第24話

 遅れて出てくるヤスさん。

「わりぃな。ちょっと話付き合ってくれ」

「いえ、今日はいろいろ、ほんとにいろいろすみません……」

「そういうときはな、ありがとうございました、って言うんだよ」

 そのまま歩いてさっきの駐車場へと向かった。

「で、どうだった俺たちの演奏」

「すごかったです。ボーカルに厚みがあって、ギターの人本当に上手くて」

「……まぁな。俺はどうだ」

「ヤスさん、ドラムスだったんですね……。この間はギター持ってたので、てっきり今日もそうなんだと思ってました」

「そこからか……。桜ちゃんは何も話してなかったんだな。元々俺はドラムなんだよ。昔、入ってたバンドが解散したときに他のところで続けさせてもらうためにギターは練習してたってだけだ」

「正確で安心感のある演奏でした。……自分と比べて苦しくなるくらい」

「……そうか」

 そこでヤスさんは首にかけていたタオルで顔を拭いた。

「俺が演奏中、何を考えていたかわかるか?」

「え?」

 当たり前のことだけれど、そんなことは考えたこともなかった。

 自分の演奏中ならどうだろう。うまくいっているときなら、だいたいずっと優枝と桜花、二人の演奏と歌のことを考えている、気がする。

「今日のボーカルはのってるな、とかですか?」

「……悪くはない答えだと思うが、全然違う。正解はな、『ちゃんと叩けているか不安』だ」

 目の前の人が何を言っているのかわからない。だから言葉が出てこない。

「だいたいな、今のバンドはこの春に入れてもらったばかりなんだ。まともに人前で合わせるのは今回が初めてなんだよ。お前らとおんなじ」

 そういえば、ゴールデンウィークのときに、『帰って来た』という意味のことを言っていたように思う。でも、まさか、そんな。

「シンジとケイ、ギターとボーカルは昔馴染みだけど、ベースのヨウタは春に初めて会ったやつだ。どっちもバンドやってたって意気投合して、人の足りないケイのところに入れてもらった。でもな、あいつはまぁ俺からみてもあんまり上手じゃなくてな。……正直、若い桜ちゃんの方がずっとちゃんとした演奏する」

 本人は気にしてるから黙ってやっててくれな、と続けた。

「俺がしっかりしなきゃってずっと気を張って叩いてた。でもだいたいそういう時は自分の音がわかんなくなるもんなんだよ」

 実感があった。音がわからなくなる。今日、たった一時間やそこら前に経験したばかり。

「どうせ、ステージと客席側じゃ、全然聞こえ方が違うんだけどな。ケイとか何言ってるかわからなかったろ」

 ボーカルの人のことか。

「でも、PAがなんとかしてくれる。だから重要なのは……、なんていうかな」

 ここでヤスさんは言いよどんだ。

「お前らも俺たちもいっしょなんだ。そりゃ、俺はずっと練習してたからな、お前より上手いかもしれないが、中身がそんなに違うってことはない。調子が悪けりゃポロっとデカいミスをする。結果的に聴いたやつが良かったっていうなら嬉しいけどな。お前、ヨウタのベースが二回とちったの、気が付いてたか?」

「気づきませんでした……」

「な、観客は俺たちのこと、そこまで気にしてねぇ。気にしてるやつらは他にいるだろ」

 親指でライブハウスの方を指す。その先には今出てきたばかりの控室。つまり。

「仲間がミスったときに、クソなんてあんまり思わないもんなんだよ案外。だいたい誰だって同じような経験してるからな。だから、今日の所は帰ってさっさと寝ろ。で、明日起きてから二人に何を言うか考えろ。案外、頭ん中整理されて、すっと言うことが決まるから。そしたら適当にメッセージでも入れとけ。それでだいたい上手くいく」

 結局、ヤスさんが伝えたかったことは断片的にしか理解できていない。けれど明確なのは、自分が不安な状況で僕の心配をしてくれていたことだ。今だってこれは慰めの言葉をくれている。

「俺はな、これまで三回ドラムをやめようと思ったことがある。そのうち一回目は初めてのライブのときだった。誰かさんと同じようにスティックがすっぽ抜けた。次の曲で拾ってきて、でも全然叩けなくなった。散々だよ。だからもうバンドもドラムもやめようってな。でも寝て起きたらやっぱり叩きたかったんだ。で、結局今もスティックを握ってる。だからな、考えは変わる。今日の反省は明日でいいから、勢いで二人に「もうやめる」なって言ってくれるなよ」

 唐突に理解できた。なんで僕がこれまでの話をちぐはぐに感じていたのか。前提が違うんだ。

「……ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。ドラム、やめたりしません」

 今日のミスはずっと引きずっている。辛くて、きつくて、思い出したくない。けれど、バンドをやめようなんて考えなかった。もっと別のことが怖かったんだって気付いた。

「あー、ならいい」

 頭を掻くヤスさん。

「こんなこと言うつもりじゃなかったんだがな。とにかく、あんなのバンドやってたらよくあることだ。あんまり気にすんなって言いたかっただけなんだ。あれだな、素面だとこういう話するの、キツいもんがあるな……」

 そうか、お酒っていうのはこういうときに飲むものなのか。話しにくいことを話し合うための入口。逃げ道ってだけじゃないんだな。


 一つ、思いついたことがある。

 普段なら言えないこと。大人ならお酒の力を借りる場面。でも、ここまで話してくれた人の前でなら言える。

「お願いがあるんですけど、いいですか?」

「あ、なんだ?」


「僕を――、


 ――ヤスさんの弟子にしてもらえませんか?」


 初ライブは散々で。できた傷は思ったよりもずっと大きくて。

 まだ目を向ける勇気もなくて。だけれど僕が恐れているのは、この傷が広がることじゃなかった。

 次の機会があったとしても、またやらかすかもしれない。ありありと思い浮かぶ想像は吐き気がするほど現実的だ。でも、そのための挑戦をやめようなんて露ほども思わなかった。

 僕が本当に怖いのは間違いを繰り返すことじゃない。

 ゴールデンウィークに見たあの場所に立つ資格を失うことだ。

 二人に温情を貰って、実力不足で受け入れてもらう状況じゃない。二人を支え、必要とされる在り方をしたい。

 僕以外の全ての人にとって些細な、だけど大切な誇り。これを持ち続けるために、躓きの後に立ち上がる必要があった。

 ここまでしてくれたヤスさんを困惑させて悪いとは思う。けれど仕方がないのだ。おぼれているものは藁でもなんでも全力で掴みにいってしまうものだから。

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