第4話:イーストプレイン家2

 昼食は、卵とレタスを挟んだサンドイッチと温かなハーブティーだった。

 慣れない味に困惑しつつも、お腹は空いていたようで……サンドイッチは綺麗に平らげることができた。

 そのままハーブティーに口をつけているとノックの音がし、奏人が分厚い本を持って戻ってくる。

「それは……」

「先ほどはざっくりと説明してしまいましたから……もっとこの国の根本のことから説明しようと思いまして」

 机の側にあった椅子を引っ張ってくると、ハーブティーを飲む優里の側に座る。詩織はどこかへ行ってしまったため今は二人きりだ。

 本を持った奏人の隣で話を聞く……そんな経験が昔にあったような気がするが、やはり思い出せなかった。

「はるか昔、このテイル王国は五つの龍が支配していました」

「龍……ですか」

 それは、今優里の中にいる黒龍も指すのだろう。奏人は分厚い本の一ページを開いた。

「それらは一度怒り狂うとその土地が消えさるまで厄災をもたらしてしまう危険な神だったんです」

 集落を襲った異常気象を思い出す。嵐に地響き……そのまま家までなぎ倒してしまうような災害は黒龍が生み出したものらしい。

「……怖い、ですね」

 適当に相槌を打つ。ただあの黒龍は怒り狂っているよりかは何かに怯えているようだったが。

「ええ。だから見かねた国王は国を五つの土地に分け、龍たちをそれぞれの地に住まわせることにした。それが今に残っている地名ですが覚えていらっしゃいますか?」

「北のノースキャニオン……が、私が先日までいた場所ですよね。そしてここがイーストプレインということは聞きましたが……他はあまり……」

 どこかで聞いた覚えはあるが、思い出せなかった。

「中央のセントラルランド、北のノースキャニオン、東のイーストプレイン、西のウェストデザート、南のサウスポート。この五つです」 

 確かにその響きはどこかで聞いた覚えがある。しかしそれはあまりにも昔すぎて覚えているなど無理な話だった。 

「王は最も危険な金龍をセントラルランドに住まわせると、他の土地にも龍を送り込み、四つの一族に龍を守護する役目を命じました」

「四つの一族……それに守護って……」

 また、話がややこしくなる。

「それらの一族は土地と同じ名字を授けられ、伯爵という地位を受け継ぎながら繁栄してきました。このイーストプレイン家もその一つです」

 確かに土地の名前と名字が同じだ。自分がそんな大層な家系の娘だというなら、また現実味が薄れてくる。

「守護というのは龍たちが再び悪さをしないように見守ることです。龍は元々災いをもたらすだけの神ではありません。通常時は人々に恵みを与えてくれる大切な存在。だからこそ共存する必要があり……四つの家の役割はとても大きなものだった」

「……龍にはどのような種類があるんですか?」

 黒龍は災害をもたらした。しかしそれが彼の本当の姿ではないかもしれない……龍の姿を見た時からそう感じていたのだ。

「そうですね……セントラルランドに住む金龍は発展と破壊をもたらし、ノースキャニオンに住む黒龍は自然と災害をもたらす。ここ、イーストプレインに住む青龍は平和と衰退をもたらし、ウェストデザートに住む白龍は発明と喪失をもたらす。そしてサウスポートに住む赤龍は活力と暴力をもたらす……そのような感じでしょうか」

 どの龍にも人間にとっていい面と悪い面を持っている。一度に覚えるのは難しい……と、優里は本に載せられている挿絵を見つめる。本にぎっしりと書かれた文字は見覚えがあるような気がするが……もう読み方など覚えてはいなかった。

「あ……」

「どうしました?」

「いえ……お話を聞いていて思ったんです。龍がもたらすことは善と悪……正反対のものだと思っていましたが……実は全て繋がっていたのですね」

 奏人は一瞬ぽかんとし、それからにこりと微笑んだ。

「流石優里お嬢様、その通りです。行きすぎた発展の先には破壊があります。自然は災害がつきものです。平和も長く続けば衰退が起きる。発明をすれば何かが喪失され、活力は時に暴力にも変わる……全て同じことなんです」

 優里はハーブティーを飲み終えると、微笑を称える奏人を見つめる。彼はどうして今自分を褒めているのだろうか。

「あの……私はあなたにお会いしたことがあるんですよね。それは一体いつのことでしょうか」

 彼らは優里に会ったというが、どうしても思い出すことができない。

「優里お嬢様が五歳のときです。当時俺は十二歳で……姉と一緒にこの家に修行に来ていました。優里お嬢様の笑顔には屋敷の誰もが癒されていましたよ」

「修行?」

「はい、サンチェス家の者は代々イーストプレイン家の従者として主人をお守りする役目を持っているんです。俺は当時から優里お嬢様をお守りする予定だった。それなのに」

「私の叔母さんが……私を捨てた……んですよね。一体、何があったんですか?」

 断片的に聞いた話だけでは想像ができない。

「跡取り争いのようなものですよ。ウェストプレイン家の跡取りが自分ではなく優里お嬢様であることに嫉妬したのでしょう。元から伯爵夫人との仲もよくありませんでしたから……だからあの日、優里お嬢様を連れ去った。あの時の衝撃と悔しさは今でも覚えています」

 奏人はそこで大きく息を吐く。演技でも何でもなく、彼は本当に辛そうだ。そのことに優里は胸が締め付けられる思いだった。自分の存在が誰かを苦しめている……それがどうにもいたたまれなかった。

「あ……私の、両親は……生きているのでしょうか」

 意識を取り戻して数時間だが、両親の姿はない。

「ええ。ただ今は諸事情でセントラルランドにいるため……暫くは直接お会いすることができません。後で電話をお繋ぎしますね」

「はい……」

 さらりと言われたが、優里は記憶にある限り電話に触れたことがない。あの集落においてそのような電子機器があるのは長老の家だけ。天井の装飾が凝られた電飾や机に置かれたお湯を沸かす機械も自分の家では見たことがないものだった。

「あとはもう一つ……ウェストプレイン家の人間として……私は何をすればいいのでしょうか」

 跡取り問題で嫉妬されるようなら、跡取りになることに何か重大な意味があるのだろう。わざわざ自分を見つけ出したのだって何かをする必要があるからだ。

 それをこなすことができるのか……そういったことも不安要素だった。

「ウェストプレイン家の役目は民の様子を観察し、この地の平和を守ること。それができなくなった際、龍は暴れ出します。ノースキャニオンの龍が暴れたのも人々の手で自然が破壊されそうになっていたためです」

「破壊……」

 確かにそうかもしれない。近年集落の近隣で大規模な木々の伐採が定期的に行われるようになっていた。そのようなことがノースキャニオンのあちこちで起きていたとしても不思議ではない。

 龍が苦しんでいたのはそれが原因だろうか。

「伯爵……優里お嬢様のお父様は現在青龍と民の渡し役を担っています。いつか優里お嬢様にその役目が回ってくるでしょう。それはまだ先の話ですが」

「そんなこと……言われても……私は学もないですし、民の様子を見るなんてとても……」

 幼い頃からずっと貴族としての勉強を続けていたならばともかく、召使小娘にそのような役目が務まるとは思えない。

「ええ……ですから今から1ヶ月で、優里お嬢様に出来る限りの教育を行わせていただきます。それも俺たち従者の役目です」

「……教育」

 また厳しい使命が課された気がするが……教育という響きには興味があった。

 知識を身につける……それは、なんだか面白そうだと思う。

「ん……何故1ヶ月なのですか?」

 ふと引っかかって尋ねると、奏人は少し悲しそうな顔をした。

「国王のお達しです……彼はこの十年間庶民の娘として育てられた貴女にイーストプレイン家の跡取りが務まるのか……確認したいというのです。そのための猶予が1ヶ月」

「そんなの、私には無理です」

 思わず即答した。それはあまりにも荷が重い。

「お願いします……本当は無理を強いたくはありません。ただ、これはイーストプレイン家の品位にも関わるお話……一度娘を失った伯爵はやはり周囲から不信感を抱かれますし、それをきっかけにイーストプレイン家の評価は下がる一方。だからこそ……優里お嬢様のお姿を見せて……安心させたい。貴女の両親も、サンチェス家の人間も、他の使用人たちもそれを望んでいます」

 自分がお嬢様として変貌を遂げることが、本当の両親や彼らのためになる……そうお願いされてしまうと、優里には断る理由が作れない。

「分かりました……出来る限りのことはやってみます」

「よかった……」

 奏人の顔がまた泣きそうになる。優里は自分が置かれた境遇について改めて振り返った。

 召使からお嬢様へ。随分と生活が飛躍してしまったものだ。

 つい先日まで掃除で身体中が汚れたまま継母や義姉たちに意地悪をされ、集落の人々からも笑われて過ごしてきた。少しは頼りになると思っていた長老にも儀式の人柱にされそうになった。

 それが、突然綺麗な格好にされ、何故か自分を慕うような人が目の前にいる。自分のことながら、同じ人間の人生だとは思いにくい。


 気づけば随分と話し込んでいたようで、ふと窓の方を見れば、オレンジ色の光が差し込んでいた。

「ここからだと民家は見えないのですね。町とは離れたところにあるのでしょうか?」

 この部屋は建物の二階か三階にあるようで、どこまでも続く草原に、青々とした木々が点在しているのが一望できる。遠くの方にレンガを敷いた道も見えた。

 しかし民家のようなものは見られない。

「ええ、ここはイーストプレイン家の庭ですから……門を出なければ民家はありませんね」

「え……」

 住んでいた集落がすっぽり納まってしまうほどの広大な土地が全て庭だというのか。やはり貴族は庶民とあまりにかけはなれていると実感する。

「夕食もお部屋にお持ちしましょうか。ダイニングまで歩かれるのはまだお辛いでしょうし」

 奏人にそう言われ、優里はベッドのサイドテーブルを眺めた。昼ごはんのようにそこに置かれて一人で食べるのはなんとなく寂しいものがある。

 せっかく広い屋敷があるというのに。

「この家には奏人さんたちの他にも人はいるんですか?」

「ええ。現在はあと三人いますが……」

「では、その方達と一緒にダイニングで食事をすることはできませんか?」

 優里にとってはまだ慣れないことばかりだ。だからこそ、この家のことを……この家にいる人々のことをもっと知りたかった。 

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