第四章 ~『山荘に監禁されたクラリス』~


 半ば誘拐されるような形で、クラリスはハラルドに早馬へと乗せられる。半日以上、馬が走り続け、到着したのは森の中にある山荘だった。


 コテージに似た外観の山荘は王族の持ち物にしては地味だ。だが建てられて日が浅いのか、山荘の中へ足を踏み入れると、木材の匂いが鼻腔を擽った。


「ここはどこなのですか?」

「アルト領の魔物の森、そこに建てた俺の別荘だ」

「なぜこんな危険な場所に?」

「魔物相手に剣の腕を磨くためだ。だが野宿はしたくないだろ。修行の拠点として使っていたのだ」


 ハラルドは腰から剣を抜いて、舞ってみせる。かつて披露された時より流麗さに磨きがかかっていた。


「この別荘は俺の個人的な金で建てたからな。五月蠅い大臣どもに見つかる心配もない。肩の荷を下ろせるマイホームだ」


 ハラルドは国庫から資金を提供されているが、そのすべてを秘密裏に使えるわけではない。大規模な施設の建設や、国家事業をやる場合は、予算を組まなければならない。つまりは国王と大臣の承認が必要なのだ。


 しかし少額の買い物なら話は別だ。住み手のいない魔物の森に山荘を建てるくらいの金なら、ハラルドの裁量で処理できる。


「覚えておけ。大臣たちは敵だ。俺とクラリスの婚約に反対しているのだ」

「あ、あの、私はアルト様と結婚を――」

「しかぁし! 愛があればどんな困難も乗り越えられる! クラリス、これからはずっと一緒だ。この別荘で生涯を共にしよう」


 ハラルドは聞く耳を持たない。思い込んだら一直線の性格は昔から変わっていなかった。


「あの、私はアルト様のお屋敷へと帰りたいのですが」

「クラリスの不安は分かるぞ」

「私の想いが伝わったのですねっ」

「うむ。確かに貴族の屋敷に帰りたい気持ちは分かる。なにせこの別荘は狭くて、繁華街までも距離があるからな。だが心配するな。食料は俺が魔物を狩ってきてやるし、服もクラリスのために用意してある。こっちの部屋へと付いてこい」


 話が斜め上に広がる展開に戸惑いながらも、ハラルドに腕を引かれ、廊下の突き当りの一室へと案内される。


 扉を開けて、広がった視界に驚かされる。部屋の内装や置かれている調度品のデザインがリーシャの自室と瓜二つで、既視感を覚えたからだ。


「この部屋は……」

「リーシャからクラリスの好みを聞いてな。特別に用意したのだ。さらに部屋だけではないぞ。この衣装棚を見てくれ。俺の妃となる女に相応しいドレスを集めたのだ」


 絹で編まれたドレスに、シルバータイガーの毛皮を素材としたコートが並び、どれも高級品だと分かる。


 だがクラリスの表情は晴れない。悲しげに瞼を伏せていると、ハラルドは心配そうに焦りを態度に示す。


「もしかして腹が空いたのか。なら高級菓子を用意してあるぞ」

「いいえ、お腹は一杯です」

「なら寂しいのか? それも問題ない。なにせ俺がいるからな」

「…………」

「ふふふ、どうだ、俺は優しいだろ。こんな優しい夫は、王国中を探しても他にいないぞ。この幸せ者めっ」


 ハラルドは無邪気に笑う。彼は良くも悪くも純粋で、心が子供のまま成熟していないのだ。


 欲望を我慢しないし、怒りを抑えようともしない。玩具を与えられないからと駄々を捏ねる幼子と同じなのだ。


 クラリスとの婚約を破棄した時もそうだ。噂話を鵜呑みにして、彼女が悪女だと信じた。理性のある大人なら情報の精査をするが、彼は純粋が故に、裏切られたと思い込み、怒りを彼女へとぶつけたのだ。


 幼い心は周囲からの影響を受けやすく、汚れるのも早い。クラリスと交際していた時は、彼女の優しさに触れることで、ハラルドも仁義に厚い人格者として振舞っていた。


 しかしリーシャと婚約してからは違う。彼女の悪い部分を吸収し、かつての善良さを失ってしまった。子供は親の背中を見て育つように、悪魔たちが彼を悪党へと成長させたのだ。


「ハラルド様、あなたは可哀そうな人です」

「俺は王子だぞ。王国一の幸せ者だ」

「ハラルド様も本当は自覚しているはずです。なにせ私とあなたは似ていますから……」


 ハラルドが子供のまま成長できないのは、王子という立場があるからだ。


 子供の頃から臣下たちから丁重に扱われ、欲しい物は望めば何でも手に入る。


 だがそれは本当に幸せなのだろうか。多忙な両親と接することなく、大人たちに頭を下げられる毎日を過ごす。これはある意味で孤独ではないか。


 家族から嫌悪されてきたクラリスもまた孤独だった。人に愛されたことがなかったからこそ、欠けたピースを埋め合うように、ハラルドに惹かれたのだ。


 だが婚約破棄により道は違えた。ハラルドにもしっかりと伝わるように、彼の眼を真っ直ぐに見据える。


「ハラルド様、私はアルト様の婚約者です。だからあなたと結婚することはできません」

「クラリス、何を言っている! 俺たちは生涯を誓いあった仲ではないか」

「誓いはすでに破られました。私は――アルト様を愛しているのです!」

「――――ッ」


 ハラルドが拳をギュッと握りしめる。噛み締めた下唇からは血が溢れていた。


「どうして、あんな男に……かつてはあれほど醜い男だったのだぞ。また呪いが再発したらどうする?」

「それでもアルト様を愛します」

「なら名誉と金はどうだ!? 俺は将来国王になる男だ。だがあいつは公爵。所詮は王家の家臣でしかない」

「ハラルド様……私は顔でも、お金でも、名誉でもなく、アルト様の内面を好きになったのです」

「……っ……俺があいつより劣っているというのかっ!」


 ハラルドは大声で怒鳴りつけるが、クラリスが怯えることはない。アルトと共に過ごした時間が彼女を精神的に成長させたのだ。


 彼もそれを理解し、怒りでは解決しないと知る。縋るように潤んだ瞳を向けた。


「な、なぁ、生涯で最後の頼みだ。今度は間違えない。絶対にクラリスだけを愛する。だから一度だけチャンスをくれ。頼む。この通りだ」


 プライドの高いハラルドが頭を下げる。はらりと舞う髪と、ジッと答えを待つ緊迫した空気が、彼の頼みが真剣なのだと伝えてくる。


 しかしクラリスの答えは決まっている。ここでハラルドの頼みを受け入れることは、アルトを切り捨てることに繋がる。一途に尽くしてくれた彼を裏切ることはできない。


「ハラルド様。何度頼まれても私はあなたと結婚できません」

「……っ……そ、そうか……そうだよな。やはり無理だよな……」


 ハラルドは頭を上げる。浮かび上がってきた顔は先ほどまでの彼とは違っていた。覚悟を決めた暗い瞳がクラリスを見据える。悪寒が彼女の背中に冷たい汗を流させた。


「やはりバーレン男爵から聞いた通り、アルトの奴に洗脳されているようだな」

「え?」

「だが時間がきっと解決してくれる。この別荘でアルトとの接触を断てば、以前のクラリスに戻ることができる」

「な、何を言って……」

「クラリス、愛しているぞ。だから……しばらくはここにいてくれ」


 部屋にクラリス一人を残して、ハラルドはその場を後にする。ガチャリと鍵が掛けられ、採光用の窓も背が届かないほど高い位置にある。


 監禁された状態でクラリスは扉を叩く。だがハラルドが反応することはない。彼は信じる理想の彼女を取り戻すため、狂気に囚われたのだった。


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