N12C2 ストーカー

 九月二十日。快晴ながら気温は三〇を下回る過ごしやすい日だ。


 これから依頼人が来る。今回は安心するには足りない相手なので、念のためリナを扉の奥に隠しておく。余計なところで逆恨みなど御免だ。


 時刻は午後の一時を回った。トイレの確認と茶菓子の準備、あとは暇つぶしにツイッターの調査用アカウントの信憑性を増すための写真や文面を育てておく。


 ノックの音。扉が開く。


「こんにちは。中山なかやまです。よろしくお願いします」


 落ち着いた男で服や肉付きは共にそれなりの、おそらく真っ当だが具体的な気配は見えない。長袖がやや緩いので手元を見る機会を窺う。


「早速ですが内容から。僕の彼女がストーカー被害を受けている様子なので調査を頼みます」

「ほうストーカー調査、相手を突き止めて調停へ持ち込む形ですか?」

「それよりも彼女を守りたいので、接近を大変にするとか、警戒するべき危険な場所の指導をお願いします」


 中山は湯呑みを左手で取る。傾けた袖の隙間に覗いた手首は白く整っていた。情報としては主な活動がインドア系と見える。


「私は探偵であってボディガードじゃない。もし直接的な襲撃があっても助け出すにはとても足りませんが」

「構いません。危険な場所がわかればあとは僕の役目です」

「覚悟は結構。その言い方なら彼女さんの習慣を聞いていますかね」

「ええ、これです」


 中山はコピー用紙を出した。一週間分の動向がグラフでまとめて並び、欄外に週ごとでなく定期的な行動が書き足される。バイトの給料日や補習がある場合の日取りまで、随分と細かな調査がある。


 加えて写真も複数あり、隣の電柱から身長や場所を読み取れる。通学路がある道、おそらく大学から離れた場所で、夕陽を背に歩くあたり帰り道だ。


「こちらで記録しても?」


 了承を受けて、反射を抑えるアクリル板を置いた。スマホのカメラは書類とわかれば角度の補正も自動で済ませてくれる。ローテーブルが黒で紙は白、境界線を機械にわからせる準備をアナログで調えておく。おかげでスキャナーより早い。


 十分すぎる記録があるなら、蓮堂が手を加える点はどこか。ほぼ定番の候補を二つ出したがまだ伏せる。中山に聞かせるとよくない。


「わかりました。では契約書を印刷しますので少々お待ちください。着手金は結構ですよ」

「ありがとうございます」


 テンプレートからひとつを選び、少しだけ加筆して印刷する。内容を両者で確認して合意を取りつける。控えを含めて二度のサインを以て締結した。


「明日から現地に行きます。彼女さんに伝えますと誤解の可能性がなくなりますが、本物への警戒はくれぐれも続けてくださいね」

「もちろんです。失礼します」


 中山は階段を降りる。よく響くおかげで帰ったふりや忘れ物ができない。今回も活躍した。


「リナ、出てきていいぞ」

「はい。調査なら一人でいい?」

「だめだ。あのクソ男の巻き添えになるぞ」


 空気の変化を理解した様子で、しかし理由を知らない顔をしている。蓮堂は契約書の写しと記録した情報を見せた。


「本物のストーカー被害なら本人が来るはずだろ。ストーカーはあいつ自身か、でっちあげてこれから籠絡する気だろうな。だから契約書もこれだ」


 言葉選びの妙で、中山自身をストーカーとして対応できるし、その他のトラブルへの介入も少しなら無理が効く。そんな義務がない中であえて社会的な利益へ寄与する。評判や見返りはこうして得る。


「すぐ気づいてあんな話をしてたの?」

「推測だ。話は早いが声が汚すぎる。一週間はまともに運動してないぞ」


 筋肉は使わずにいればすぐに弱る。弱れば声の響きが変わる。微妙な違いだが何人もの声を聞き続ければ誰でも違いに気づける。


「写真も見ろ。これは盗撮だ」

「正面からに見えるけど」

「正面からの盗撮だ。ピントの不自然さが気になるんだよな。仕掛けたカメラが望遠レンズで後から拡大やぼかしで近くから撮った。こんな品は何度も見た」


 初めてならいざ知らず、いくつも見てきた探偵を騙せるものか。


「さてリナ、リアルタイムアタックといこうか。チャートは単純、記録にない情報を見つけて接触させて警察を呼ぶ。写真から場所を特定する練習にしろ」





3章 現実の経験

N12C2 ストーカー





 調査用アカウントを育ててきたのはこういう日のためだ。依頼人が用意した情報から範囲をそこそこ絞れたので、思い当たる場所を確認していく。


 スタバに行く習慣がメモにも書かれている。インスタグラムで検索する。


 サークル活動のバンドがある。夏休みの間に打ち上げがあり得る。ツイッターで検索する。


 大量の投稿を読み込んだら、まずは画像で絞り込む。同じ人物が映るなら話が早い。名前を出して言及する奴がいればそいつの相互フォローを確認する。各グループの繋がりが見えれば交流会や遠くの仲間と会った記念などで気が緩んだ投稿が増える。


「蓮堂、この写真で特定って全然わからないんだけど」

「だろうな。教えてないからな」

「ひどいや」

「今からそっちに行く。まず思い出すべきは、私は今まで一度も地図アプリを使わなかった」


 リナと会って以降も外出は多く、買い物やくだらない散歩をしていた。初めて歩く地域でも蓮堂は建物の構造や太陽の位置で道を判断していた。目立つ出来事がない日だ。


「思い出した。位置情報を使えない場合に備えて、って言ってたね」

「今がそれだ。現在地以外の位置情報は手に入らない。電波を受け取れないからだ」


 蓮堂も手元で画像を拡大する。中心に女性と、周囲は電柱、集合住宅、植物、事務所らしき簡素な建物。この情報から場所を絞り、別の画面の地図に描き込む。


「ベランダにアンテナがある。太陽のおかげで方角は明らかだから、電波局の方向と合わせて範囲が一気に減る」


 東西方向の路で、車がすれ違うにもひと苦労の細い道で、北側に住宅があり、南側に住宅がない。


「事務所らしき建物なら広報用の写真がありそうだな。一覧表示だ」


 地図の範囲から事務所の位置と写真を読み込む。色が似ていないものを候補から外し、道が東西方向でないものを候補から外す。


「あとはストリートビューだ。車で通れる道なら一発だぞ。っと、ビンゴだ」


 春日町の道が写真と一致した。この道にカメラを仕掛けた事実も合わせて家を絞り込む。


「早。写真からのの特定ってこんなになんだ」

「今回は他のヒントも多かったからな。リナも身につけろよ。腕が悪いと自分の写真の問題を見落とすようになる」


 蓮堂は地図を見て唸る。最寄駅は練馬春日町駅、ここから大江戸線で一駅の位置だ。外周の大通りを越えればほとんど歩き放題で道が広い。


「面倒になってきたな」

「ぜんぜん話が見えないけど」

「クソ男がこの道にカメラを仕掛けてた理由だ。あえてこの道を通る理由がない。大通りから離れたいなら手前の道、大通りを歩くなら逆側の道だ」

「つまり?」

「半端に歩けばこいつに見つかる可能性がある」


 机が鳴った。リナが膝をぶつけた。立ち上がり、どこへ行くか決めかねて体重を預ける。


「今ゾワッてなった」

「だろうな。オヤツでも食べてゲームするか」

「大丈夫なの、この人」

「こんなのは面倒なだけで安全だ。こっちが動くまで何もできない」


 危険な奴は自分から動くから。蓮堂がこれまで身を投じた中には明確な命の危機がいくつもあった。制限時間をつけて対処を迫る連中だ。本物と比べればカメラなど児戯に等しい。策をのんびり用意できる。


「私ならガチエリアを取られた時のほうが焦るね」

「気楽そうに言いすぎじゃない?」

「現に気楽だからな。見えてる奴は見えない奴より弱い」


 ポテトチップスとプロジェクターを出す。英語で言うところのカウチポテトだ。脳が糖分を使いすぎるので作業を続けるほど進捗が減る。頑張るよりも休憩と開始の往復がいい。最初の一歩を何度でも出すのが仕事を進めるコツだ。


「『ケイト』を観るぞ」

「映画? どんなの?」

「話題になってる。内容や面白さはこれからだ」

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