第二章 ~『当ての外れた聖女の力』~
ハラルドはフーリエ領の診療所を訪れていた。病室の数が多く、収容人数は二千人を超える大規模施設だ。
そんな診療所の中で、治療施設とは思えないほど贅を凝らした病室にハラルドはいた。部屋一面が白く塗られ、薬品の匂いが立ち込めているが、使われている調度品はどれも一級品である。それはベッドも例外ではない。帝国産の高級ベッドが設置されていた。
設置されたベッドは三つ。一つ目のベッドには赤髪の男が、二つ目には渋みのある老人が、三つ目には銀髪の少年が眠っていた。
意識なき彼らをハラルドは見下ろす。その瞳には期待の輝きがあった。
「王子、ここにいたのですね!?」
扉を開いて、病室に飛び込んできたのはフーリエ公爵だ。走ってきたのか、額に汗が浮かんでいる。
「王子、勝手なことをするのは止めてください!」
「勝手なこととは?」
「負傷兵のことです。ここの診療所へと搬送したそうではありませんか!?」
負傷兵の面倒を見るとなれば、そのコストは多大な金額になる。特に上流階級である貴族たちが相手なのだから、一人当たりの費用は馬鹿にならない。
「勝手な事ではない。千人の負傷兵を用意すると約束したではないか」
「そ、それは、回復した元負傷兵です。傷だらけの彼らを必要とはしていません」
「まぁ待て。俺に考えがあるのだ」
「考え?」
「リーシャの癒しの力で、ここにいる負傷兵たちを回復させればいいのだ。そうすれば即戦力となる」
「なるほど。もう一人の聖女の力ですか」
一時的な治療費を支払う必要はあるが、回復すれば、すぐに取り返せる支出だ。悪くない取引だと、フーリエは頭の中の算盤を弾く。
「いいでしょう。負傷兵千人、我が領地で受け入れましょう」
「理解の早い家臣を持てて、俺は幸せだよ」
ハラルドは約束を果たせたことに、ほっと胸を撫でおろす。だがフーリエの表情からは険しさが消えない。
「何か懸念でもあるのか?」
「これで我々もアルト領と同じ戦力を手に入れましたが、相手も同じ力を持っています。正面から衝突した場合に、確実な勝利を保証できない」
「随分と弱腰だな。以前の大口はどうした?」
「グスタフ公ですら、あの警戒ですからな。さすがの儂も慎重になるというもの」
だからこそ理想はアルト領の千人を奪えることだった。元の地力に差があるため、負けることは十中八九ないが、敗北の確率はゼロではない。
「それなら問題ない。こちらには秘策があるからな」
「秘策?」
「彼らの存在だ」
ベッドで意識を失っている三人を指さす。彼らこそがハラルドの用意した秘中の策だった。
「この診療所でも最高級の病室を用意させたほどです。他の負傷兵たちより優遇されていることから、只者ではないと予想していましたが……どこの誰なのですか?」
「三名共、王国の英雄たちだ。名前を聞けば、お前でもピンと来るはずだ」
フーリエは三人の顔をジッと見つめる。最初に心当たりを得たのは赤髪の男についてだった。
「燃えるような赤い髪……もしや『龍殺しの騎士ジェスタ』ですか?」
「正解だ。ちなみに老人は『千人斬りのリュウ』、銀髪の少年は『金剛砕きのテフ』。ジェスタに負けず劣らずの怪物たちだが、残念ながら呪いで意識を失っている」
「呪いですか……なるほど。話が読めました。聖女の力で彼らを癒すのですね?」
「三名の英雄たちを復活させれば戦力は十分。フーリエ領の勝利は確実になる」
「さすがは王子。素晴らしい計画だ」
「そうだろうとも。後はリーシャが来るのを待つだけだ」
「それは楽しみですなぁ」
だが約束の時間になっても、リーシャは訪れない。三十分、一時間と時計の秒針だけが刻々と進んでいく。
二時間が経過した頃、廊下を歩く音が聞こえてくる。扉を開いて現れたのは、忘れられない憎き顔。黄金を溶かしたような金髪と、海のように澄んだ青い瞳の悪女、リーシャであった。
「王子様、お久しぶりぃ♪」
「リーシャ、俺を待たせるとはどういう了見だ?」
「だって仕方ないじゃない。お化粧に手間取ったのぉ」
「うぐぐぐっ」
「それはそうとー、もしかして王子様、私と寄りを戻したいのぉ」
「そんなわけあるかっ!」
「恥ずかしがらなくてもいいのにぃ」
リーシャは流れるような動きでハラルドに抱き着こうとするが、それを軽やかな動きで躱す。腐っても元軍人だ。貴族の令嬢に捕まるほど、身体能力は低くない。
「王子さまったら、意地悪なんだからぁ」
「勘違いしているようだから、はっきりと伝えておく。俺はお前が嫌いだ」
「あんなに愛を囁いてきたくせにぃ」
「あの時はお前の本性を知らなかったからだ!」
リーシャと話すたびに、怒りが沸々と湧いてくる。同時にクラリスの魅力を改めて再認識する。彼女ならば、こんな風に男に媚びるような真似はしないからだ。
「おい、貴様、リーシャとかいったな」
「誰、このオジサン?」
「儂はフーリエ領の公爵だ」
「お金持ちなの?」
「当然だ! ふん、丁度いい。儂の愛妾にならぬか? 金ならいくらでも出すぞ」
「えー、どうしようかなぁ。でもやっぱり駄目ぇ。私、不細工な人って生理的に受け付けないのよねぇ」
「き、貴様、儂を誰だと思っているのだ!」
「怖―い。私、もう帰ってもいい?」
「駄目だ。お前にはやってもらうことがある」
意識を失っている英雄たちの元へとリーシャを連れて行く。眠る彼らの顔を見た瞬間、彼女の表情に華が咲いた。
「それぞれタイプが違うけど、イケメンさんたちだぁ」
「こいつらを治すのがお前の役目だ」
「回復魔法は疲れるからやだなぁ」
「我儘を言うな。後で褒美は出す」
「もぉ、王子様のお願いだから特別ね」
リーシャは英雄たちの手をかざす。全身から魔力を放ち、奇跡の治癒力を発現させる。眩しい輝きに包まれていくが、一見すると、彼らに変化はなかった。
「治ったのか?」
「私じゃ無理だったみたい♪」
「どういうことだ?」
「回復魔法は万能じゃないから、擦り傷や、風邪くらいしか治せないのぉ。呪いだったらもしかしたらと思ったけど、やっぱり駄目だったみたい」
「摺り傷や風邪って、クラリスは無くした腕さえ復元していたぞ」
「お姉様は別格だもん。歴代最高の癒しの力があるから治せたのぉ」
「つまりリーシャは役立たずということか?」
「ひっどーい。女子力ならお姉様より私の方が上だもん」
頬を膨らませるリーシャだが、ハラルドたちは現状に絶望していた。頼みの綱の聖女の力が役に立たなかったのだ。それは即ち、アルト領と戦うための戦力を得られなかったことを意味する。
「出ていけ」
「え?」
「お前はもう用済みだ。失せろ」
ハラルドはリーシャを病室から追い出す。残された二人は気まずそうに視線を交差させる。
「駄目だったものは仕方ない。諦めてくれ」
「それはないですよ、王子。負傷兵たちはどうするのですか!?」
「受け入れを認めたはずだぞ」
「そ、それは、聖女の癒しの力があるからで」
「だが認めたことには変わらない。つまり負傷兵の面倒を見るのは、お前の役目だ」
「それでは詐欺ではありませんか!?」
「知るか。俺は関係ない。関係ないんだああああっ!」
ハラルドは叫び声をあげながら、病室を飛び出す。裏目に出た結果を認めたくないと、苦悩で顔を歪ませるのだった。
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