96.この子、マリアにします

 途中で休憩を挟みながら、馬車はトラブルもなく公国に入った。美しい草原を抜け、整えられた街並みを走る。ベルトラン将軍が、窓から話しかけた。


「もうすぐ到着いたしますぞ」


「ありがとうございます」


 窓から見える景色に、見覚えのある屋敷が現れた。美しい庭のある屋敷の前で、馬車は速度を緩める。護衛の騎士が編成を直し、前後に整列した。馬車を囲む形での護衛はもう必要ないのでしょう。


 玄関先へ滑り込んだ馬車が止まる前に、リリアナを起こす。まだ眠そうだけれど、久しぶりの領地帰還だもの。眠ったままは可哀想だわ。目元を優しく拭いて、乱れた髪を整えた。


「これでいいわ。可愛いわよ、リリアナ」


「ありがとうございます、お義母様」


 にこにこと笑うリリアナは、お人形をしっかり抱え直した。人形の服や髪の乱れを指先で整え、私を見つめる。


「この子、マリアにします」


「マリア? いい名前だわ」


 お母様が声をあげると、照れたリリアナはほんのりと頬を染める。そこで馬車が停まった。僅かな揺れを残し、御者が扉をノックする。応じて開かれた扉の外に、オスカル様と大叔父様が待っていた。


「豪華なお迎えですこと」


 お母様がほほほと笑う。オスカル様が伸ばした手を取り、リリアナが最初に降り立った。抱きついて「ただいま」と挨拶をする彼女は、年齢相応の幼子に見えた。私の前ではまだ大人ぶっているけど、慣れたら幼い振る舞いで甘えて欲しいわ。


「ティナ、どうぞ」


「ありがとうございます」


 続いて私がオスカル様の手を掴む。それからエルを受け取って、最後にお母様が大叔父様の手を借りて馬車を降りた。敬礼するベルトラン将軍に、大叔父様が酒の誘いを向ける。職務中だと断られ、残念そうに呻いた。


「手合わせをお願いして、それから夜は飲んだらいいわ。ベルトランも騎士達も、明日はまだ帰らないんだもの。ゆっくり休みなさい」


 お母様が断言したことで、全員休暇となった。もし明日出掛けるとしても、大公家の騎士達が護衛してくれる。ほぼ丸一日かけて移動したので、大叔父様やオスカル様もこの案を後押しした。


 お母様がエルを抱くと仰るので渡せば、大叔父様も抱っこしたがる。人気のエルを微笑ましく思っていたら、リリアナが手を伸ばした。私が握れば、反対の手をオスカル様に伸ばしかけて、動きが止まる。


「お義祖母様、マリアを預けてもいいですか」


「あら、大切なマリアちゃんを預けてくれるの? 嬉しいわ」


 エルを大叔父様に取られたお母様は、言葉通り嬉しそうに笑って受け取る。エルを抱くように、きちんと頭を支える形で抱っこした。空いた手をオスカル様と繋ぎ、リリアナは歩き始める。


 銀髪のつむじを見下ろし、私は嬉しくなった。私やお母様に甘えることに躊躇がなくなってきたわ。


「リリアナ、あとでマリアを紹介してくれないか?」


「ええ、お義父様。私の大切なお友達なのよ」


 得意げに語るリリアナは、ちらりと私を振り返る。その仕草が可愛くて、自然と頬が緩んだ。


「今度一緒にマリアのお洋服を作りましょうね」


「頑張る」


 幸せはすぐ近くで、可愛らしい笑顔を振り撒いていた。

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