士という人物が口にする"綱渡り"には、常人には耐えきれなさそうな心細さも見えた。

「――けど、私こそ一番ソレが楽しみなのかもしれない。あの子達も多かれ少なかれ『何が起きようが文句は言わせん』と思ってるでしょう」

 後から、それこそが一つの核心だと気付いた。


「――や、あれ、ロケット砲じゃないの?」

 総帥との会話で坪内氏の呟きに反応するのが遅れた。一方、マイクに載ったその言葉に他の組員らがざわめきだす。

「えっ?」

「四番画面のさ、左上にウェットスーツの人いるでしょ。だって冬なのに、灰色の奴を持って――」

 時計は正午を一秒過ぎていた。

【次回・レース開幕へ】



<※総帥や伊月さん達がモナコにも寄るって言うから、次の原稿も迷惑メールに入ってないか注意しといて>

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