第一章 ~『新しい診療所の設立』~
慌ただしい日々が過ぎていく。アルトは領地の運営を、クラリスは診療所で治療の仕事に専念していたからだ。
だが二人の仕事がどれだけ忙しくとも、一緒にいる時間は必ず取るようにしていた。朝食を囲みながら、雑談に華を咲かせる。
「今日の服も似合っているな」
「エリス様が届けてくれたのです。公爵様が選んでくれたのですよね?」
「君に似合うと思ってな」
「ありがとうございます。ですが無理はしないでくださいね」
アルトは外出する度に、クラリスへの土産を買ってくるようになった。昨日は服を購入し、一昨日はブローチ、さらにその前は靴だ。
贈り物が毎日のように届くと、遠慮の塊である彼女は、さすがに気が引けてしまう。そろそろ止めさせないといけないと説得を試みるのだが、いつも笑って流されてしまうのだ。
「誰かが来たようですね」
「この扉の叩き方はエリスだな」
アルトとクラリスは二人で玄関まで向かう。そこには予想通りエリスと部下の女性たちの姿があった。
「本日も贈り物を届けに参りました」
「エリス様、私はもう必要ありません」
「ですがこの品は、アルト様が『これはクラリスに似合うだろうか』と懸命に選ばれた品ですよ。その好意を無下になさるおつもりですか?」
「え……っ、そ、それは、その……」
「ということなので、贈り物を部屋まで届けさせていただきますね。案内をクラリス様にお願いしても?」
「わ、分かりました。ですが、私はもう十分ですから。次からはなしでお願いしますね」
クラリスは荷物を運ぶ女性たちを手伝いながら、自分の部屋へと案内する。残されたエリスとアルトは視線を交差させた。
「お願いされていた調査の件ですが、ここに報告書を纏めました」
「ご苦労。いつも助けられてばかりだな」
「いえいえ、公爵様のご依頼ですから。それよりも注意してください。クラリス様の人生は予想以上に苛烈です」
「覚悟しておこう……」
調査報告書に視線を落とす。
男爵家の令嬢として生まれたクラリスは、双子の妹であるリーシャばかりが可愛がられ、使用人以下の生活を過ごしていた。
家族からは無視され、食事も満足に与えられない。それでも前向きに生きてきた彼女は十五歳の頃、聖女として戦場へと送られる。
これは本来ならありえないことだ。粗暴な男の多い戦場に年頃の娘を送るなど、狼の群れに羊を送るに等しいからだ。
だがこれには裏があった。聖女の治癒力に期待した王国軍が契約金を男爵家へと支払ったのだ。その金額は金貨千枚。安くない額だが、娘を本当に愛しているなら、はした金に等しい金額だ。普通の親なら断るだろう。
「はぁ~、駄目だ。気分が悪くなりそうだ」
大切な人の悲惨な過去は自分のことのように辛く感じる。気づくと調査報告書を握りしめていた。
「悲惨な人生を過ごしながら、あんなに優しい性格に育てたのは奇跡ですね」
「私の自慢の婚約者だからな」
「だからこそ、私も協力したくなりました」
「協力?」
「本日の用件はもう一つあるのですよ――噂をすれば影ありですね」
贈り物を自室へと運び終えたクラリスが戻ってくる。その表情には申し訳なさが浮かんでいた。
「アルト様、今回もまた高価な贈り物でしたね。ダイヤの散りばめられたネックレスなんて、無くすのが怖くて付けられませんよ」
「だがきっとクラリスに似合うぞ」
「だとしても、これっきりにしてくださいね……あと、ありがとうございました……気持ちは嬉しかったです」
クラリスに感謝されるだけで、贈り物をした甲斐があったと思える。心がポカポカと温かくなっていった。
「では今度は私から贈り物をさせてください」
「エリス様、私はもう……」
「勘違いしないでください。私が贈るのは宝石が散りばめられた装飾品ではありません。あなたにプレゼントしたいのは診療所です」
予想の斜め上の回答に、クラリスは頭の上に疑問符を浮かべる。
「ふふふ、クラリス様が困惑するのも無理はありません。ですが、現在の診療所は大きな課題を抱えています。それは治療を受けられるのが、高所得者のみだという点です」
診療所はキャパオーバーであり、患者の数が増える一方だ。だからこそ患者は選別され、高額な治療費を払える者だけが優先されている。
「私は誰もが治療を受けられる場所を提供したいのです。そのためにクラリス様の癒しの力をお借りしたい」
「私の力をですか?」
「薬師による治療では怪我人を癒すのに時間がかかります。しかしクラリス様なら魔力さえあれば、一瞬で癒すことができます。つまり治療の回転率を上げることができるのです。聖女様による診療所なら大成功間違いなしです」
客商売にとって回転率は重要なファクターだ。診療所が多少手狭でも、一人に必要な時間が少なければ、大勢の客を捌くことができる。
薄利多売とすることで、一人当たりの治療費が少なくても診療所の運営が成り立つようになる。お金のない農民でも治療を受けられるようになるアイデアだった。
「この提案はクラリス様にとっても有意義なはずです。如何でしょうか?」
「大勢の人を救うことができるなら、それは私も望むところです。しかし問題があります」
「問題?」
「私の魔力量には限りがあります。一日に治療できるのは数十人が限界なのです」
魔法はエネルギー源となる魔力を基にして発動する。その力が有限である以上、救える命には限りがある。だが想定通りだと言わんばかりに、エリスの顔が商売人になる。
「そこで魔力を回復するためのエリクサーを我がエリス商会が提供させていただきます。ただし無料ではありません。しっかり料金は頂きます」
「でも私にそんなお金は……」
「いるじゃないですかー。大金持ちのスポンサーが」
エリスとクラリスの視線がアルトへと向けられる。何を言わんとしているか察するのは容易だ。
「だ、駄目です。これ以上、アルト様に甘えるわけにはいきません」
「ちなみにエリクサーの金額はどれくらい必要なんだ?」
「それはもう高額ですよ……ただ……あらあら、偶然。公爵様がクラリス様に贈っていたプレゼント代と同じ金額ですね」
「アルト様っ! 私、高価な服や宝石はいりません。その代わり……いえ、やはり何でもありません……」
本心では多くの人を救いたいと願いながらも、アルトに迷惑をかけられないと、クラリスは遠慮する。だが残念そうに俯く彼女の表情を曇らせたままにはしておけない。
「本当に商売上手な女だな」
「ということは?」
「エリクサーの購入費用はすべて私に請求しろ」
「それでこそ公爵様です」
エリスにまんまと乗せられた形にはなったが、喜びで口元を緩めるクラリスを見て、悪くない出費だとアルトは満足するのだった。
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