第48話:セントラルランドからの招待3
折角の親子水入らずの時間だからと奏人は席を外し、優里は両親と三人でカフェに入った。
壁が木の色で塗られた温かな空間。中にいくつもの机と椅子が設けられ、人々が机を囲んで談話している。手元には食べ物や飲み物が用意されており、それらは絢音や千尋のような使用人と似た格好をした男女が運んでいるようだ。
今まで読んだ本の中に大衆食堂というものは出てきたが、それと似たようなものだろか。
店の中にはどこからか穏やかな音楽が流れている。
優里たちは奥の席へ通されたが、気づくと奏人と響が近くの席で彼らを見張るように見ていた。親子水入らず……といっても警護の手は緩めないらしい。
また、見張りはそれだけではなかった。
「本日はお嬢様もご一緒なのですね」
「ああ、やっと再会できたんだ。イチゴパフェを三人前お願いするよ」
「かしこまりました」
注文を受けにきた女性はやけに親しそうに優作と話をしている。知り合いなのだろうかと彼女を見ると、
「ああ、私はイーストプレイン家のメイドなんです」
と、告げられた。メイドとは、詩織や絢音のポジションで、主人の身支度を手伝ったり屋敷の管理をするのが仕事らしいが……
「え……で、でも……お仕事を」
彼女はどう見ても店の店員だ。
「セントラルランドでは御主人様についていける使用人は限られておりますので、他の者はこうして御主人様が行かれる先に店員や客として潜んでおります」
「なるほど……」
これが、優作の言った「仕掛け」なのだろう。確かに詩織は使用人の多くが伯爵たちに着いていったと言っていたが、その割に航空機は小さく、自分の時も人数制限がされていたため不思議に思っていた。
そんなスパイ小説のようなことが行われているとは誰が予想できるのだろう。
「それでは、少々お待ちください」
メイドはそう言って厨房の方へと消えていった。
「私は甘いものが好きなのでね、ホテルから一番近くのカフェに一人は働いてもらうことにしたんだ。本当はあまり労力をかけてもらいたくはないのだけど、響が怒るから」
「優作さん、あなたはもっと伯爵としての自覚を持ってください」
おそらく優作は自分に似ているところがある……優里はそう確信した。自分で言うのはなんだが、少し抜けているあたりがなんとなく心配になる。
暫くすると、上が大きく開いたガラスの器が運ばれてきた。その中にたっぷりと甘そうなものが詰まっている。
下にはケーキのスポンジのようなものが入れられており、そこに生クリームとイチゴで作られたソースのようなものがかかっている。その上に黄色の粒の混じった生クリームがかかり、頂点には器から溢れんばかりのイチゴが詰まっていた。
「これが……パフェ、ですか?」
「ああ、気に入ってもらえると嬉しいのだが」
ドキドキしながらも一緒に運ばれてきたスプーンを使い、まずはイチゴを生クリームごと掬う。
「……美味しい」
生クリームはクレープ屋や屋敷で口にしたものよりも甘さが控えめだが、その分とても滑らかでイチゴの甘味が際立つ。
その下の黄色い粒のようなものも生クリームと共に掬ってみる。こちらはサクサクとしていて滑らかさをいい意味で緩和するアクセントとなっていた。これは、家では簡単に再現できそうにない……食べ進めながらそう実感する。
「優里は随分と美味しそうに食べるのね」
「あ……すみません、つい」
つい、夢中になってしまった。焦ってしまったが、そういう母もまた頬を緩め幸せそうな顔をして食べている。
「もう、あなたに会えないと思っていた……だからこうしてまた一緒に甘いものを食べることができて幸せよ」
もう会えないと思っていた……それは、詩織も言っていた。
優里が過去のことを忘れていまっていた十年間も、彼らは時折優里のことを思い出していたのだろう。
そう思えば少し、申し訳ないような気持ちにもなる。
「それにしても……王は何故私たちを一か月間セントラルランドに軟禁していたのだろう」
「え……聞かされてはいないのですか?」
単に、自分がなんとしても一人前の淑女に成長するための人質のようなものだと思っていた。しかし、違う事情があるのだろうか。
「脅すのであれば家への配当金を止めるとか他のやり方もあったはずだ。一か月という期間も気にかかる」
「まあそれも明日になれば分かるかもしれないわ。直接王様にも会いますし」
優里はこうしてカフェでパフェを食べるためにセントラルランドへ来たわけではない。それでも今だけは役目を忘れてしまいたい気分だった。
「あの、セントラルランドのことをもっと知りたいです。だから……少しだけ街を案内していただけませんか?」
やはり押しつけがましい願いだっただろうかと恐る恐る父を見ると、彼は随分と優しい笑みを浮かべていた。
「ああ、喜んで」
見慣れない景色に心を躍らす優里は、離れた席からこちらを観察している響や奏人が溜息を吐いていることに気づくことはなかった。
セントラルランドの地面は、黒い石のようなもので綺麗に整地されており歩きやすい。
カフェはところどころに点在し、時折芳ばしい匂いも流れてくる。道行く人々の足取りはどこか速く、気を付けていなければ誰かにぶつかってしまいそうだった。上空を見れば高いビルで空が切り取られているようにも見え、不思議な感覚を覚える。
「これは信号機といってね、車がぶつからないように合図を出しているんだ。緑の明かりがついている側が走ってよくて、赤い明かりの側は止まらなければならない。歩く方も守らないとぶつかってしまうから」
「なるほど……」
父の言葉に相槌を打ちながら色の変わる不思議なランプを見つめた。文化が発達するなかでそうした文明の知恵が生まれている。これもセントラルランドに住み発展を司る金龍のおかげなのだろうか。ガラスの向こうにお洒落な服が飾られていたり、物珍しい携帯電話を使っている人がいたり。やはり優里にとってセントラルランドは別世界に近い。
道路には木々や電灯のようなものが点在しているが、夜になるとどんな景色を見せてくれるのだろう。興味は尽きない。
「本当に、目が回るほどに新しいものがたくさんあって……」
ワクワクする……そう言おうと思った時、急に痣の部分が痛んだ。
理由ならもう分かっている。
幸せな気持ちがどんどん溜まって気分が高まっていた……それが、原因なのだろう。
痣が熱い。そして、寒い。
まずい、と頭の中で警鐘が鳴る。
ここ一週間は表われていない発作が、身体を貫くように襲った。
「優里?」
歩けない……が、こんな街中で屈みこんでは目立ってしまう。それは明日のことも考えるとなんとしても避けたい。しかし、足がガクガクと震えて頭から血が引いていくような感覚が止まらない。
息ができない苦しみのせいで混乱して、周囲の音も聞こえなくなる。もう、このまま倒れ込んでしまおうかと思った時。
「優里お嬢様、もう大丈夫です」
と、聞きなれた声が聞こえた。
「かなとさ……」
背中から、感じたことのある温もりが伝わってくる。
「いつもみたいにゆっくり深呼吸しましょうか」
身体を支えられ、ある程度呼吸が整うと、輝夜に貰っていた鎮静剤が手渡される。それを水筒の水で流し込めば少し身体が楽になった。トン、トンと肩を叩く手が心地いい。
「御主人様、奥様、申し訳ございません。少し発作が起きてしまったようで……今から部屋でお休みさせていただきたいのですがよろしいですか?」
優里を支えたまま奏人が言えば、
「ああ……任せたよ、奏人」
と優作が頷く。
幸いホテルの周辺を歩いていただけなのでそう距離も遠くない。
優里は奏人に支えられたまま、ホテルに用意された自室へと戻っていった。
◆ ◆ ◆
意識が朦朧とする中、気づけば自分に用意された部屋へと戻ってきていた。
発作が起きるとそれだけで体力を使ってしまうのか、後からどっと疲れがきてしまう。
「あの……何故、奏人さんはあの場所に?」
それでもなんとか側にいた奏人を視界に捉えて気になっていることを尋ねた。
すると奏人は枕元に屈んで優里の顔色を見ながら、
「そりゃあずっと近くについていたからです」
と、答える。
「何かあった時の場合に備えて父さんと一緒に着いていましたから……本当は街を歩くのも止めたかったのですが」
「……すみません」
胸が苦しい。せっかく楽しい思いをしていたのに、気分が高まると発作になるなんて厄介だった。
「ご両親との時間は堪能できましたか?」
「はい」
それでも、両親と束の間の休日を過ごせた……今は、それだけで満足だ。
「それはよかった」
奏人の手がそっと優里の頭を撫でる。ずっとそうされていたい程に心地いい。彼の手つきはいつだってそうだ。温かくて、優しさが伝わってくる。
「両親と過ごすのは楽しいです……でもそれ以上に……奏人さんといるととても安心します」
「え?」
もう体力も残っていない。意識がふわふわとして自分が何を口走っているのか分からなくなってくる。
「もっと……近づきたい、のに」
あと少しのところで、自分の気持ちを何かが抑え込んでいる。
こんなに自分のことを大切にしてくれて、好きでいてくれて……たくさんの温もりと知識をくれる人。
屋敷の人たちはみんな大切な人なのに、この気持ちだけはそうではない。
手を伸ばせばそっと握られる。その大きな手の温もりで何かが溶けてしまいそうだ。
意識が沈んでいく。あと少し……そんな思いの先が見つからない。見つからないまま、優里の視界は眠気につられて霞んでいった。
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