第7話 騎士と、調査依頼
かぷり。
グレイはホイップクリームと苺とチョコレートとバナナの入ったクレープに噛り付く。
しかし、その顔は不満を露わにしていた。
「……東部領のスイーツ」
「いや、あれはどう考えても東部に行ける雰囲気じゃなかっただろ」
というか、先に帰ったのはお前じゃないか。
そうルークが言えば、グレイに足を蹴られた。
「お前がお土産でもなんでも、買って来れば良かっただろ」
「……今回は、そのクレープで手を打ってくれ」
「ちっ」
がぷり。
グレイは苛立たしそうにクレープを齧った。
ルークとクレープを片手に持ったグレイは、王都の路地裏を歩いている。
王都を囲む塀と建物に挟まれたそこは、まだ日は高い時間なのに薄暗く感じた。
「依頼にあったのはこの辺りか」
ルークは渡された地図と周囲を見比べると、地図を懐にしまった。
なんでも、この辺りから「キー、キー」という音が聞こえることがあるそうだ。
不気味な音の正体を探ってほしいというのが、今回の依頼内容だ。
その音がメルムの鳴き声なのではないかということで、対メルム特殊部隊に回ってきた。
「今は特に聞こえないが……グレイ、何か感じるか?」
ごくん。
グレイは最後の一口だったクレープを飲み込んで、包み紙をぐしゃりと潰す。
グレイの手のひらの中で火の立つ音がして、包み紙は灰になった。
手をはたいて灰を落としながら、ぐるりと辺りを見回す。
グレイは眉を顰めながら言った。
「精霊たちが少なすぎる」
「精霊?」
「うん。怯えて逃げちゃってる」
「えーと、なんだっけ」
「……」
ルークは、以前グレイから魔法について教わった。
その際に『精霊』という存在のことも教えられたのだが、記憶があやふやだ。
睨んでくるグレイに、ルークは手を合わせて頭を下げた。
グレイは溜息をついて、渋々口を開いた。
「この世界は、精霊で溢れている」
人間には見えることのない、存在。
魔法使いグレイには見えている、存在。
グレイは、すいっと視線を滑らせた。
その視線の先では精霊が飛んでいたのだが、ルークがそれを見れることはない。
「精霊たちにはそれぞれ司るものがある。僕はその精霊の力を借りることで魔法を使える」
物を浮かす時も。
風を操る時も。
炎を燃やす時も。
全ての魔法は、精霊の力を借りることによって使えている。
単純な魔法ならば、頭の中でイメージするだけで簡単に精霊に伝わる。
複雑な魔法になると、頭の中のイメージに加えて、精霊に対してより強く念じなければいけない。
その時に鍵となるのが呪文である。
「まあ、魔法が使えないお前らには関係ないことだけどね」
はっとグレイが小馬鹿にしたように笑う。
「それはその通りなんだが……うん、俺たちには見えないけど空中にいっぱいふよふよしているのが精霊で、お前はその力を借りて魔法を使っているんだな」
「……いっぱいふよふよ」
言い方に引っ掛かったグレイが、口をへの字に曲げた。
「いいや、お前に言っても通じないし」
「何がだ?」
グレイはルークを無視して話を戻す。
「精霊たちは世界のあらゆる所に存在している。でも、精霊たちが忌避する場所っていうのもある」
「忌避する場所」
「そ。精霊が嫌いなもの……それは、強すぎる負の感情」
「……ここには精霊が少ないと言ったか」
「うん。ほとんど逃げちゃった」
それは、ここに強すぎる負の感情が渦巻いているという証拠だった。
「精霊曰く、夜になると嫌なものが来るらしいよ。メルムかは、わからないみたい」
「会話もできるのか」
「簡単なものならね」
ルークは、魔法使いってすごいんだなとしみじみする。
「しかし、夜にやってくるのか……出直すか?」
「やだよ」
そう言うと、グレイはすたすたと歩き出した。
そしてとある場所で、「あった」と足を止める。
石畳の一つを、踵で思い切り踏み込む。
すると、バコンと石が外れ、中から取っ手が出てきた。
「ここから、僕好みの嫌な気配が漂ってきてる」
ふふ、と魔法使いが笑った。
*
石畳を何枚か外すと、人一人なら入れそうな扉が出て来た。
取っ手を掴んで引き上げれば、それは簡単に持ち上がる。
最近も使われたという証だろう。
扉の下には階段があった。
しかし、明かりは灯されておらず、太陽の光が届かないところは見えなかった。
「俺が先に行く。お前は後ろからついて来てくれ」
「……僕に背中を見せていいわけ」
「突き落したりしないよな……?」
「さあ、どうしようかな」
ルークは一抹の不安を感じたが、得体の知れない場所にグレイを先に行かせるのはもっと嫌だった。
慎重に、扉をくぐった。
壁に手を当てて慎重に階段を下りていく。
何も見えなくなったな。
ルークがそう思ったとほぼ同時に、階段に自分の影が出来た。
後ろを振り返ると、グレイがろうそくの炎くらいの大きさの玉を浮かばせていた。
「助かる」
「お前のためじゃない。僕が歩きにくかっただけ」
グレイがトンっと、太陽の光が当たらなくなる段を踏む。
「いつまでぼうっと突っ立ってんの。蹴飛ばすよ」
「悪い、先へ急ごう」
コツン、コツンと階段を下りる足音が響き渡る。
階段を全て降りると、今度は長い廊下が闇の向こうへと続いていた。
廊下を慎重に歩いていく。
二人とも無言だ。
彼らの足音以外、何も聞こえない。
突然、ゆらりとルークの影が揺れた。
ルークは剣の柄に手を掛けて、勢いよく振り返る。
ゆらゆらと、グレイの浮かび上がらせた炎が不規則に揺れていた。
グレイは、蹲っている。
「グレイ!」
ルークは慌ててグレイに駆け寄った。
自分を呼ぶ声に、グレイがゆっくりと顔を上げる。
ただでさえ死人のような顔色は、更に蒼白になっていた。
「なにがあった!」
辺りを見回しても、敵の影はない。
変な匂いもしない。
それとも、無臭の毒ガスか。
ルークは鼻と口を覆えるものを求め、自分の団服を破ろうとした。
その手を、グレイが止める。
ルークに添えられた手は、いつものグレイから想像できないほど力なく弱々しくて、震えていた。
「きし、さま……」
「どうした」
グレイの小さな声を聞き逃さないように、ルークは耳をグレイの口元に近付けた。
はっと、グレイの口から苦しそうな息が漏れる。
こんなに弱ったグレイは、初めて見る。
なにが起きたのか。
ルークがグレイの言葉をじっと待つ。
再び、グレイの口が開かれて。
がじり。
「いってぇ!」
「はは、まぬけ」
ルークはグレイに耳を噛まれた。
「ひっかかるなんて、だっさいね」
あははと笑って、グレイが立ち上がる。
「お前な……本気で心配したんだぞ」
ルークは耳を押さえながら、グレイを見上げる。
更に文句を連ねようとした口が、止まった。
「お前が、僕を?」
はっとグレイが鼻で笑う。
「おおきなお世話だよ」
その顔色は、紙のように白かった。
「お前……」
「ほら、さっさと行くよ」
座ったまま固まっているルークの隣を、足早にグレイが通りすぎる。
「こんなとこ、すこしもいたくない」
炎が、小さくなった気がした。
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