第27話:使用人たちの惚気話3

 愛子・レイクサイドはサウスポートで生まれ育った少女だ。レイクサイド家は代々用心棒の仕事を生業としており、愛子も幼いころから体術を学んでいたが、主を守り切れなかったことを理由に勘当され、遠い親縁のサンチェス家の計らいでイーストプレイン家の用心棒になることとなった。主人の前では決して気を抜くことは許されず常に周囲への警戒を第一に生活してきた彼女だが、優里が戻ってきてからというもの、その生活が乱されつつあった。


「ゆ、優里お嬢様……何をしていらっしゃるのですか?」

 それは愛子が庭の巡回をしていたある日のことだ。庭には警報装置も置いてあるが、それを潜り抜けてくる人物や不審物がないとは限らない。そのためくまなく見て回っていると、庭木の後ろに見知った少女の姿があった。

「えっと……そこのベンチで本を読んでいたらたまたま愛子さんの姿を見つけたので……こっそり見ていました」

 確かに優里の手には分厚い本がある。しかし何故ここにいるのか、愛子には分からない。

「外は何があるか分かりません。それに、奏人さんは?」

「奏人さんは自室でお仕事中ですし、次の勉強がある一時間後までは抜け出していても大丈夫だと思います」

 来たばかりの頃は周囲に遠慮して縮こまっていた優里だが、こっそり抜け出す癖までついたらしい。

「しかし、外に出なくても」

「だって……イーストプレインの外の空気って温かくて、それでいて清々しくて……息を吸うだけで幸せな気持ちになれるので。今日は太陽も出ていて本当に……読書日和なんです」

 優里は恥ずかしそうに笑う。

「それに、お庭は愛子さんが巡回されていると聞いたので安心かと思いまして」

「優里お嬢様……」

 確かに彼女に何か起きないためにも念入りに巡回をしているが、そこまで信頼されても不安になる。

 何せ愛子は昔一度失敗しているのだから。

「愛子さんは……イーストプレインは好きですか?」

「え?」

「いえ……私はイーストプレインに来て三週間も経っていないですが、今はとってもこの場所が好きになっていて。愛子さんはどうなのかな……と」

 温かな風が木々を揺らす。優里の言う通りここの空気は清々しく心地いい場所には違いない。

「過ごしやすいですが……」

「……ですが?」

「いえ、なんでもありません」

 頭に浮かんだことを消し去ろうとする。しかし優里は聡かった。

「サウスポートの空気が懐かしいですか?」

 あっさりと、愛子の言おうとしたことがバレてしまった。これには頷くしかない。

「やっぱり……生まれた場所の空気が一番好きになるかもしれませんね。私はここの記憶がなかったけれど……身体が覚えているみたいで。サウスポートの空気はどんな感じだったんですか?」

 どうやらますます優里の興味をひいてしまったようで、彼女は木の陰から身を乗り出し愛子に近づいた。

「私が住んでいた場所は……海に近かったので海の香りがどこへいても漂ってくました。ここよりも気温は高いですがカラっとしていて……夕暮れの風景なんかも綺麗なオレンジに染まって綺麗でした」

 あまり長々と自分のことを語るのは好きではないのに、優里につられてつい喋ってしまった。

 彼女に会うまであまり言葉を喋ってこなかったので、自分が言葉を発していること自体がむず痒い。

「海の香り……ふふ、私もいつか海の香りを体感したいです」

 よく見ると優里が抱える本の表紙には海のイラストが書かれていた。余程海のことが気になるのだろうか。

 愛子の話を興味津々に聞く優里の顔はどこか幼くも見えるし、聡明な女性のようにも見える。

「あ……」

「え?」

 愛子は自分の口を覆った。

 今まで自分は周囲への警戒を怠らないように生きてきた。常に気を抜いてはいけないはずだった。

 それなのに今、自分が庭にいることも忘れて優里のことをじっと見つめていた……それに気づいて呆然としたのだ。

「いえ……少し注意力が散漫になっていたようで」

 優里から目を逸らす。

 今度こそ失敗はしたくない。そして守る人間より前線に出そうになる危うげなこの主人を守らなければならない。

 そう思っているのに時折心をかき乱されるのだから情けない。

「えっと……いいんじゃないですか? 少しくらい気を抜いても、奏人さんも詩織さんも見てないですって」

 そういう問題でもないのだが……と言いたいが、優里の笑顔を見ているとそれでいいような気もしてしまう。

「ただ、私はあなたに何かあったらと思うと」

「私は愛子さんに何かあったらと思うと心配ですけど……それも愛子さんのお仕事なんですよね。じゃあ今だけ……今この時だけは一緒にお休みしませんか? 私と一緒にいれば愛子さんも遠くまで気を配らなくていいでしょうし」

 確かに、守る対象がすぐ隣にいるのは一番助かることだ。

「で、では」 

 頷くと、優里はベンチの方へと愛子を導いた。

「あと四十五分……その間だけ……一緒にいてください」

「はい」

 白いベンチに二人で座る。優里は本を読み、愛子はそれを隣で眺めるだけ。

 たったそれだけのことが……気を張らずにぼうっと彼女を見つめていることが……こんなにも幸せなのかと初めて気づいてしまった。

 そう思った途端、イーストプレインのこの柔らかな風がいつも以上に心地よく感じる。

 ふと、優里の頭がこちらに傾いてきたと思えば、彼女は目を瞑ってうつらうつらとしていた。

 連日の勉強により疲れているというのに……さらに本まで読んでいれば睡魔もやってくるのだろう。

 愛子はそっと優里の頭を自分の膝の上に乗せた。

 心地よい風。膝に感じる体温。どうかこのまま穏やかな時が続いてほしい……大事な主人の頭を撫でながら、そう願わずにはいられなかった。


◆  ◆  ◆


「膝枕……定番の膝枕か!」

 奏人は叫びながら頭を抱える。

「というか日に日に優里ちゃんの人たらしが増してきてないかしら?」

 詩織も既に空になったジョッキで机を叩いた。

「膝枕……は僕も憧れますね」

「ふん、千尋は小さいから膝がたりねえだろ」

「は? 僕はこれからいくらでも大きくなるんですけど?」

 穏やかな午後のワンシーンに、皆悩まされずにはいられない。

「というかいつの間に脱走癖が……」

「普段から奏人がしつこすぎるから逃げられるんじゃないの?」

「そ、そんなはずは……ない」

 奏人は執事としてなるべく優里と共にいるようにしているが、今までの話の中では少なくとも奏人は側にいない。

「千尋とクレープを作る話は聞いていたし、そこは了承して千尋に任せた。絢音の時のと愛子の時は……俺が自室で仕事中に脱走……されたみたいだ」

 別に悪いことはしていない。書庫にいくだけなら危険はないだろうし一階は基本的に千尋か絢音がいるのだからなんとかなる。

 庭も愛子が巡回中と知っていてのことだったので少しは危険ではないと判断した結果の行動だろう。

 それでも今回のことは奏人の課題にもなった。この定例会議がなければ気づけなかっただろう。


「よし。次は俺の番だな」

「うわ……なんかエグイのきそう」

「それは同感です」

 絢音と千尋が顔を見合わせる中、奏人はワイングラスを握りしめながら、

「それはある夜のことだ」

と、気を取り戻して話しはじめた。

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