世界の果てまで逃げてやるっ!
矢田川怪狸
第1話
その日、俺は組事務所に呼ばれた。
一番奥に置かれた馬鹿でかいマホガニーのデスクの上に、行儀悪く両足を投げ出して革張りの椅子にふんぞり返っているのがこの事務所の主であり、鹿苦代武組千葉支部若頭のマツイのアニキ。その背後にはなんだったかの褒美に組長からもらったという『不撓不屈』の文字が書かれた馬鹿でかい書額が飾られている。
俺は最大限の礼を尽くして深々と頭を下げた。
「っす!」
マツイのアニキはまだるっこしい前置きを好まないお方だ、いきなり本題 が始まる。
「お前、ここになんで呼ばれたかわかるか?」
「っす!
「そうだ、おとといかな、ここにお前の恋人を名乗る女が来てな、お前を出せっつってさんざっぱら暴れてくれたんだわ。まあカタギの娘さんに怪我をさせるのもアレなんで『穏便に』お引き取りいただいたけどな」
マツイのアニキはデスクの隅っこにあった大理石製の灰皿を靴先で差して顎をしゃくった。俺はそれを素早くアニキの前に置き直し、ポケットから愛用のジッポを抜いてアニキの隣に立つ。
「ん」
俺に火をつけさせたタバコの、最初の一服を肺の奥に落とし込んで、アニキはすっと目を細めた。
「女遊びをするなとは言わねえけどさ、女の趣味が悪すぎるんだよ、おめえは」
「っす! 申し訳ないっす!」
「で、どうするつもりなんだ」
「っす?」
「あの女、お前の子供が腹にいるんだとよ、だから責任をとって欲しいらしいんだが?」
「っす、責任って結婚しろってことっすよね」
「ああ、もちろん、お前にその気があるなら組で式ぐらいあげさせてやるが?」
「いやっす!」
俺は何も迷わなかった。
「俺はまだまだ遊んでいたいっす! 家庭とか責任とか、そういうもんで一人の女に縛られるつもりはないっす!」
「はっはっはっはっは! クズだな、お前!」
マツイのアニキは頭の切れるお方だ、そうじゃなきゃ若頭なんてやっていけない。だから、俺の答えも既に予想していたのだろう。
アニキは机の引き出しを開けて、一枚のチケットを取り出した。
「お前は組のためによく働いてくれた、それに、お前ほどのヒットマンはちょっと他に替えがきかないんでな、休暇を与えようってことになった」
「休暇っすか!」
「ああ、ほとぼりが冷めるまで、のんびりしてくるといい、行き先はタヒチだ」
「あざっす!」
「ああ、それからこれも持っていけ、餞別だ」
マツイのアニキはチケットと一緒に引き出しに入っていたコルトを俺にくれた。
「うちの優秀なヒットマンが高跳びするとあっては、サツの方も黙っていないだろう、念のために持っておけ」
「っす!」
「ただし」
アニキは言う。
「これで女を撃ち殺してお手軽に済まそうとするんじゃねえぞ、後始末が大変だからな」
「っす!」
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