第一章 ~『公爵と朝食』~
窓から差し込む光でクラリスは目を覚ます。診療所から屋敷へと戻った彼女は、疲れてそのまま眠ってしまったのだ。
「フカフカのベッドのおかげで、体調が良好ですね」
クラリスに割り当てられた部屋は、手入れされておらず埃が被っていた。だが部屋そのものは広く、調度品も高級品ばかりだ。
「私には勿体ない自室ですね」
王宮でも王子の妃として割り当てられた部屋ではなく、使用人用の個室を使っていた。贅を凝らした空間にいると、緊張で寛げなくなるからだ。
貴族の娘でありながら、平民のような感性を持つに至ったのは、生い立ちが影響している。
根暗で、両親から嫌われていたクラリスは、自室を与えられなかった。暗い倉庫の中で、備蓄食料や、ネズミに囲まれて過ごす毎日。眠る時も毛布一枚で寒さを凌いできた。
だからこそ恵まれた生活に慣れることができない。良家の娘として生まれながら、気品ある振舞いができないことを恥ずかしいと感じていた。
「ふふふ、アルト様に朝食を作ってさしあげましょう」
身支度を整え、主である公爵の役に立とうと、部屋を飛び出す。すると、食欲をそそる香りが漂ってきた。
釣られるように匂いの元を訪れると、ダイニングに二人分の食事が用意されていた。
「うわぁ~美味しそうですねぇ」
焼きたてのデニッシュと燻製肉の塩漬け。白身魚のムニエルに、果実を絞ったジュースが白いテーブルクロスの上に並んでいる。
「もしかしてこの朝食はアルト様が作られたのですか?」
「調理人も私の顔を見て逃げ出したからな。仕方なくという奴だ……そんなことより、冷めてしまうぞ。早く食べろ」
「は、はい」
椅子に座り、ナイフとフォークを手に取るが、宙で固まってしまう。満足に教育を受けていないクラリスは、テーブルマナーを間違えてしまわないかと不安になったのだ。
「どうした? 手が止まっているぞ?」
「それはその……食事のマナーが悪くても笑わないでくださいね?」
「そんなことを気にしていたのか」
ふっ、と小さく笑みを零すと、アルトは手掴みで燻製肉を口の中に放り込む。敢えて粗野な食事方法を示すことで、彼女に失敗する恐怖を忘れさせたのだ。
「ふふふ、やっぱりアルト様は優しいですね」
「か、揶揄うんじゃない」
「本心なのですよ。あなたは心根の綺麗な方です」
微笑みを浮かべながら、白身魚を口に入れる。舌の上で広がった旨味に、驚きで目をパチパチと開閉する。
「こんなに美味しいお魚は初めてです」
「ふふふ、そうだろうとも。我がアルト領の自慢の特産品だからな。そこに私の料理の腕が加われば、舌が喜ぶ絶品となる」
「アルト様は料理がお好きなのですね」
「まぁな。ただ人に食べて貰えたのは初めてだよ。今まで醜男の作る料理など口にできないと、振舞っても拒絶されていたからな……だからこそ君に食べて貰えて嬉しいよ。作り甲斐があった」
満足げにアルトは食事を進める。釣られるように、彼女も料理に舌鼓を打った。食卓を囲む一体感は二人の心の絆をより強くしてくれる。
「美味かったな」
「ご馳走様でした」
テーブルの上に並んでいた皿は空になっている。少食のクラリスも食べ過ぎてしまうほどに美味だった。
「皿洗いは私に任せてくださいね」
せめてそれくらいは役に立たなければと立候補するが、アルトは首を横に振る。
「私が料理を提供したのだ。皿洗いも私がやろう」
「ですが公爵様が皿洗いなど」
「そこは心配するな。何も井戸の水で洗おうというわけではない」
アルトは手の平に魔力を集約する。魔法発動の気配を放つと、奇跡の力が発現する。
皿が宙に浮かび、水球に包まれる。ピカピカに磨かれた皿は自分の意思でもあるかのように、食器棚へと収まった。
「これがアルト様の魔法……」
「自然を操ることのできる魔法だ。王族の血筋を引く者にしか扱えない希少な力だが、普段は家事くらいにしか役立たない」
貴族は生まれながらに固有の魔法を扱うことができる。その力は血筋によって異なり、クラリスの一族は回復の力を有している。
より攻撃性の高い魔法を持つ血筋ほど、より高位の爵位を得ている。最高位である王族ともなれば、その強靭さは比類する者がいないほどだ。
「なぁ、今日の予定は空いているか?」
「診療所も休暇ですし、特に予定はありませんね」
「なら丁度いい。服を買いに行くぞ」
「ですが私は……その……」
「どうかしたのか?」
「お金がありませんので……」
宮廷を追放されたクラリスには持ち合わせのお金がなかった。だがそんな悩みをアルトは一蹴するように笑う。
「ははは、私は公爵だぞ。婚約者に金を払わせるものか」
「ですが……」
「それに私は伝えたはずだぞ。君と兄上の恋を応援するとな。その見窄らしい格好では、君がどれほど魅力的でも振り向いてもらえないぞ」
人の価値は服装では決まらない。だが農民のような恰好をしていては、その価値が霞んでぼやけてしまう。
「でもやっぱり……」
「問答無用。さぁ、出かけるぞ」
遠慮するクラリスを連れて、アルトたちは街へと向かう。彼の口元には何かを期待するような笑みが浮かんでいるのだった。
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