第29話:使用人たちの惚気話5
詩織・サンチェスは代々イーストプレイン家に仕えるサンチェス家の長女で、立派なメイドになるため様々な教育を受けてきた。
基本的な勉学の知識に加え、マナー、護身術、自動車や航空機の操縦、コンピュータ関連の教養や実技など、凡その内容は奏人と変わらない。ただ奏人と違うのは、幼い頃も使用人という仕事に乗り気だったことだ。
細かい作業は好きだし、イーストプレイン家の伯爵や夫人は使用人にも温かく接して毎日が楽しそうだ……そう考えている詩織は、十歳の頃から父と共にほぼ毎日屋敷へと向かっていた。
実は、当時詩織が熱心に足を運んでいたのにはもう一つ理由がある。丁度その頃イーストプレイン家に待望の長女が生まれたのだ。
優里と名付けられた赤子は日に日に成長し続け、そんな彼女を見るのが詩織の楽しみにもなっていた。詩織にとって優里は妹のようなもので、成長したら服を選んだり身支度を手伝ってあげたい……と、そのように思っていたのだ。彼女が連れ去られる前までは。
奏人と違って詩織は優里の生存を諦めたりもしていたが、彼女が見つかったと知って生まれて涙が出るほどの喜びを味わった。
そしてもう二度と優里が連れ去られないように守ろうと意思を固めたのだ。
そんな詩織だが、この日は少々厄介なことに巻き込まれていた。
「ですからお引き取りください。全ては来週のパーティーにて公開いたしますので」
大きなカメラを抱えた男とスーツを着た眼鏡の女性。応接間でその二人に対峙しながら、詩織は同じ言葉を繰り返していた。
「ですが、イーストプレイン家のお嬢様が戻ってきたと知れば民も安心します。一刻でも早い報道を」
「その報道が……優里お嬢様が何者かに狙われる原因になったらどうするというのですか?」
相手はイーストプレインのローカル番組のカメラマンとプロデューサーだ。先日街で優里の正体が明かされた所為でテレビ局に押し入られる羽目になってしまった。これは奏人の再びきつい忠告をしなければならないだろう。
基本的に高位の家系に無遠慮な態度を取った場合は不敬罪に問われることもあるのだが、彼らはどうも強気な姿勢で来た。やはりネタの少ないイーストプレインでは番組作りにも必死になってしまうのか。
「狙われる? 貴族の方を番組に出してもそのような問題はここ数年起きたことがありません。もしや優里・イーストプレイン様は何者かに狙われているのでしょうか?」
女性プロデューサーは未だ前傾姿勢で強気に攻める。そこまで頭が回るのであれば是非とも遠慮してほしいと思った。
「それに関してはプライバシーの問題ですのでお話できません」
いっそマスコミに銀髪の女性についての情報を流してもらおうかとも考えたが、民間企業に頼るのはあまりに危険すぎる。
「先ほど申し上げた通り、来週セントラルランドで行われるパーティーで優里お嬢様のお披露目を行います。あなたがたのテレビ局も参加できるように計らいます。それではいけませんか?」
「ではせめて優里お嬢様のお写真だけでも」
これが単なる一市民なら強く追い返していたがマスコミに強く当たって悪評でも書かれたら家の立場が危ない。
「しかし……」
詩織が言葉に迷っていると、控えめなノックの音が聞こえた。
「すみません……入ってもよろしいでしょうか」
「え……優里ちゃ……優里お嬢様?」
扉がゆっくりと開き、青いワンピースを着た優里が入室してきた。
一体何故か。詩織には見当もつかない。
「初めまして。優里・イーストプレインと申します」
スカートの端を持ち上げて丁寧に挨拶をすると、優里は詩織の隣まで歩いてくる。そしてマスコミの二人を見つめた。
「すみせん、少し中のお話が聞こえたもので。私が優里・イーストプレインです。イーストプレインの民のために少しでも早く情報を公開したいというお気持ちには感謝いたします。しかし現在私も使用人も来週のパーティーのための準備段階でして、お見せできるものがございません。できれば来週全てが整った状態でお披露目させてください。中途半端な姿を見せるよりもそちらの方がきっと皆様ご安心いただけるでしょう」
優里は笑みを浮かべて丁寧に説明をする。やはり詩織が教育しただけあって庶民として育った面影はない。あとは不意に昔の話を口走らなければ完璧だ。
「ならせめて、パーティーの予告のためのお写真でも」
「予告……写真ですか。それくらいでしたら大丈夫ではないでしょうか。どうせ私が戻っていることは噂として広まっていますし」
優里は詩織の方に尋ねる。優里がいいというのなら……ここは妥協してしまってもいいだろう。
「そうですね。では優里お嬢様のお写真だけ許可いたしましょう」
こうしてマスコミとの交渉は成立した。
ただ、やはりマスコミは油断ならない。
結局一枚の写真を撮るのに三十分もの時間を要してしまった。
「優里ちゃん、お洋服整えるわよ」
「はい……」
マスコミを返して優里の部屋に戻る。優里もまさか写真一枚にこれだけ時間を使われると思っていなかったようで流石に疲れが見えた。
「すみません……私、勝手なことをしてしまいましたか?」
「え?」
「その、割り込んでしまったりして」
階段を上りながら優里は小さく頭を下げる。確かに彼女が入ってきたのには驚いたが今回ばかりは優里の判断にかなり救われた。
自分が一人で対応していたらずっと押し問答を繰り返していただろう。
「今回は本気で困っていたから優里ちゃんがきてくれて本当によかったわ。ありがとう」
優里の部屋にいき、もう慣れ親しんだ鏡台の前に行く。
「でも、どうしてあの時あんなところに?」
書庫へいくなら本を持っているはずだし、他に彼女が一人で一階にいる理由が分からない。
「その……詩織さんを探していたんです」
「え?」
そう言って優里がスカートのポケットから取り出したのは、青い石のようなものがはめ込まれたネックレスだった。
「これ……奏人さんと街へ行ったときに買ったのですが……付け方が分からなくて」
だから詩織を探していただなんて随分と可愛いことだ。御洒落に興味を持ちかけているのも嬉しい。
「分かったわ。こういうタイプのネックレスは、まずチェーンの部分をここで取って……」
街へ行ったとき優里の正体がバレたのは、彼女が悪党に怯えず自ら歩み寄ったことが原因だと奏人に聞いている。相変わらず無茶をするが……それはそれで優里らしい。だから自分たちは無茶をする優里が危険な目に遭わないよう全力でサポートするまで。
「ほら、これで完成」
「わあ……ありがとうございます。なんだか詩織さんって……」
「え?」
鏡越しに優里の目がじっと詩織を見つめる。
「いえ……実のお姉さんがいたらこんな感じなんだろうなって思うんです」
詩織は幼い頃、優里の姉になりたかった。洋服を選んだり髪を整えたりしてあげたかった。
それが今になって叶っている。なんて嬉しい事なんだろう。
「ありがとう、優里ちゃん」
思わずネックレスをつけた首の後ろにそっとキスを落とす。
「え?」
「ふふ、ちょっと引っかかっちゃったみたいで」
髪に隠れたその部分に赤い印がついたことなど誰も気づかないだろう。
詩織はその日一日、屋敷の誰よりも優越感を感じて過ごした。
◆ ◆ ◆
「……アタシの上司がこんなに変態だったなんて思わなかった」
「同感です」
絢音と千尋が縮こまっている。詩織の話のラストはあまりにも衝撃的すぎた。
「ずるいです」
と愛子も言葉を零す。奏人に至っては放心していた。
「そうかしら? 私はみんなのエピソードも羨ましいけれど」
「くそ、優里お嬢様にキスマークなんて癪に障る……」
結局皆優里との大切な思い出を積み重ねているがどのエピソードも負けず劣らず印象強いもので、勝敗など決められないだろう。
「しかしこの数時間で十分いろんな優里ちゃんを堪能できたわね」
「たしかに、それは嬉しいです」
「情報交換にもなったしな」
自分の体験を自慢する会だったが、優里を取り巻く環境についての情報交換にもなった。今日はそれでよしよしよう。
「さて……そろそろ寝ないと明日の仕事に響くわね」
しかし彼らの仕事はこうして呑気に部屋で駄弁っていることではない。大事な主人を守る……これこそがイーストプレイン家の使用人の重要な役目だ。
使用人たちの夜は更けていく。
そして「大事な日」も刻一刻と迫っていた。
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