第二章 ~『大量の手紙と評判の悪化』~


 ハラルドは私室で山のように積まれた手紙に目を通していた。読み終えると、怒りをぶつけるようにクシャクシャに丸めて、ゴミ箱に放り投げる。


 この一連の流れを既に百通の手紙に対して行っていた。まだ九百通の手紙が残っており、読むのが億劫になる。


「元負傷兵の分際で俺を馬鹿にしやがって」


 手紙の内容は罵詈雑言の嵐である。


 『無能な王子は弟の爪の垢を煎じて飲ませてもらえ』だの、『どの面下げて、俺たちに手紙を送ってきたのか見てみたい』だの、心を刺すような言葉が綴られていた。


「クソッ、読まずに内容が分かれば良いのだが……」


 ハラルドが馬鹿正直に手紙に目を通しているのは、この中に王家への忠誠心が厚く、フーリエ領への移住を同意する者が混ざっているかもしれないからだ。


「王子、失礼します」


 部下の男が追加の手紙を運んでくる。荷台に積まれた手紙の山は千を遥かに超えていた。


「多すぎるぞ。いったい誰からだ」

「すべて元負傷兵たちの手紙です。どうやら一人で複数の手紙を送ってきた者もいるようです」

「一人で複数か……熱意を感じるな」

「特にこのクルツという男は凄いですよ。一人で百通ですから」

「クルツといえば、元負傷兵たちの代表格の男だな。なるほど。そういうことか」

「何か分かったのですか?」

「クルツという男だけは俺の価値を理解しているのだ。プレゼントの薔薇も一輪より花束の方が誠意は伝わるように、大量の手紙で称えようという腹積もりなのだ」

「さすがは王子。人望の厚さは王国一ですね」

「そうだろうとも……よろしい。お前も手紙の確認作業を手伝え。そして俺の素晴らしさを同僚の兵士たちに広めるのだ」

「は、はい」


 部下の男は手紙を開封し、中身を確認していく。だが彼の顔色は見る見る内に青ざめていく。


「お、王子、私はこの手紙を本当に読んでもよいのでしょうか?」

「俺を賞賛する言葉が書かれていたのだろう。人に見られるのは照れてしまうが、特別に許可してやろう」

「い、いえ、あの……」

「どうかしたのか?」

「いえ、なんでもありません」


 部下の男はクルツの手紙を開封しては中身のチェックを繰り返していく。そんな最中、彼は突然に笑い出した。我慢しようと努力しているのか、腹を押さえて、必死に耐えている。


「どうした? ユーモアのある賞賛でも書かれていたか?」

「い、いえ、その……」

「俺にも見せてみろ」

「あっ」


 部下の男から奪い取った手紙には予想と正反対の内容が記されていた。


『王子へ。我々、元負傷兵は馬鹿の下で働くつもりはない。聞いたぜ。聖女の娘さんとの婚約を破棄したんだってな。人を見る目のないあんたは王の器じゃない。二度と王族を名乗らないでくれ』


 ハラルドは怒りで唇を噛み締める。だが手紙を読むのを止めるわけにはいかない。部下に読まれた以上、何と書かれていたかを知る必要がある。


『追伸、どうせこの手紙も部下に読ませているのだろ。おい、手紙の前のあんた。アルト領は働きやすくて最高の場所だぜ。もし馬鹿の元で働くのが嫌になったら、いつでも連絡をくれよな。優秀な王国兵なら大歓迎だぜ』


 ハラルドは手紙を読み終えると、ビリビリに破り捨てる。怒りで眉根に皺が刻まれていた。


「クソおおおおっ、元負傷兵のくせにふざけやがって!」


 クルツが大量に手紙を送ってきたのは、ハラルドが本人ではなく、部下に読ませると行動を予想したからだ。彼の評判を落としつつ、部下の引き抜きまでする。掌の上で踊らされていたと知り、怒りの声を我慢できなかった。


「おい、このクルツとかいう男、不敬罪で捕縛できないのか?」

「相手は貴族の出自です。それに……アルト公爵は彼らを庇うでしょうから」

「うぐっ」


 王族と公爵が正面から対立関係になるのは、王家の支配が揺らいでいる証拠になる。馬鹿にされたくらいで、そこまでのリスクは背負えない。


「どいつもこいつも、なぜ王子である俺の命令に従わないのだっ……いや、それよりも問題はフーリエ公との約束だ。千人分の兵力を用意できなければ、約束を違えることになる」


 会議の場での発言だ。大臣やグスタフ公も約束を聞いている。今更できませんでしたとは言えない。


「どこかに余剰の兵はいないのか?」

「優秀な戦力は帝国との戦争に駆り出されていますからね。待機しているのは怪我人ばかりです」

「負傷兵か……いや、待てよ」


 帝国との戦争は日々、大勢の怪我人を生んでいる。アルト領に押し付けた負傷兵以外にも、動けない者は大勢いるのだ。この待機している負傷兵を活用する手段をハラルドは思いついた。


「その負傷兵の傷を治せば、十分な戦力として使えるよな」

「ですが王子、クラリス様はアルト領の人間です。フーリエ領のために、傷を癒すことはしないのでは?」

「ふふふ、誰がクラリスに頼ると言った。聖女ならもう一人いるだろう」

「なるほど。リーシャ様ですね!」

「あの女に頼るのは癪だが、背に腹は代えられない。フーリエ領まで来るようにと連絡しろ」

「はい」


 ハラルドは口元に小さな笑みを浮かべる。聖女と聖女。互いの持ち駒が同じなら、弟に後れを取ることはないと自信が表情に現れていた。


「待っていろよ、アルト。俺の方が優秀だと証明してやるから、首を洗って待っていろ」


 だがハラルドは忘れていた。リーシャがただの聖女であることを。そしてクラリスが歴代最高の聖女であることを失念していたのだった。

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