第26話 落ちていく中で

 深海に落ちていくというのが、しっくりくる表現だろうか。暗転しつづけていく、この世界を俺はただ見ていた。


 痛みは強く激しかった。わめき散らして反吐をはいて、身と心の隅々まで丁寧に搾り取られた存在となった自分を、なにと呼べばいいのかわからなかった。それでも人はヒマにたえられないらしい。考える葦だ、と偉人がいったそうだけど、今の俺には「あなたもまたヒマに耐えられなかったんだな」そう思う。


 こんなくそしょうもない思考が始まっていくんだ。そういえば思考とか意識とか、どこで生まれているんだろう。脳か心臓か魂か。そのどれもが当たっていて外れている。今の俺はどこを使っているっていう感覚がないんだ。今なら門外漢な話を読み聞きしても、頭が痛くなったり精神が病んだりすることもなく、完遂できる気がする。


 この世に聞ける人物は少ないらしい。誰もがアドバイスや反論、共感といった自分の言葉を投げることしか考えていないというんだ。人間は欲望を満たすために進化したという。それは好奇心という名の、もっとも純粋な感情から生まれるんだとか。あるがまま生死をいく動物たちの中にあって、人のみがはてなき望みを抱き続けて未知の領域へと進み続ける。それは生命の進化を超えた速度を持っている。


 けれど、動く肉体がなければならない。もっとも原始的な五体あるいは脳波などの電気信号がないことには、行動できない。肉体という器からは、人がいかに大望を抱こうとも逃れられない。つまり、だ。


「この違和の正体は、俺に混じったロギアの血だったんだろう」


 声を吐き出してみれば、それを契機に肉体が構成され、先ほどまでの無限の暗転は緩やかに終わっていった。宙に浮いているようで地についている、そんな感覚と共に五体の感覚もつかんでいくことができた。


 血が混じったのは、一度目の決闘でロギアの太ももへ突き刺した時か。戦いの後、そのままロギアに埋もれたんだったな。戦いの最中で、他にも少量の血はついた人はいたかもしれないけれど、ロギアの血に最も多く接触したのが俺であるのは間違いないだろう。


「もっというならば、あの噴水でロギアに初めて会った時から、俺はロギアの影響を受けていたのかもしれない」


 涼子に振り回されていたとばかり思っていたけれど、この一年ほどの日常からの逸脱のはじまりは、ロギアだった。その認識に立てば、異世界に来てからの俺は特に慣れていた。「直人、あなた。まるですべてがわかっていたような適応っぷりよ」涼子の言葉がリフレインする。


 どこまでが俺の感覚で、どこからがロギアの影響を受けていたものなのか。いや、そんなことはどうでもいい。今の俺の感覚は、はたして俺だ、と断言できるものなのだろうか。


 自身の存在そのものにすら混乱を生じ始めたとき、暗闇を一瞬で赤く染め上げられる。急激な色の変化に対応できない中、それでも腰溜めに拳を構えた。

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