第18話 シリウスと死霊の密約
「――寝ましたかね」
寝息を立てていることを確認して、そっと腕枕を解いた。物音を立てないようにそっと離れ、ぐっと背伸びをする。さっきはなかなかに危なかった。彼女が助けてくれなかったらどうなっていたか。
妻の寝顔を眺めると、すやすやと安らかに眠っている。落ち着かせるように仕向けたのは自分だが、本当に寝るとは思わなかった。わが妻ながら肝がすわっている。
腕に残るぬくもりが名残惜しくて、頭を撫でた。ううんと寝言とともにまつ毛が震えた。
離れるのが忍びないが、そうも言ってはいられないだろう。
「コントリオン、ここに」
呼びかけると、影から染み出すようにコントリオンが現れた。足元にすわり、後ろ足でカリカリと首をかく様は猫そのものだ。
初めて会った時は、形を失いかけていたが、すっかり猫の姿を取り戻している。私が彼を猫だと認識することで存在が強化されたのだろう。死霊の存在は、認識によって強化されるというのが私の仮説だ。
そして先ほどの彼も、はっきりと人の形を残していた。彼は死霊の中でも特異な存在に違いない。彼を逃すわけにはいかない。
「彼にもう一度会います。コントリオン、彼の探索、お願いできますか」
コントリオンは大きく伸びをすると、とことこと部屋を出ていった。
◆◆◆
「お前、何しに来たんだ。さっきの仕返しに来たのか?」
「いえいえ。君と話す事があったので、探していただけですよ」
はたして、一階のエントランスに彼はいた。
意外とすぐに見つかったものだと拍子抜けた。隠れているか、それとももう屋敷の外に逃げてしまったかと思っていたが。
「変な奴……、いっとくけど、謝らねぇからな」
黒い輪郭だけの存在だとしても、拗ねた子供であることが見て取れる。
「かまいませんよ。私もあなたに気を許すつもりはありませんから。――それから、私はシリウス・プリンシパル。正式にこの館の主人になったものです」
――はぁそうかよ、と黒い子供は嫌そうにつぶやいた。
「今ってさ、テレンスが領主だった時からどれくらいたったんだ」
「テレンス・プリンシパルは6代前の領主、ざっと100年くらい前ですね。この度は、すいませんね。見苦しいところを見せました。こちらも新婚でして、多少大目に見てもらえると助かります」
私の予想が確かならば、悪いのはこちらだ。彼はこの館を守っていただけなのだから。
「――あの部屋はよ、テレンスのお気に入りなんだ。だからついかっとなった。いきなり凍えさせたのは悪かったよ」
彼も
プリンシパル領には死霊の伝説がいくつか残っている。
その中でとくに有名なものが、『領主と死霊の少年』の話だった。
昔々、領主の館の前に、少年が一人行き倒れていた。優しい領主はその少年を保護し育てた。回復した少年は、そのまま領主につかえた。しかし、その時代、領土一帯でたちの悪い伝染病が流行った。領主のもとで働いていた少年は、哀れにも伝染病に倒れ、三日三晩苦しんで死んでしまったという。
続いて領主も熱病に倒れたが、そこに死んでしまった少年が死霊の姿となって表れ、熱病に聞く薬草の場所を領主に教えて消えてしまったというのだ。
「まさか昔話の少年霊と会うことができるとは思いませんでした。あなた、しばらくどこに居たのですか? 人前に現れるのは数十年ぶりなのではないですか?」
「へん、なんでお前にそんななこと言わなきゃいけねーんだよ。お前らが悪いんだろう。テレンス様の館を壊れたままほっとくから。盗賊が入り込んだらどうすんだよ」
「……それはすいません。あなたは、代わりに館を守ってくれていたという事ですか」
テレンス様と約束したんだからな、ここを守るって――とつぶやくように言って彼は、すいっと宙を飛んだ。
「じゃあせいぜいがんばれよ。おいらはもう用済みだから、元いたところに戻るぜ」
「君は普段はどこか別のところにいるのですか? 私たちはこの館を継承しました。君はテレンスのゆかりの者のようだし、ここに居たらいいじゃありませんか」
「――死霊は人間と一緒に居られない。おいらは知ってる」
そういっていずこかへ飛び去ろうとする。
一緒には居られない。それはわかります。ですが、
「コントリオン! 捕まえてください」
呼びかけに答えて私の足元から、無数の腕が伸びた。変幻自在の死霊は、形にとらわれない。そして、死霊に触れるのも、死霊だ。
「何しやがる!?」
突然の暴挙に、ダンテは抵抗するが、コントリオンの腕からは逃れられない。黒い網にがんじがらめにされたダンテは、身動きが取れなくなったようだ。
コントリオンは最近、私の片腕として、特に腕を上げているのだ。
「お前も死霊を使うのかよ!? 最近のやつは、どうなってるんだ!」
「――無力な人間と思って油断しましたか? 今代のプリンシパル伯はそう甘くありませんよ。一度は私に手を出したのです。そのままハイさようならとはいかないでしょう?」
我ながら悪役じみた発言だ。教会の監査官などやっていると、このような振る舞いばかりが得意になる。
「なに、悪いようにはしません。君にはちょっとお願いしたいことがあるんです。死霊である君にしかできないことです。拒否権はありませんよ」
ダンテはすっかり怯えている様子で、小さくまとまってしまっている。
彼にはちょっとした密約を交わしてもらいましょう。
すべては愛する妻のため。君にも一肌脱いでもらおうと思うのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます