第二章 ~『フーリエ公の横暴』~


 クラリスは窓から見える内庭の景色に心を奪われていた。キラキラと露に濡れた芝生が輝き、庭の中央には四阿まで設置されている。嫁いで来た頃の荒れ放題だった庭からは想像できない光景だった。


「これも使用人の方々が増えたおかげですかね」

「だろうな」


 隣に立つアルトも庭の美しさに見惚れていた。二人は心の中で使用人たちに感謝する。


「でもどうして急に使用人の数を増やしたのですか?」

「魔物バブルで経済が潤っているだろ。予想以上に税収が多くてな。貯蓄していても経済は回らない。雇用を生み出すために庭師を採用したのだ」


 公共事業を含め、人に働く場を提供するのも領主としての役割の一つだ。人は仕事があれば、自分にプライドを持てる。庭師の採用も自分のためというより、領民への奉仕活動の一環だった。


「庭師だけじゃないぞ。実は屋敷も増築中でな。いつかは兄上の住む王宮に負けない立派な屋敷にしてみせる」


 アルトはクラリスに愛されていると実感していた。しかし醜さのコンプレックスを抱き続けてきた過去のせいで、どうしても不安を拭いきれなかった。


 クラリスを繋ぎ止めるために、兄であるハラルドに負けたくないと、無意識で対抗心を燃やしていたのだ。


「アルト様、あまり私のために無理をしないでくださいね」


 だがそんな心情をクラリスは見抜いていた。自分のために努力してくれる彼を、より一層愛おしく感じる。


「もちろんだ。それにクラリスのためだけじゃない。立派な屋敷は公爵としての威厳を保つのに役に立つ。特にこれから訪れる客のような人物を相手にする場面ではな」


 噂をすれば影。屋敷の門を叩く音が聞こえる。待っていた客が訪れたのだと察する。


「私は出迎える準備をする」

「では私が応接室までお連れしますね」


 クラリスはアルトと別れ、玄関先に顔を出す。丸々と梨のように太った男性が、部下の護衛たちを従えていた。


 一見して貴族だと判別できる容貌だ。派手派手しい朱色の外套を纏う彼は、ニチャっと下卑た笑みを浮かべながら、使用人たちを怒鳴りつける。


「おい、儂を誰だと思っている。王国で序列第六位、フーリエ公爵様だぞ。アルト公爵をさっさと呼び出せ」


 フーリエの怒りを受けて、使用人たちはビクッと肩を震わせる。貴族はすべからく魔法使いである。圧倒的な強者のピリピリとした空気は、獅子と同じ牢屋の中にいるような錯覚さえ覚える。


「私がご案内します」


 クラリスが顔を見せると、使用人たちは安堵の息を零す。彼女に任せておけば安心だと、彼らは自分たちの持ち場へと戻った。


「アルト様は応接室でお待ちです」


 クラリスが先導する形で赤絨毯の敷かれた廊下を進む。窓からは内庭の美しい光景が広がっていた。


「ほぉ……素晴らしいな」

「庭の美しさに心を打たれますよね」

「そうではない。素晴らしいと表現したのは、貴様のことだ。どうだ? 儂の愛妾にならないか?」

「え、わ、私がですか!?」

「ふむ。悪い話ではあるまい。儂は公爵だからな。金も潤沢に与えよう。どうだ?」

「も、申し訳ないのですが、私には好きな人がいますので」

「誰だ、そいつは。金の力で黙らせてやる」

「あ、あの……」

「いいからっ、儂のモノになれ」


 フーリエはクラリスの腕を掴もうと手を伸ばす。しかしその手が届くことはなかった。アルトが庇うように、その手を遮ったのだ。


「待っても来ないから何か起きたのかと様子を見に来て正解だったな」

「アルト様!」

「私の後ろに下がっていなさい」


 アルトがギュッと鋭い視線を向ける。鬼のように恐ろしい表情に、フーリエはゴクリと息を呑んだ。


「こやつは貴様の愛人か?」

「私の花嫁だ」

「なるほど。つまりこやつが尻軽聖女か」

「私に喧嘩を売っているのか?」

「なんだ、その言い草は。儂は公爵だぞ」

「それならば私も公爵だ。立場は同じだと忘れてもらっては困る」

「いいや、貴様と儂では格が違う。七つの公爵家の中でも最弱の貴様と、序列第六位の儂では、同じ公爵でも明確に権力に差があるのだ」


 公爵の言葉の節々には、アルトを見下すようなニュアンスが込められていた。大切な主人を馬鹿にされて、クラリスもムスッと頬を膨らませる。


「まぁいい。貴様の無礼は、儂の要求を呑むなら許してやろう」

「要求?」

「貴様の領地から魔物の加工品が流れてきておる。そのおかげで貴様も儲けたはずだ。その金を儂に返せ」

「はぁ?」


 何も後ろめたい事のない正式な商業活動で得た金を返せとの要求に、アルトは眉を顰める。だがその要求は当然だと言わんばかりに、フーリエは脅し文句を続ける。


「王国一の豊かな農場を持つフーリエ領を敵に回す覚悟はあるのか?」

「それは……」

「領民も大勢苦しむぞ。金を払い、土下座するなら許してやろう。どうする?」

「私は……」


 もしフーリエ領を敵に回せば、食料の供給を止められる可能性もある。そうなれば貧しい暮らしを領民たちに強いることになる。


 領主としての覚悟を決め、土下座しようと膝を折る。だがその動きは途中で止まった。フーリエが許されざる言葉を口にしたからだ。


「ついでに尻軽聖女も儂が貰ってやる。厄介者の処理もできるのだ。儂に感謝するんだな」

「――――ッ……ないッ」

「なんだと?」

「クラリスを馬鹿にする者を私は許さないッ!」


 理性よりも先に手が動いていた。放たれた拳がフーリエ公爵の鼻を潰す。鼻血を撒き散らしながら、ブヨブヨの肉体が廊下を転がった。


 だがフーリエは魔力を宿す貴族である。素手での殴打では致命傷にならない。ゆっくりと立ち上がると、怨嗟の視線をアルトへと向けた。


「き、貴様、儂にこんなことをして無事で済むと思うなよ」

「覚悟の上だ」

「クソッ、儂は不愉快だ。帰るぞ!」


 護衛の兵士たちを引き連れて、フーリエは逃げるように屋敷を後にする。クラリスを巡る騒動がまた一つ新たに始まったのだった。


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