第40話:人魚姫の秘密2
「すみません、どうしても七海様とお話がしたくて」
人形のように黙って椅子に座る七海は、ぼんやりと優里の目を見つめている。
海のある南に面したこの部屋は、朝の間はまだあまり日が入らず少し薄暗い。
「七海様はドラゴンテイルとどのようなお話をされたのでしょうか。是非教えていただきたくて」
そう言って優里は紙とペンを机に置いた。言葉は喋れなくても文字はかけるだろう……そう思ったのだ。しかし、七海はペンをとらない。
「もしかして……言葉での意思表示能力自体を奪われてしまったのでしょうか?」
優里が尋ねると七海は静かに首を縦に動かした。
「そんな……」
と、思わず奏人が声を出す。こちらの言葉は理解しているようだが、人に何かを伝える手段を持たないだなんてどのような気持ちなのだろう。今でこそぼんやりと彼らを見つめているが、言葉を失った当時の悲しみは相当なものだったのではないか、優里はそう考えた。
「私が……ちゃんとついていなかったばかりに……」
愛子は優里の後ろにつきながら淡々と、しかし悲し気に呟く。何故七海がこんな目に遭わなければならないのか、当時の用心棒としても許せないところはあるのだろう。
「これでは、どうにも」
奏人も半ば対話を諦めかけていた。
「では……私の質問に頷いたり首を振ったりで答えてください」
しかし、優里は七海との対話を諦めない。紙をどかして真っ直ぐに七海の顔を見る。
言葉で意思疎通ができなくてもやれることはやってみたい……その意思が伝わったのか七海は優里を見て二回瞬きをし、そしてゆっくりと頷いた。
「よかった……」
優里はほっと胸を撫でおろす。ひとまず一歩前進だ。
「あなたはドラゴンテイルを見たことがありますか?」
優里の言葉に七海は頷く。
「それは銀髪で赤い瞳の女性でしたか?」
また、頷く。
「その時、将斗さんは一緒にいましたか?」
これも頷く。
「では、夕食の時に将斗さんが言ったことは全て本当ですか?」
優里の言葉に人形のようにコクコクと頷いていた七海だが、その優里の言葉には首を縦に振れなかった。
将斗は三年前、ドラゴンテイルに七海の声を封印され、龍を降ろす方法についても教わったと言っていた。
その証言のどこに嘘があるのだろう。
「七海さんが喋れないのはドラゴンテイルのせいで間違いありませんか?」
七海は頷く。けれどその目は悲し気で、どこかに間違いがあるのだと訴えているようだ。
「私の……私のせいですか?」
優里の背後で聞いていた愛子が一歩前に出て七海の前に屈んだ。
「愛子さん……」
「あの日、私が海へ行くあなたについていけなかったから……だからあなたは……」
七海は口を開きかけ、やはり何も言えずに閉じる。それから椅子を降り、愛子の側に屈んだ。
首を必死に横に振るのは、あなたは悪くないと訴えているようにも見える。
愛子は悪くないのだと、言葉が使えなくても伝えたくてたまらないのだろう。
「そもそも……何故三年前にドラゴンテイルは現れたんだ……今こうして赤龍が暴れてからだってよかったはずなのに」
「……あ」
奏人の言葉を受け、優里が七海を見たのと、七海が何かを訴えるように優里を見たのは同時だった。
「十年前、黒龍が暴れていた時にドラゴンテイルは現れた。きっと三年前……七海さんがドラゴンテイルに遭遇した時も赤龍が暴れていた」
優里の言葉に七海は目を大きく開いて頷く。また、話が進んだ。
そして七海は椅子に座り直すと足を上げ……その白い足を一瞬で魚の尾のように変えてしまった。
ピンク色の光沢のある鱗が付いた魚の尾。彼女が人魚姫と呼ばれる所以となった美しいそれには……よくみれば、いくつもの異常な切り傷がついていた。まるで刃物に切り裂かれたかのような状態だ。
「これは……」
「奏人さんの時と……」
優里は奏人と目を合わせる。
十年前、奏人が青龍に攻撃されたときも、刃物のような風に身体中を切り裂かれていた。
もしこれが同じとするならば……
優里がそっと七海の尻尾に触れると、みるみるうちに古傷が消えていく。昔の傷跡にも治癒能力は有効らしい。
さて、七海がこれを見せたのは一体何故か。
「七海さんは愛子さんがいない時に……人魚になって海で遊んでいるところを赤龍に襲われた……? 愛子さん、当時のことを何か思い出せませんか?」
一体三年前のサウスポートで何が起きたのか。もう少しで近づけそうな気がした。
「三年前も……今とそれほど変わらないかと。たまにもめ事も起きますが、活気に溢れた街で……ただ御主人様はよく七海様に言っていました。祭りに参加しなければ祟られる、と」
サウスポートは活気にあふれた街で毎日のように祭りが開かれている……本を読んだ時にはそう書かれていた。
今回は暴動でそれどころではないが、当時は祭りが開かれていたのだろう。けれど人見知りの七海は人の目を掻い潜って海へ行き……
「祟られるとは……もしかして、赤龍に?」
人々に活力を与え土地を盛り上げるのが赤龍の役目。それに背いた七海は赤龍に襲われたのかもしれない。
そして、一体どうなったのか。
「その時、将斗さんが七海さんを助けにきたのですか?」
優里の言葉に七海が頷く。
「ここからは私の推測です。赤龍は祭りに参加せず遊んでいる七海様に怒り、七海様を傷つけた。その時将斗様が七海様を発見して……多分、赤龍に殺意のようなものを抱いたんだと思います。今の将斗様の赤龍に対する怒りは相当なものだから。そこにドラゴンテイルが現れて……将斗様をそそのかした」
「しかし、七海様を器にする必要は……」
将斗が赤龍に殺意を抱くまでは辻褄があう。これは集落の長老たちも同じだ。
黒龍を殺したいと思ったころ、ドラゴンテイルは優里を器として連れてきてこれに封印して殺せと手ほどきした。実際は封印だけして殺させるつもりはなかったが、それと大筋は似ていると言っていい。ドラゴンテイルは将斗をそそのかして七海に赤龍を封印しようとした。
「でも、いくら将斗様でも自分の妹に危害を加えるでしょうか」
「いや自分の利益のことしか考えないあの男……いや、将斗様なら赤龍を封印するためなら身内の被害など気にも留めないかもしれません」
優里の疑問に対し、奏人が心底嫌そうな声で告げる。
「でも……そもそも、何故、言葉なんでしょう」
しかし優里にはその答えが何故かしっくりこない。それに七海が伝達手段を封印されたというのもまた妙な話だ。
しかし、伝達手段を封印するというのはまた妙な話だ。
「七海様は人と話すことを恐れていましたし、それならもう喋れないようにしてやろうと……ドラゴンテイルがそう暗示をかけた、とか」
愛子は七海を見つめる。優里の元へ来る前はずっと見ていたお嬢様だ。七海のことはよく知っているのだろう。
「もしかして……七海様は自分から器になることを希望したのでは?」
ふと発した優里の言葉に、七海は大きく頷いた。愛子は信じられないという顔で優里を見つめる。
「そんな……一体何故」
「それはきっと……」
続く優里の言葉に七海は再び頷いた。その目は僅かな憂いを帯びている。
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