第四章 ~『バーレン男爵との決闘』~


 飲まされた媚薬の効果が消える頃には一時間以上経過していた。クラリスは既に連れ去られている。


 アルトは猫足の長椅子から起き上がると、冷たい眼をリーシャに向ける。


「今すぐにでもクラリスを追いかけたいが、その前に聞かせてくれ。どういうつもりだ?」

「私はただ、アルト様と結婚したくてぇ……」

「それが答えか?」

「あ、あの……私は……っ……」

「言葉は慎重に選べ。私が怒りを我慢できるようにな」

「……っ……パパがやれって言ったの!」

「お、おい、リーシャ」

「本当のことでしょ」


 アルトの底冷えのする瞳がバーレンを捉える。彼はゴクリと息を呑むと、言葉を選ぶように視線を宙に泳がせる。


「わ、私は王子の意思に従っただけです」

「兄上はどこに?」

「居場所は知りません。二人しか知らない世界へ行くとだけ聞かされていましたから」

「…………」


 アルトは立ち上がると、バーレンとの距離を詰める。高身長の彼が見下ろす対比はそのまま二人の権力差を表していた。


 鷹のような眼で見据えられ、バーレンは瞳に恐怖を宿すが、後退ることはない。ジッと視線を返す。


「私は悪くありません。命令されただけなのですから」

「…………」

「それに王子が執着しているクラリスではなく、リーシャを選べば万事が丸く収まります。どうせ双子で顔が瓜二つなのですから。利口な選択をすればいい」


 バーレンの娘の内面を無視した口ぶりに、アルトは呆れを通り越して怒りを覚える。膨らんだ風船のように、彼の怒りはパンパンに膨張していく。


 だがバーレンの口は止まらない。地雷原で踊るように、ヘラヘラと嘲笑を浮かべる。


「分かりませんね。あんな卑屈な娘のどこがいいのか。ご存知ですか? クラリスは私の顔を見るだけで怯えるのですよ。気持ちの悪い娘です。もしあのような性格に育つと知っていれば、嬰児の段階で間引いていましたよ」

「――――ッ」


 親として最低の言葉を口にするバーレンに、アルトは父親である国王の影を見る。


 彼は幼き頃から呪いによって醜いと馬鹿にされてきた。大臣も、親戚も、兄弟でさえも態度は同じだ。


 それは父親である国王でさえ例外ではなかった。成長したアルトは公爵家へと養子に出され、王宮から追放されることになる。別れ際に彼の放った言葉は忘れることがない。


『この子は我が一族の者ではない』


 実の父親から見捨てられる絶望は心が引き裂かれた気持ちにさせられる。それを知っていたからこそ、クラリスが同じ思いをしたのだと想像し、身体が勝手に動いていた。


 拳を振り上げて拳を放つ。バーレンの鼻を潰し、壁際まで吹き飛ばした。


 だが彼が気を失うことはなかった。鼻から溢れる血を拭いながら、回復魔法で自分の鼻を癒すと、敵愾心を瞳に含ませる。


 アルトもまた怒りを我慢できる状態ではない。鋭い視線をバーレンへと向ける。


「殴ったことは謝る。君がクラリスに頭を下げればな」

「誰があのような娘にっ!」

「なら私は謝罪しない。クラリスの苦しみを君も味わえ」

「……っ……ふざけるな。私が男爵だからと馬鹿にしやがってっ!」


 痛みが理性を吹き飛ばしたのか、バーレンは口調が荒くなる。


 全身からは鋭い魔力を放たれ、ブヨブヨの梨のような体形からは想像できない威圧感を身に纏う。


 隙の無い立ち姿にアルトは既視感を覚える。元負傷兵の彼らとバーレンを重ねたのだ。


「バーレン男爵、君はまさか戦場帰りか?」

「今更知ってももう遅い。幼き頃の私は、便利な回復魔法の使い手として前線へと送られたのだ。上流貴族に奴隷のように扱われた過去は今でも鮮明に思い出せる」


 バーレンの瞳は権力者への怨嗟で燃えているが、指先は恐怖で震えている。


 彼はアルトを恐れていた。だがそれは魔法使いとしての実力差に恐怖したのではない。


 身体に植え付けられた上流貴族へのトラウマが恐怖を呼び起こしたのだ。


「私は誰よりも優秀な男だ。お前たち上級貴族どもの奴隷ではない。超えてきた地獄が私を強くしたのだっ!」

「君の過去には同情する。だからこそ怒りが湧く。そのような経験がありながら、クラリスを戦場に売ったのかっ」


 苛烈さを極める帝国との戦争を愛娘に経験させたバーレンは、アルトにとって憎むべき敵だ。許せないと拳を握る。


「バーレン男爵、私と決闘しろ」

「対人戦なら回復魔法の有用性は自然魔法さえ上回る。それでも私に勝てると?」

「勝つさ。そして二度とクラリスの前に顔を出すな。君の存在は彼女にとってマイナスでしかない」

「ならば私が勝ったのなら公爵の地位を寄越せ」

「いいだろう」

「その勝負受けたっ!」


 バーレンは魔力を足に集中させて、一気に距離を詰める。拳に貯めた魔力でアルトの腹を殴りつけた。


 一撃で終わらせる覚悟を込めた打撃だった。しかしアルトの膝が折れることはない。そもそも拳が肉体に触れる直前で、見えない壁に阻まれたのだ。


「な、なんだ、これは?」

「私の肉体に纏わせた風の鎧だ。拳で突破することはできない」

「く、クソおおおっ」


 バーレンは拳を連続で叩きつけるが、風の鎧によって遮られる。王国最強と称された自然魔法の脅威を絶望と共に理解する。


「次は私の番だな」


 掌に水の弾丸を浮かべる。かつてはフーリエ公が使っていた魔法の一つだ。高速に回転する水がバーレンの肉体を貫いた。


 音速の水弾が直撃した衝撃で、バーレンは膝を折る。回復魔法で癒すことさえ間に合わないほどの激痛に彼の意識が遠のいていく。


「……っ……わ、私は……公爵より……王族より……優秀、なのだ……」


 それだけ言い残し、バーレンは気を失う。上流貴族への対抗心に取り憑かれた彼は、回復魔法の利便性が生んだ悲しい犠牲者だった。


「クラリスは私が幸せにする。君のようにはしない」


 アルトはクラリスを取り戻すために屋敷を飛び出す。彼女を救うためなら手段を選ばないと、覚悟を決めるのだった。

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