N13C3 プレイヤー

 翌日。


「おはよう。夜のうちに話が進んだぞ。予想通り中山がクソ男らしい」

「早。もうこっちで通報しちゃえばいいか」

「よくないぞ。証拠もなしには警察は動かん。見つけるとかでっちあげるとかは面倒で危険と分かりきってる。現行犯で楽するぞ」


 うがいと洗顔と着替え。朝の日課はすぐに済んだ。朝食の後に計画と道具を確認する。


 机に三つの道具を並べた。小型のパソコンと、マイクと、無線イヤホン。


「オペレーターをやってもらう。私と、吉田という大学生の間の連絡を任せるぞ」


 蓮堂は計画を共有した。夜のうちに決めていた話だ。


 今夜は飲み会をする。吉田が幹事となり、峯崎やその友達と共に騒ぐ。帰りを夜更けにして隠れやすい舞台に無防備な足取りの弱った女を見せる。ここを襲えと誘導する。暗闇は狩りに最適な場だ。自分が猟犬だと思っている羊は特に忠実に踊る。


 峯崎の上着を借りた吉田が走れば偽物と気づくには時間が足りない。逃げ場がない袋小路に誘い込み、その場で好き放題にできる権力を与える。その外側から重箱の隅までつつく。


 中山はメモを用意している。盗聴器で悠々と集めるには困難な記録がある。信用を演出したつもりが、現地にいる情報となった。


「やるよ。マイクはボタンを押して話すタイプだよね」

「そうだ。左を押してる間は私に、右を押してる間は吉田に声が届く。同時に押してもいい」


 イヤホンをつけて聞こえ方を調整する。この後で蓮堂が吉田と接触して、連絡用に渡す。


「電波とか諸々の処理はパームトップが勝手にやる。台本や地名のメモなんかもある」

「オッケー。いつもみたいな使い方でいいよね」


 これまで動画やら攻略サイトを読むやらで繰り返した操作だ。遊ぶためにパソコンを使えば他の使い方にも応用できる。キーボードだけで入力も画面の切り替えも自在に扱える。


 遊びや仕事を区別したがるのは人間だけで、機械にとっては等しくデータ処理だ。表示したグラフィックが魔王なのか散布図なのか、人間だけが違うカテゴリとして読み取る。


「頼れるようになった」

「ありがと。もう出発する?」

「そうだな。昼は適当に食べててくれ。本番は夕方からだ」





3章 現実の経験

N13C3 プレイヤー





 蓮堂から吉田に無線イヤホンを渡す。ただし、受け渡しを中山に知られない形で。


 場所は神保町駅のトイレを選んだ。新宿方面ホームの女子トイレの奥の個室。吉田の到着は九時四十分ごろに来ると言う。


 デッドドロップ、古来より秘密の受け渡しならこの手に限る。蓮堂が小箱を置いて立ち去り吉田が中身を持ち去る。最初から自分の忘れ物だったかのように持ち物にした。


 これでリナを経由して話ができる。


「吉田です。聞こえますか?」


 マスクのおかげで口元を隠したまま、ハンズフリー電話のおかげで何も兆候を見せずに。


「こちら蓮堂の助手のリナと申します。初めまして。今日はよろしくお願いします」


 台本の通りに、きっとはっきりのつもりで喋る。両者の声は蓮堂にも届いている。


「こちら蓮堂。中山を視認した。場所はマクドナルド横の横断歩道」


 リナが両者の声を耳で聞き分けるために二台のスピーカーで分担している。人間の耳は音の方向を絞って取り出せる。カクテルパーティー効果として知られる能力だ。


「了解、吉田さん、聞こえましたか」

「聞こえます。別の道でキャンパスに行きます」


 小さな笑い声らしき音が混ざった。


「今の私たち、映画の主人公みたいじゃないですか?」


 緩んだ言葉に、探偵事務所の面々も示し合わせたような返事をした。


「こちら蓮堂。かっこいいだろ。逆なんだよな。映画が私たちみたいなんだよ」

「こちらリナ、実は私もテンション上がってる」


 吉田は髪の下にイヤホンを隠して、蓮堂は左だけのイヤホンを見せて、夕方の実行を待つ。


 蓮堂が好きな言葉。『人生はゲームだ。重要なのは、自分がプレイヤーなのか駒なのかってことだけさ』まさに今の状況だ。蓮堂も今だけは駒として動く。


 吉田の会話すべてが筒抜けになるが、本人の了承を得ている。キャンパス前ですれ違い際に互いの顔を交わす。


 蓮堂はいつものパンツスーツで、この地域ならオフィス群の新入社員か取引先らしく周囲に見せる。化粧も新人らしい印象を引き立てる。内ポケットの薄型双眼鏡で目立たない位置から中山の動向を監視する。


 空き時間に吉田以外の友人グループとも顔を合わせた。計画の概要を伝えて、詳細は吉田のグループチャットに任せる。はなまるうどんを美味しくいただく。


 そして夕方。


 吉田からの連絡で計画通りと知る。峯崎を含むグループで居酒屋へ向かい、中山はその後を尾けて、蓮堂は中山を尾ける。二重尾行の形になる。


 居酒屋は路面店で、人通りはぼちぼち、車はなかなか通らない。出口から見ると道は左右に続き、脇道は暗く閑散としている。


 グループが入って以降の中山はその脇道でスマホを見ている。紺色のコートが暗闇に溶けてスマホの光は電柱で隠す。扉が開けば音で気づく。


 店選びは蓮堂が協力した。ストーカーに有利な場所を選び、事前の調査をしていれば中山は大喜びで乗る。能力には一定の信用がある。


 ここで都合が良すぎて警戒するなら蓮堂が出る。


「リナ、継続だ」

「オッケ。想定は?」

「何もない。全てがてのひらの上だ」

「すごすぎ。伝えるね」


 吉田の周囲にある流れを聞きながら聞く余裕がある状況でリナが指示を送る。注文を終えて音頭を取り、今日の飲み会を取り付けたそれらしい理由を語る。


「道の状況を見た。経路は左・右・左で行け」

「りょ。さっきのはもう伝えてる」


 準備は揃えた。居酒屋の店主にも話を通してある。あとは吉田の実行を待つ。峯崎の上着と鞄を借りて走る。ただし、全力ではいけない。早歩き程度で追いつけるように。


 中山は変わらずスマホを見ている。蓮堂の双眼鏡の先で指を使わないので連絡やメモ以外の何かだ。動画でも見ているか、中の動向を確認する準備か。扉が開くたびに居酒屋側に注意を向ける。スマホを使うふりとも考えられる。


 蓮堂は指で挑発の動きをした。場所は反対側の脇道かつ中山と同じく暗闇に溶ける。肉眼で見えず、もちろんライブカメラの死角だ。自前のカメラの有無を確認した。


 結果は行動なし。やはりイレギュラー要素はない。


「蓮堂。吉田さんがもうすぐ出る。さん、に、いち」


 出入り口が開き、峯崎に扮した吉田が小走りで横切った。中山もその姿を見た。正確な姿は微妙な暗さと中途半端な明るさで隠す。上着と荷物の特徴で判断するしかない。


「よし、かかった。そのまま動け」


 吉田が脇道に入った。中山もこっそり入った。諦めるには捕まえやすすぎる。追いつければ人気のない暗い道で好き放題できる。近くには貸し駐車場が多い。そのまま魔が差せ。


 蓮堂が追っていると気づかれてはいけない。別の道から先回りする。吉田が走る先、中山がどうにか追いついて掴みかかった瞬間を狙う。


 黒のごみ袋に足を引っ掛けて転ぶ。蓮堂の小道具だ。その隙だらけの瞬間に中山が追いつき肩を掴んだ。彼にとっては念願の話をつけるチャンスだ。


「捕まえた。今日こそ返事をくれよ」


 耳元で囁く。吉田は顔を真下に向けて少しでも時間稼ぎをする。体が強張る。助けが来るとわかっていても掴まれ覆い被さる状況は初めての刺激が続く。どの部位なら動かせるか、どの範囲に地面や男の顔があるか、位置関係は、視野角は、勝算は。全てを手探りで知る。


 蓮堂は音なく近寄る。ボタンに仕込んだ小型カメラが一部始終を録画している。イヤホンの先ではリナが録音している。言い逃れの余地はない。


「そこまでだ」


 蓮堂が掴みかかった。中山の服はオーバーサイズなので捻って絞る。横へ振ってバランスを崩し、羽交締めで座り込む。身長差を無効化する。


 関節が支点で、胸筋が力点で、離れた二の腕が作用点だ。筋力の差はこうして覆す。地面に対して斜めの姿勢では脚の踏ん張りは効かないし、頭突きは手で押さえる。


「暴行の現行犯で私人逮捕する。法規に則り速やかに警察に引き渡すぞ。電話を頼む」


 吉田へ直接の指示、繋がっても吉田は動揺して碌に喋れないのでスピーカーにさせて、自ら場所と状況を説明する。中山が暴れる声も届けた。


「五分もあれば来る。それまで我慢してろよ」

「蓮堂さん、謀ったな」

「お前と契約した通りだ。『峯崎綾乃のストーカー被害を防ぐ』『峯崎綾乃への被害に直接の介入はせず中山に華を持たせる』どっちも契約通りだ。わかるだろ」

「最初からこうするつもりだったのか。俺を綾乃から引き離す依頼でも受けてたのか」

「他の依頼人の情報は有無も含めて口外しない。お前の情報を誰にも売らないのと同じくな」


 聞き苦しい言い訳や現実逃避を聞き流して警察を待つ。中山は一貫して自らの問題から目を背け続けるが峯崎の友達グループや蓮堂が出した情報から起訴を免れる道はまずない。報酬の踏み倒しを画策するならこれも民事で争う準備がある。


 帰りは夜遅くになったが、仕事は無事に片付いた。


 後日、峯崎や吉田が事務所にお礼を言いに来た。貰えるものは受け取り気持ちよく帰らせて次の顧客となる可能性を高める。本人でなくても、相談を受けた誰かに伝えるかもしれない。


 吉田とリナが顔を合わせて、意外と小さい子だったと驚きもした。人の繋がりを深めるのは同じ目標のために協力した経験にある。

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