a baggage locker─私がママになった日─

遊月奈喩多

第1話 契機は発散、好奇が発端

 突然だが、コインロッカー・ベビーというものをご存知だろうか?

 これはいわゆる都市伝説で、生まれた子を育てる術のなかった母親が我が子を駅のコインロッカーに捨てるところから始まる。数年後、偶然その場所を通りかかった母親はコインロッカーの前で小さな少女が泣いているのを目撃する。何気なく『どうしたの?』と尋ねた彼女に、少女は答えるのだ。


『ママがいないの』

『迷子?』

『ママがいないの』

『お母さん、どんな人?』


 伝わる国や地域によって細かい違いはあれど、大体はこのようなやり取りで話は進み、最後の最後に少女が見るもおぞましい形相で、

『ママは……お前だァァァッ!!』

と、魂の限り叫ぶくだりがお約束である。

 コインロッカーに取り残された赤子が数年後母親の前に現れる都市伝説、コインロッカー・ベビー。この後の展開は多岐にわたるが、メジャーなものはそのまま母親が少女に取り殺されるものと、少女の叫びから始まる呪わしい歌を母親がヘッドバンギングと共に聴き終え、成仏する様を見届けるものだろう。

 何にせよ、自分のしたことはいずれ返ってくるという類いの話なのだと思う。今のところ私には縁のない話ではあるが、ついつい駅前のコインロッカーを見かけると意識してしまう。


 そんな都市伝説と縁を持つことになったのは、転活に疲れきって深夜徘徊をしていたときだった。

 私のことをやたら目の敵にして、『激臭げきくさ、よわよわ、雑魚雑魚』などと言って足蹴にしたりプライベートなことでからかってきたり、更には私の携帯を盗み見て近所の子どもたちの写真を殊更に騒ぎ立てたりする新卒社員たちに苦しめられ、とうとう信頼していた上司が『このアングルの盗撮はまずいよ』とそちらの肩を持つようになった頃から、私は転活を始めた。あそこはもう職場ではない、私を排斥して犯罪者に仕立て上げようとする悪の巣窟なのだ。

 とはいえ転職も楽ではない。ただでさえ人と話すのが苦手なのに、面接のような場で自分を売り込むのなんて、生まれもった命しか持たないただの人間が無垢と魔性とを兼ね備えた少女たちに抗おうとするようなものだ──当然勝ち目などない。

 何社も落ち、正社員を諦めてアルバイトに応募してもなかなか採用されず……そのうちいろいろどうでもよくなり、少しずつ求人サイトを見ない日が増え始めていた。幸いなことに金なら貯まっているから、当分は働かなくても暮らしていける。そういう状況も、転活離れに拍車をかけたのかも知れない。


 その日も私は深夜2時くらいに家を出て、近所を歩き回っていた。職員室だろうか宿直室だろうか、ひと部屋だけ明かりのついた小学校や、若手のホストかと思う服装の男が地面に座って項垂れている飲み屋街を通り抜ける。酔っているのか、意味のわからないことを喚いていたので、足早に通り過ぎた。

 終電もとっくに終わっている時間だからか、さかりのついた猿のように騒ぐ集団が駅前通りで踊り狂っている。それぞれが自由に様々な形式、様々な民族のダンスを踊っていて、確かに見ごたえはあったが、如何せんうるさ過ぎる。聞き慣れない言語の歌には興味があったが、やはり立ち止まってはいられなかった。

 駅前通りから少し離れて、もう少し行ったらパブが見えてくるという駐車場に設置されたコインロッカー。たまたま通りかかったその場所で、ひとりの小さな女の子がうずくまって泣いていたのである。

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