第12話:灰かぶりを育てた集落へ2
太陽の位置がやや西に傾いたころ、ようやく車が動きを止める。
うつらうつらと起きたり寝たりを繰り返していた優里は、車の停止に気づいてまた目を開き、そして随分見たことのある景色にきてしまったと気づいた。
「まずは……儀式を行った張本人にお話を聞きたいですからね」
奏人はそう言い、詩織に次いで車から出た優里にストールを羽織らせる。ノースキャニオンはイーストプレインよりも幾分か気温が低いことに、この時初めて気がついた。
そしてここがどこかというと……優里が育った集落のすぐ裏手だった。
「舞紗さんはこの集落のこともご存知なんでしょうか」
土地を代表する伯爵家は民の様子を見るのも役割の一つだという。であれば舞紗・ノースキャニオンもここを把握してるのだろうか。
「いいえ、私は知らないわ。というかノースキャニオンの集落は全部点々バラバラに点在していて、お父様だって把握しきれていないもの」
「そうなんですか……」
「ノースキャニオンは最北部にテイル王国を代表する山、フェアリマウンテンがあり、そこから流れる川やいくつもの渓谷によって土地が分断されているのです。伯爵はできるだけ全てを把握しようとしていましたが限界があったのは確かなようですね」
虎徹は遠い目をして北の方を見つめる。白く霞んでいるが、どうやらそこに先ほど迂回してきた山よりさらに高い山があるらしいということは分かった。
「優里お嬢様、辛ければ車の中で休んでいていただいて構いません」
「え?」
奏人に言われ、首を傾げる。それから暫くして彼の言葉の意味が分かった。
「大丈夫です、儀式のこととか辛い思い出とか……いろいろありますけど、奏人さんたちがついていてくだされば平気ですから」
確かに優里は苦しい思いをしたままこの土地を離れてしまった。まだ拭いきれない恐怖はあるが、自分を助け出してくれた奏人たちがいるのだから、そこは安心していいと思った。
それにこの集落の人々は暴力的というわけではない。今彼らを怖がる必要などないはずだ。
「では、行きましょうか」
詩織が先導し、奏人が優里の左横に立つ。後ろに舞紗と虎徹がおり、愛子が一番背後で周囲に警戒を放った。なお、絢音はもしものためにトランクで留守番である。
「不思議……」
優里は十年間過ごした集落を改めて眺める。
木をつぎはぎしてできた家にブリキの屋根。それが所狭しと立ち並び、木の物干し竿に薄い布でできた服がいくつもかけられている。
道は舗装されておらず、裸足で歩いたら怪我をしてしまいそうな大きめの石がいくつも地面からとびだしていた。
懐かしい景色のはずなのに、改めて見てみるとここで過ごしていたことが信じられないような不思議な気持ちになる。
「あ、長老の家はそこ、です」
優里は集落の中で最も大きな家を指差す。他の家にはろくに電気も通っていないのに、この家だけは電気も通っているしちゃんと綺麗な水が出る。
優里は金銭や物資の相談で何度か長老の家に使いに出されていたため彼の家の内装は知っていた。
しかし、一体何故同じ集落でも格差があるのだろう。
テレビで映像を見ることもできれば、電話もできる。きちんとした照明もあり、家具だって今にも壊れそうな優里の家のものとは違った。何故一軒だけ随分と格差があるのか……その理由は考えていなかった。
考える余裕が、なかったのかもしれない。
「ごめんください」
と、詩織は長老の家の戸を叩く。暫くたった後、白髪の老人が顔を表した。腰も曲がっているが相変わらず眼光は鋭いままだ。
優里は足が震えそうになったのを必死に堪えた。今まで集落の者の面倒を見てくれた長老だが、やはり儀式の記憶は生々しい。
「はじめまして、私はイーストプレインの詩織・サンチェスと申します。この度はあなたに儀式のことでお伺い……」
詩織が言いおわらないうちに、長老は勢いよく扉を閉めようとする。
しかし、その扉が閉まることはなかった。
「儀式のことでお伺いしたいことがあり参りました」
詩織がメイド服から出た長い足を扉の間に入れて閉まることを防いでいたのだ。しかもそのまま表情一つ変えずに爽やかに言い放つのだから大したものだった。
「……優里・イーストプレインに黒龍を降ろした……まさかそれがバレ、防がれるとは予想外じゃった」
長老は逃げることを諦めたのか、淡々と言い放つ。
「やはり……最初から知っており儀式を行ったのですね。優里様の正体を」
「え……」
優里が小さな声を出す。この、自分を長年灰被りと読んでいた老人は……最初から自分の正体を知っていた?
それに、知っていて儀式の対象にしようとしたのはどういう意図だろう。
「お前……灰かぶりか……随分見違えたものじゃのお」
約一週間前、優里がこの集落で最後に言葉を交わしたのは長老だった。その頃の自分はまだみすぼらしい格好をし、顔も手足も黒く汚れて、髪も絡まっているような哀れな状態だった。
それが今や詩織に磨かれてすっかり旧家のお嬢様。ワンピースもカーディガンも肌触りのいい高級品で、顔も手足も真っ白で、肩で切りそろえられた髪も本来の輝きを取り戻している。
「優里様、ご挨拶を」
詩織は普段優里のことを「優里ちゃん」と呼ぶが、外では異なるようで、ただずまいもいつもより凛としている。
それに違和感を感じつつ、優里はおずおずと前に出て長老を見つめた。
十年間ずっとこの老人を見てきた。いつも自分に対して厳しく接してきていたが、それでも自ら貶してくるようなことはなかったような気がする。
優里にとって長老は父に近いものでもあったかもしれない。あの時までは。
スカートの端を持ち、少しだけ持ち上げて一礼、
「優里・イーストプレインと申します」
と、名乗る。
そして、ピンと背筋を伸ばし、相手の目を真っ直ぐ見つめた。
「集落にいる間はお世話になりました。私は今ノースキャニオンのため、そしてイーストプレイン家のために黒龍を私の中から解放しなければなりません。どうかご協力をお願いします」
さらに優里の隣から舞紗が並びだし彼女も長老に頭を下げた。
「舞紗・ノースキャニオンと申します。黒龍がいなくなればノースキャニオンの木は枯れ果て、川は干上がり、大地も乾燥して自然が消えてしまう。だから黒龍を元に戻さなければならないの。今度は悪さをしないように……ちゃんと私たちが見張るから」
黒龍を戻したいという気持ちは舞紗も変わらないだろう。長老は優里と舞紗の顔を交互に見て、それから溜息を吐いた。
「無理だ」
という答えと共に。
「無理、というのは……」
「ワシらは黒龍をその身体から取り出す方法を知らぬ」
「……そう、ですか」
優里の隣で舞紗が静かに俯く。儀式を行った本人たちが何も知らないとなると、いきなり手立てが途絶えたような気持ちになる。
「ただ、ワシらに儀式を教えた人間のことなら教えても構わない」
老人はそう言って扉を大きく開いた。
「入れ、立ち話もなんじゃろう」
長老に招かれ、全員で家の中に入る。流石に一般民家に七人の人間が入ると狭くもなるが、誰かが外に出るわけにもいかない。長老と優里、舞紗の三人だけが椅子に座る形で従者たちは立ったまま彼らを見守った。
床の上の絨毯、ラジオやテレビ、電話といった電子機器。他にも優里が名前を知らない機械がたくさんあり、ここだけ異空間のような部屋。
一体長老は何を隠してこの場所で生きてきたのだろう。
「お前が儀式の人柱になった原因……それは今から十年前にある」
「え……?」
優里が集落へやってきた時から既に運命は決まっていたというのか。
長老はしばらく間を置いた後、長い昔話を始めた。
「あの頃ワシらは襲ってくる異常気象に辟易としていた」
ノースキャニオンの異常気象というのは今に始まったことではないらしく、十年前も度々起きていることだったそうだ。
それもやはりノースキャニオン家が全ての集落を把握していないことが原因で、どこかの集落で無理な森林伐採などが行われると龍が暴れ出すということを繰り返していた。
そんなある日、この集落に一人の女性が現れた。黒い帽子を深く帽子をかぶったその女性はこの辺りの人間ではなく、スカートや手袋、靴に至るまで全てが黒で統一されていたことが印象的だったという。
その女性は一人の少女を連れていた。それが、五歳の優里・イーストプレインだった。
「彼女はこの異常気象が黒龍のせいであること、黒龍を殺してしまえば厄災も消えるということを集落の長だったワシに伝えた。そして……その黒龍を殺すための儀式に優里・イーストプレインは使える、とも」
女性は事細かに儀式方法を伝え、十年後さらに恐ろしい厄災が降りかかる。その時に優里に黒龍を降臨させて殺すといい……と手引きしたという。
「その女性は……この方ですか?」
詩織が一枚のカラー写真を取り出す。そこには、優里と同じブロンドの髪を持った女性が写っていた。
髪を長く伸ばし、写真をキツく見つめている。
「いや……帽子のせいで顔ははっきり見えなかったがその女性ではない。あの女は銀色の髪に赤い目をしていたからな」
「銀色の髪に赤い目……」
そのような女性は優里の記憶の中にもない。そもそもそのようなやりとりの場面さえ覚えていないのだ。知らないのも無理はない。
「詩織さん、その写真は……」
「
「しかも今の話を聞く感じ、ただの後継争いでもなくなってきた……話を戻しますが、優里お嬢様を受け取った後、あなたはどうしたのでしょうか」
神妙な顔つきのまま奏人が尋ねる。また、新しい人物の存在が浮かび上がってしまった。
「村で一番若い男の家に孤児だと伝えて養子に入れさせたのじゃ。その男はすぐに病死、性格の悪い後妻がこき使うようになってしまったが」
やっと優里があの家にいた理由も判明した。長老がたまに自分に父のように接してきたのはその際の後ろめたさもあるのだろうか。
「十年前……優里お嬢様は屋敷から連れ出されノースキャニオンのこの集落に人柱用として預けられた。そして名も無き家の養子としてこき使われながら育ち、厄災が酷くなったこの年に実際に人柱化しようとした、と」
そう考えれば、優里が連れ出されたのは随分と先を見据えた計画的な行動となる。その主犯が、銀色の髪の女性か。
「ねえ、もしその優里さんお叔母さんが犯人の場合、どうして優里さんを連れ去ったわけ? そんなことバレたら跡取りになるなんてまず無理だって分かる話じゃない」
舞紗がそう尋ね、優里も違和感に気が付く。いくら自分の存在が憎くても犯罪者となってしまえば跡取りどこの話ではない。
「勿論最初は否定していたけれどすぐにバレ、その時に供述したのよ『魔がさした』って。勿論跡取りの話なんて全部白紙になって牢に入れられた……でも十年後に急に獄中で体調が悪くなり……遺言で優里ちゃんの居場所を伝えた」
「ノースキャニオンには他人を意のままに動かす呪術も存在する……銀髪の女がその女性を操ったのかもしれん」
長老が呟く。
「え、では……」
優里の叔母は優里を憎み殺すつもりで連れ去ったのではなかった……?
詩織と奏人の顔が固まる。では、美咲・イーストプレインは利用されただけというのか。
「いや、でも……別に十年前連れ去らなくたってつい先日誘拐して人柱にしても同じことなんじゃないの?」
「つい先日……ならいくらなんでも俺たちだって簡単に優里お嬢様を誘拐させやしない。それに優里お嬢様だって抵抗ができるはずだ。だから幼い頃に連れ出した……いや、もしかしたら十年間ノースキャニオンの地に馴染ませる必要でもあったか」
「気持ちの問題かもしれぬ。流石にお嬢様と言われた時は躊躇したが、この子が灰かぶりと揶揄されるようになってからその躊躇いは日に日に薄れていった。それにこんな美しいお嬢様を人柱にしようなどという民はおらんじゃろう」
確かに、と詩織が呟いた。
この儀式を行うためには旧家の強い能力を持つ少女が必要で。さらにその少女を人柱にしても誰も文句を言わない状況を作らなければならなかった。
「まあとにかく、今は銀色の髪に赤い瞳の女性を探すしかない。長老さん、他にあなたが持っている情報はありますか?」
「いいや、ワシからは以上じゃな。灰かぶり……いや、優里様。あの女には会って行かなくていいのか?」
奏人に投げ掛けられ長老は優里の名を呼んだ。優里様……と。優里は彼にこの名前を呼ばれるのは最後かもしれないと思った。
本名を呼ばれたのに少しだけ悲しい気持ちになるのは何故だろう。
そしてあの女とは……きっと先日まで優里の母親であった女性のことだろう。
「優里お嬢様、貴女に散々酷いことをしてきた方なんかに……」
「会いに行きます」
奏人の制止を遮り優里は立ち上がった。この集落に来たのだから育ての親に会いに行かないわけにはいかないだろう。優里の目を見た奏人は小さく息を吐いた。
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