88.耳元で囁かれた甘い声が嬉しくて

「全然気づけなかった」


 リリアナの我が侭の意味を知らず、エルを忘れていると叱ろうとした。そう反省するオスカル様に、私は首を横に振った。


「そうではありません。オスカル様の対応は正しいのです。ただ私も間違っていなかったと胸を張れますわ。リリアナが幸せになるために、私達は協力し合いましょう。エルも含めて、二人とも私達の宝ですもの」


「そう言ってくれると助かる」


 ほっとした顔のオスカル様は、自分が気づければよかったのにと後悔を滲ませた。でも女性と男性は考え方も、物事の捉え方も違います。気付ける方が指摘すればいい。間違ったとしても、きちんとやり直せばいいのですから。


 微笑み合って、子ども達の様子を見に行った。眠るリリアナの銀髪を撫でる。続いて、すやすやと寝息を立てるエルの頬に手を添わせた。


「では、おやすみなさい。バレンティナ様」


「オスカル様、そろそろ……ティナとお呼びください」


「っ、はい。では私のことも呼び捨てでオスカルと」


 真っ赤になって見つめ合う。すっとオスカル様が身を屈め、私に影がかかった。期待して目を閉じる。顔を上向けた頬に何かが触れて、離れた。目を開けると近い距離で、オスカル様が微笑む。


「では、おやすみなさい。ティナ」


 耳元に囁かれた甘い声にうっとりしながら扉を閉める。ベッドまでふらふらと戻り、ぺたんと座り込んだ。どきどきする。侍女を呼んで着替えて、それから……毎日同じことをしているのに、手順を頭の中で繰り返す。そうしないと照れてしまう。


「お嬢様、失礼致します。夜のお支度を」


 びくりと大袈裟に肩を揺らしてしまった。侍女はノックをした後だったらしく、きょとんとして私を見ている。


「な、何でもないの」


「お顔が赤いです。具合が悪いようでしたら、お医者様をお呼びします」


「いいえ、平気。お風呂は朝にするわ」


「かしこまりました」


 熱があると判断したのか。さっと着替えを終えた後、侍女達は部屋を暖め、枕元に薬や水を用意した。心配そうに下がる彼女達を見送り、サイドテーブルに置かれた呼び鈴に苦笑いする。


 完全に病人だと思われたわね。お風呂を明日の朝にしたのは、恥ずかしいから一人にして欲しかっただけなんだけど。お母様やお父様に心配をかけるといけないから、早く起きて元気だとお知らせしなくちゃ。


 エルの寝息が聞こえる暖かな部屋で、すぐに眠りは訪れた。その夜、私は不思議な夢を見る。体があまり動かなくて、籐で作られた寝椅子に寄りかかっていた。指先に柔らかな感触があり、視線を向けると3歳くらいの男の子が触れている。


 私はお祖母様と呼ばれ、微笑んで幼子の頭を撫でた。男の子の先へ視線を向ければ、多くの子が遊んでいる。そこへ年老いた男性が声を掛けてきた。


「今日はもう眠ったほうがいい。また明日。私のティナ」


 その声は年齢を重ねてかすれているけれど、甘くて。先ほど聞いたオスカル様の声に思えた。歳をとって動けなくなるまで、一緒にいて欲しい。今度こそ人生を共にする人でありますように。そんな願いが生んだ夢は温かくて、幸せに包まれて目を覚ました。

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