人類滅亡の日に、彼女が出来た
@torororo3
人生最期の24時間
001 死の宣告と、恋の告白
俺は今日、死ぬらしい。
『繰り返します。緊急事態が宣言されました。今も地球に向かって、100㎞を超える巨大な隕石が、刻一刻と近づいてきています。専門家によれば、この規模の隕石は地球全体に影響を及ぼす可能性が極めて高く、過去に恐竜が経験した大量絶滅よりも、さらに大きな衝撃が……』
一度目に聞いたときは、信じられなかった。放送事故を起こしただとか、エイプリルフールのネタだとか、そんな言い訳で理解することを放棄していた。でも、二度目に別のチャンネルで同様の報道内容を耳にしたとき、嫌でも分かってしまった。この報道が、恐らく事実であるということを。
このアナウンサーのお兄さんが真剣な表情で原稿を読み上げる姿を見るのは、もう何度目になるだろうか。積みあがったテキストを前にして、ペンはぽとりと重力に従って落ちていった。自然と口呼吸になって、息が荒くなっていくのがわかる。
「……っ」
ゴクリ、と唾をのむ。深呼吸をして、混乱しかけている思考を一旦なだめた。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて、今にも爆発しそうな感情を抑え込む。
どうやら俺は、そこまで子供ではなかったらしい。理解したくない現実を、受け入れられる程度には。
そして、考える。今、何をやるべきなのだろうと。人生の最期を迎える前に、やり残したことはなんだったろうかと、思案するのだ。
立ち上がって、パジャマを脱ぎ捨て、制服を着る。ボタンを閉めてベルトをして、そして洗面所で軽く口をゆすいで。飛び出るみたいに家を出た。一応、『いってきます』という書置きをリビングに遺しておいたから、問題はないはずだ。いや、問題はあるのだろうけど、この際気にすることでもないだろう。
家を出ると、そこは夜の深い闇に包まれていた。ぽつぽつと立っている街灯と、星々の微かな煌めきだけが、世界に光を灯している。そんな場所を自転車で走り抜けるのには少し恐ろしさもあったけれど、幸いなことに人は誰ひとり出歩いていないから、ぶつかる心配はなさそうだ。秋の夜風は冷たくて、熱くなった体温を覚ましてくれている。
時刻は0時20分過ぎ。校門の前にたどり着いて、自転車を降りた。こんな時間では当然、校舎の電気はついていないし、校門の鉄扉も固く閉ざされている。だが、そう猶予があるわけでもない。だから、俺は校門に手をかけて勢いよく飛び越えた。蹴ったときにガーンと金属音が鳴り響いたけれど、幸いなことに警報は鳴っていなかった。まぁでも当然、校門が閉まっているということは扉も締まっているわけで、どうやら建物の内部に不法侵入することはできなさそうだ。
仕方がないので、入口のガラス扉に背中を預けて、腰を下ろした。
余裕のないふとした瞬間、告白というものについて考えていた。というか、告白をするべきだと既に結論付けているのかもしれない。いや、告白をするべきだ。そうやって、死という明確なリミットを抱えた思考は、結論を急いで物事を進めていく。
いかにもテンプレ的な思考回路だ。最後の日に、恋にかまけるなんて。
自分でもうんざりするけれど、それはつまり当たり前ってことでもあるわけで、馬鹿らしく思うことでもないのかもしれない。べつに、狂おしいほど好きな相手がいるわけじゃないし、つい数分前までは告白する気なんて微塵もなかったはずなのに、何故だろうか今日が最後だと思ったら真っ先に浮かんだのがこれだったのだ。
まだ、平均寿命の4分の1も生きていないわけで、人生においてやり残したことなんて山ほどある。けれど、やはり16歳の思春期ともなれば恋愛に興味を持つのは自然なことだ。そうやって自分の中に言い訳を作って、最期の日に玉砕する手間を彼女に取らせることを正当化するくらい、もう今日はいいはずだ。
「ん?」
突如、ガイーンと鈍い鉄の音が聞こえた。どうやら、俺と同じように校門を無理やり踏み越えたやつがいるらしい。彼か彼女かは知らないが、きっとニュースを見たのだろう。その足音は明らかに焦りを感じさせるもので、軽いがテンポは速い。
なんだ、と思って立ち上がると、思わぬ人物と目が合った。
それは、華奢だが体躯のしっかりとした健康的な少女である。日本人らしい艶のある黒に染まった髪をぱっつんと切りそろえた日本人形のようなヘアスタイルであるが、細部に至るまで絶妙に綺麗な顔のパーツと大人びた雰囲気は、決して子供らしさを感じさせない美しさがあった。短くないスカートと着崩していない制服も、彼女が着るとまるで別物で、ランウェイを颯爽と歩くモデルさんみたいだ。可愛さとか妖艶さより、純粋な綺麗さ美しさが前面に出ている。きっと、渋谷なんかを歩いていたら、すぐにスカウトされてしまうのだろう。
つまるところ、美少女だ。
そして、待ち人との、奇跡的な邂逅である。
彼女は
唖然として空いたままの口が、生暖かい空気を排出する。秋の木々が鳴らす乾いた音が耳の奥に妙に鮮明に残って、感覚が鋭敏になって、この瞬間が今も脳に強く刻み付けられていた。
「……あ」
彼女は、俺のことを知っているだろうか。一応、同じ学年で、同じクラスで、隣の席になったこともあったりするのだけれど。密かな憧れを抱いていたことも、授業中にチラチラと見ていたことも、きっと彼女は何ら気にしていないのだろう。彼女にとっては、俺もその他大勢のうちの一人でしかないのだから。
ただまぁ、「一種の経験」という最強のポジティブシンキングにあてはめてしまえば、告白して玉砕するなんてたいしたことじゃない。ほんの一瞬、そんなことがあるだけのことだ。
はぁ、とため息を一つ。
汗に濡れた黒髪が、街灯の明かりに照らされて少し光を反射していた。正統派美少女ともいえる圧倒的でシンプルな美しさは、グラビアアイドルとか芸能人とかの作り込まれたそれではなく、どちらかというとファッションモデルや女優のようだ。
そんな相手だ。どうせ、結末は思った通りだ。この行動は、自己満足に過ぎないのだろう。
でも、これが最期だ。有終の美とはならずとも、死ぬ気で告白してフラれるのならそれもまた一興である。
顔が赤い。目が少し潤っている。動悸が激しい。死にそうだ、マジで。
「好きです」
でも、言ってしまえば、そんな辛さも少しばかりは和らいだ。深呼吸を一つして、再び口を開く。
「このあと、付き合ってもらえませんか。南雲さん」
終わりを考えてみると、今でもゾッとする。けど、避けようがないのなら仕方がない、という自分なりの答えが既にあったからこそ、こんな告白なんて血迷った真似をしているのだ。今更、忘れた恐怖を思い返す必要なんてない。
すべては、人生最期の気まぐれだ。
「……」
顔を上げると、彼女の表情は変わっていなかった。きっと、告白なんていつものことなのだろう。彼女からしたら、これは迷惑行為でしかないわけで、手間取らせてしまったことを少し申し訳なく思った。
「あ……えっと、その、これは儀式みたいなものっていうか。こんな日だし、俺もちょっとおかしくなって……」
「いいよ」
「なんで」
心の底からぽろりとこぼれ出たみたいな問いに、彼女は小さな口を動かして返答する。
「……どうせ、最期だから。君も、そうなんでしょ?」
彼女の言葉もまた、俺と同様に人生最期の気まぐれに過ぎないのだろう。嬉しいはずなのに、とても悲しくて辛い。感情がごちゃごちゃになって、開きかけた口を噤んだ。
「じゃあ、なにする?」
悲しみも悔しさも仮面で覆い隠したみたいな南雲さんの表情は、いつもより大人びて見えた。そこに恥じらいはなく、きっと先人たちがこれを見たら、恋だなんて認めないだろう。でも、そこに文句をつけるほど、残された時間に余裕はない。
この女神の気まぐれに、人生最期の幸運を得られたことに、素直に感謝するべきだろう。
俺はゆっくり、口を開いた。
「やり残したことを、やりたい」
そう言うと、南雲さんは少し口角を上げて頷いた。その笑みは満面の笑みというにはほど遠いけれど、天使のように美しくて、当然可愛さも兼ね備えていて、最高だ。すると、彼女は手を差し伸べてきた。少し困惑したように首を傾げると、彼女は言った。
「握手」
おそるおそる手を差しだすと、華奢で小さな彼女の手が近づいてきて俺の手を掴んだ。そして、ゆっくりと軽く上下に動かされる。思えば、初めて彼女の肌に触れたことになる。その暖かい体温と、少し汗で湿った感触は、お互いの命を感じさせた。
すると、自然と鼓動は高まり、頬は熱を帯びてくる。慣れないスキンシップに加えて、相手が南雲さんともなれば、つい恥ずかしさと嬉しさに舞い上がるのも無理はないだろう。
「これからよろしく、
少し意外だった。彼女にとって、何物でもないはずの俺の名前を知られていたとは。事実、殆ど話したことはないし、あったとしても事務的なものばかり。苗字はともかく、名前まで知っているとは、思ってもみなかったことだ。
「名前、知ってたんだ?」
俺がそう言うと、彼女は怪訝な表情で視線を送ってきた。そして、そのまま少し不満げに口を開いた。
「私のこと、そんな風に思ってた?」
どういう意味なのか分からなくて素直に首を傾げると、彼女は小さくため息をついた。そして、すこし真剣な顔になって、ほんのちょっと頬を赤く染めて、顔を逸らす。そんな仕草ひとつひとつが、綺麗で可愛くて、魅力的だった。
「べつに、自暴自棄になってるわけじゃないから」
すると、彼女は握った手をぐいと引っ張って、ちょっぴり強引に歩き始めた。どうやら、この話はもう終わりらしい。かわいい。
南雲さんは気にしてないけれど、俺たちは手を繋いで歩いている。握手だけでもヤバかったのに、手を繋ぐなんて反則だ。
「な、南雲さんは、どこか行きたいところある?」
不自然な挙動を誤魔化すように、話題を振った。色んな感情のせいで少し声は震えているが、バレない程度ではあるはずだ。
「とりあえず、二人きりになれるところかな。きっと外は、危険になるから」
「ふたりきり……っすか」
平然と語られた彼女の要望に対して、いかにも思春期みたいな、まぁ実際に思春期だからしょうがないのかもしれないが、そんな反応をすると、横にいる南雲さんは特に何も気付かなかった様子で言葉をつづけた。もしかしたら、意外と鈍感なのかもしれない。
「こんな日だから、暴動が起こっても不思議じゃないし」
町にはちらほらと明かりが点き始めており、どうやら事態を認識した人も増えてきたようだ。きっともう、数万人数億人が、俺たちと同じように最期を送っているのだろう。そのなかに、凶行に走る人間がいても不思議じゃないのは、納得できる。
二人きりになれて、安全で、なおかつ金がそんなにかからない、南雲さんを連れ込んでも問題ない程度にある程度綺麗な場所。
それなら、いい場所を知っている。
深呼吸を一つ。未だ収まらない恋の鼓動を無視して、心を落ち着かせた。
「ついてきてくれる?」
なるべく平然を装って言った。信頼も実績も何一つ築けていない状態で、彼女が本当に俺の最期に付き合ってくれるのか未だ不安で、せめて堂々とした強い男を演じたかったから。
南雲さんは小さく頷いた。
「うん」
そんなちょっとしたやり取りに、日常で感じることのない感情の揺れ動きを感じる。これが恋と言うやつなのか。それとも、死を前にして感覚がおかしくなっているのか。いずれにせよ、なんだかんだこの瞬間だけを切り取れば幸せであることに違いはないのだろう。
それからすぐ校門を抜けて、学校を出た。町にまだ人影はないが、数分もすればきっと辺りは騒がしくなるだろう。できれば、騒ぎが大きくなる前に街を抜けたいところである。だが、目的地は徒歩で向かうには少しばかり時間がかかりすぎる。自転車では20分でも、歩けば1時間かかってしまうのだ。
「あ……あの、手を」
「うん」
非常に名残惜しかったものの、自転車を使うために繋いでいた手を離した。なぜこの幸福を自分から手離さなければならないのかと、心底悩んだが、今後のためには致し方ない。
鍵を開けて、サドルに跨って。南雲さんの方を振り返ると、そこに彼女の姿は無かった。探索範囲を広げて辺りを見渡してみると、ふと背中に触れられた気がして、後ろを振り返る。すると、灯台下暗しというべきか、彼女は俺の真後ろにいた。というか、自転車の荷物置きに横向きにちょこんと座っていた。
「ごめんね。今日は、歩きだったから」
どうやら、自転車に二人乗りする気のようだ。
「……まぁ、南雲さん運動神経いいから、大丈夫か」
すると、南雲さんは俺の腰回りに手を回して、後ろから抱き着いてきた。色んな柔らかい感触が背中に軽く触れている。無論、それは体を固定するためなのだが、そんな純粋な彼女の意図とは違って、俺が感じているのは彼女の体の素晴らしさだった。それは、今まで触れたどんなものより魅惑的で、触れられているだけで幸福になる魔法がかかっているみたいだ。
「……いかないの?」
そんな状況で数秒、足を動かさずにその幸せに溺れていると、彼女は耳元で囁くみたいに声を出した。これは、やばい。
そんな揺れる心を誤魔化すみたいに、俺は足を動かした。
最初はゆっくり、二人乗りなので安全第一で走っていたが、慣れてくるとスピードに乗ってきて普段と変わらない速度で走れるようになってきた。時刻は0:30頃。秋の夜風は少し寒くて肌は冷たいはずなのに、背中だけはやけに熱い。ちょっとした地面の凹凸を超える度につぶれる柔らかな肉体が、俺の理性を揺るがしていた。
「あと、10分ぐらいだから」
風の音に負けないように、少し大きな声で言った。景色は徐々に町から山っぽくなってきていて、周辺には畑と森が広がっている。未だ人影は見えず、俺と彼女の最期は誰にも観測されることなく進んでいた。涼しくても、当然すこしは汗が出てくるわけで、中に着たシャツもすこしじわりと湿気を帯びてきた。汗臭いんじゃないかと少し心配だが、だからといって対策できる何かを持っているわけでもない。つまり、俺はただ祈るしかないわけだ。
暗い二車線の道路を自転車のライトを頼りに走っていくと、やけに光り輝いている広告看板が見えた。よく見ると「24h コンビニエンスストア(無人)」と書かれている。
「あれが目的?」
すこし速度を落とすと、後ろから囁くみたいに南雲さんが声を掛けてきた。耳に口を寄せるせいか、柔らかい二つのかたまりが少し強く押し付けられて、思わず鼻の下が伸びそうになる。これだけでも、この人生最期の日は過去最高の日といえるだろう。
「ふぅ……寄っていくけど、目的地じゃない。もうあと3分ぐらいだと思う」
「そっか」
コンビニの駐車場はすこし広くて、ちゃんと自転車用のスペースも用意されていた。だが、流石に深夜なせいか車は一つも止まっておらず、客は俺たちだけのようだ。駐輪場につくと、彼女は自転車から飛び降りた。
「ありがと」
「どういたしまして」
赤くなったままの頬を隠すように背中を向けて返事をした。言い訳のために自転車のスタンドを立てて、誰もいないのに鍵をかける。少し心を落ち着かせたあと、ゆっくりと振り返ると、なぜだろうか手が差し出されていた。当然、差し出しているのは、南雲さんだ。
「繋がないの?」
何でもない風に彼女は言うけれど、俺がどれほどドキドキしているか彼女はわかっているのだろうか。まったくもう、少女漫画に出てくる主人公みたいにドキドキしている。もはや、体に悪そうだ。でも、少し汗ばんだ手を気付かれないようにズボンで拭いて、結局のところ俺は再び彼女の手を握った。人は欲望に勝てないのだ。
「ここは……なに?」
「はっはっは。すごいだろう。まぁ、ただの無人コンビニなんだけど。やたらデカいんだよね。ここ」
その売り場は、普通のコンビニの2倍か3倍ほど広く、品ぞろえも豊富である。食品や日用品はもちろん、服も豊富に取り揃えてあった。ウィーンと開いた自動ドアの先には、誰ひとり居なかった。無人コンビニなだけあって、もちろん店員もいない。
「カゴ、持っててよ」
「ああ、うん」
互いに手を繋いだままだった。正直、ショッピングには少し不便だが、なぜだろうか彼女も手を離すつもりはないらしい。これも、人生最期の気まぐれというやつか。
一応、財布には全財産の十数万円を入れて持ってきた。どうせ明日死ぬのなら、今日全部使ってしまおうという魂胆だ。まぁ、こんな町はずれの無人コンビニで使いきれるかは疑問だが、持ってないよりはいいだろう。
「せっかくだし、なんでも奢るよ。結構持ってきたからさ」
「いいの?」
「最期だから、むしろ使い切りたいっていうか」
「そっか。……たしかに」
最初に訪れたのは、衣服のコーナーだ。汗に濡れた下着とシャツの替えが欲しかったのだ。ボクサーパンツを見つけて、カゴに入れようとすると、俺の手と一緒に彼女の手も持ち上がっていた。
「あ……」
「取ろうか?」
「う、うん。よろしく。Mサイズを2つ」
出来たばかりの彼女に自分の下着を取らせるなんてなんとも複雑な気分だが、決して悪い気はしなかった。むしろ、こんなちょっとした出来事で支配欲を満たしている自分がいる。彼女はというとわりと興味があるらしく、折りたたまれたボクサーパンツを手に取って数秒観察していた。
「これでいい?」
「ありがとう、南雲さん」
意外な一面だ。てっきり、そういうことには興味がないのかと思っていたが。
男性服の売り場をゆっくりと歩きながら、南雲さんは俺が指定したものを手早くカゴに入れていった。結局、下着とTシャツぐらいしか買っていないので、資金は結構余りそうだ。
そして、次の売り場は女性服が主に並んでいる場所だった。下着から洋服、水着に至るまでずらりと並んでいる。ゆっくりと歩いていると南雲さんはすこし立ち止まって、特に悩む仕草も見せずに数秒で商品を手に取った。どうやら買い物に悩むタイプではないらしい。思ってた女子のイメージとは違った。いい意味でだが。そんな感じで観察していると、次に彼女はこちらを向いてその商品を俺に見せてきた。
「いい?」
俺の奢りと言ったせいだろうか。きっと、カゴに入れていいかの許可を求めているのだろう。彼女が手に持っていたのは、パジャマ用のショートパンツとキャミソールだった。無論、断る道理はない。
「いいよ」
「ありがと」
商品を、カゴに入れた。そして、歩いて、立ち止まって。
「いい?」
「うん」
どうやらこの許可制度は毎回やるらしい。おかげで、俺は彼女が何を購入したか全て把握してしまっていた。パジャマとズボン、靴下、Tシャツ、長ズボンとスカートだ。
「……どう?」
そして、次に彼女が見せてきたのは、ブラとショーツ。シンプルなリボンのついた白と水色のショーツとブラ、派手な刺繍とフリルのついた赤色と黒色のショーツとブラ、計4セットだ。
流石に下着を見られるのは恥ずかしいのか、頬がすこし赤く染まっている。さっきとは違って視線を合わせてくれないし、口は一文字に噤まれている。こんな表情を見るのは初めてだ。とりあえず、俺は無言でカゴを突き出して、商品を中に入れてもらった。頬の熱さは、増すばかりだ。
そのあと、食品売り場を巡って、軽く話し合いながら朝昼晩のごはんを買い、ついでにほんのわずかな確率で「生きていた時」のために保存のきく高カロリーなブロック状の栄養食品を多めに買った。気になっていた漫画や普段は手を出さない雑誌なんかもカゴにいれてみたりして、結構豪勢に使ったつもりだったが、それでも貯金の半分程度しか消費できていなかった。
結局、大きなビニール袋2つを抱えて、無人コンビニを出た。重い1つは俺が持ち、軽い1つは南雲さんに持ってもらっている。そしてもう片方の手は、繋いだままだ。
「じゃあ、行こうか」
コンビニの裏口から外に出た。入ってきた正面口とは違う出入口である。その先にあるのは少しだけ整備された山道で、車の通れる道路とは繋がっていない。
「自転車は?」
「置いてくよ。ここから先は、二人乗りだとキツイし。多分3分ちょっとで目的地まで着くと思う。でも、着いたらきっと、驚くよ。俺と死んだじいちゃんの自慢の秘密基地なんだ」
スマホのライトを頼りに彼女の手を引いて道を進みながら、山にありがちな小さな段になった坂道を登っていく。秋の木の葉が地面をカーペットみたいに埋め尽くして、ライトで照らされた一面が黄色く染められていた。そんな光景はやはりいつ見ても美しくて、町では見ない質素な絶景といえる。
「夜の山道なんて初めて来た。こんなに暗いんだ」
彼女は息を切らすことなく足を進めながら、そう言った。心なしか距離が近く、腕の触れる面積が多い気がする。
「大丈夫?」
少し立ち止まってそう訊くと、彼女はこくりと無言で頷いた。枯葉を踏み下ろす乾いた音と、永遠に鳴き続ける鈴虫の音。確かに不気味だ。まぁ、もう俺は子供の頃に慣れてしまったのだが。
「もう少しだから」
「うん」
それから、ゆっくりと歩き続けて数分、目的の位置へとたどり着いた。
「よし」
「……なにかあるの?」
「ここにあるんだ」
といっても、視線の先には何かあるわけじゃない。そこは山の凹凸がある地面の一か所に過ぎず、辺りには木々が生えている。建物らしい建物も見当たらず、ただの山。それだけだ。
少し不安そうな南雲さんの手を繋いだまま、俺は辺り見渡した。木々の一本一本をライトで照らして、目印を探す。ざっと見ていくと、ひとつだけ奇妙な形に曲がった木が生えているのを見つけた。
そこまで一歩、二歩近づいたところで、少し屈んで地面を探る。すこし土を掘り返すような感じで片手を汚しながら調べていくと、人差し指の第一関節ぐらい掘り進めたところで金属の板に当たった。どうやら、場所は合っていたようだ。その部分を掘り返して埋まっていた金属の板を跳ね上げると、そこには暗証番号入力用のテンキ―がひとつ置かれていた。
「
「なに、それ」
「暗証番号。俺のじいちゃん、与作でもなんでもないんだけど、ゲームでは与作を名乗ってたんだ」
「仲良しなんだ?」
「うん。多分、一番の大親友だった。4年前に死んじゃったけどさ」
エンターキーを押すと、軽快な電子音が鳴った。どうやら、うろ覚えのパスワードは正解だったらしい。モーターの電子音が鳴り始めて、格納された扉が動き始めた。
地面が盛り上がっていく。表面の土ごと盛り上がった鉄板がゆっくりと開いて、その先の地下空間を露出させた。そこにはコンクリート製の階段があって、その一番奥には銀行モノのドラマで見るみたいな重厚な鉄扉が鎮座している。それはまさに、秘密の基地だ。
「……なにこれ」
「すごいでしょ。初めて見た時は、俺も感動したよ。映画みたいでさ」
南雲さんは驚愕というほどでもないが、多少驚いている様子で、小さな口を開けていた。そんな顔も綺麗で可愛いのがずるい。そんな彼女の表情に、思わず俺も口角が上がってしまっていた。
「とりあえず、入ろう。これ、勝手に閉まっちゃうから」
南雲さんの手を引いて、秘密の階段を進んでいく。地下の中はライトで照らされており、真っ暗闇な夜の山よりよほど明るかった。壁の全面は頑丈そうなコンクリートで囲われており、質素でシンプルな内装をしている。統一されたライトの配置と、丁寧に作られた隅や溝の造形は、豪邸の派手な美しさとは違う現代的なデザインを感じさせるものだ。
進行方向にある重厚な鉄扉に近づくと、端的な電子音と共に勝手に扉が開き始めた。監視カメラによる顔認証が働いたのだろう。そして、その先にあるのは、玄関だけの部屋。靴棚と土足と素足の境界線のような色の違う床材が置かれた、小さな部屋だ。
「おじゃま、します」
俺が頷くと、彼女はつないでいた手を離して靴を脱ぎ始めた。そんな所作ひとつすら、なんだか俺より綺麗に見える。育ちの良さとか、そういう類のものなのだろうか。俺もそんな彼女を見習って、いつもより少し丁寧に靴を脱いだ。
そして、断った手は当然のように再び結ばれる。俺たちは今、彼氏彼女なのだと、そう言い聞かせているみたいだ。俺も少しだけ余裕が出てきて、差し出された手を笑顔で受け取ることができた。
玄関の先の少し重い扉に体重をかけて、ゆっくりと開ける。その先は、ようやく辿り着いた目的地である。
そこは、隠されている割には案外、普通の見た目をした10畳ほどの部屋だ。
大きなダブルベッドと小さなテーブルセット。馬鹿でかい壁掛けのテレビモニターに質素なソファー、天井に張り付いたスピーカー。そして、メインコンテンツともいえる各種ゲーム機のコレクション。古臭いレコードプレーヤーとCDラジカセも、いい味を出している。俺と祖父の趣味が詰まった、まさに秘密基地といった感じである。
「どう?」
「うん。いいと思う」
「よかった」
時刻は1時13分。人生の最期まで、あと23時間を切っている。
「ちょっと、ごめん」
繋いだ手を解いて、玄関の脇にある洗面台で土に汚れた左手を丁寧に洗った。そして、いちおう口もゆすいでおく。振り返ると、彼女はいつの間にかソファーに座っていて、リモコンをテレビに向けていた。電源ランプが点滅して、画面に映像が映り始める。
『巨大隕石の到着まで、あと23時間を切りました。予定到着時刻は、0時28分22秒。落下予想地点は太平洋の中心地点です。政府は緊急事態を宣言しています。なるべく安全な場所に避難し、命を守る行動をしてください。なお現在、野原総理は急病に倒れ、連絡がつかない状態にあります。その他の政治家や閣僚、政府関係者の多くが音信不通の状態にあり、緊急事態にも拘らず政府は機能の大部分を失って……』
そのチャンネルでは1時間前にも見たニュースキャスターのお兄さんが、額に汗を流しながら今も放送を続けていた。『誤報でした』なんて終わりを期待していたけれど、やはりそうではないらしく、今も色んなチャンネルで同様の報道を行っている。街頭の映像では、「おらぁ」「うらぁ」と殴り合いをする成人男性なんかが映っていたりして、世間は段々終末のカオスに近づいてきたらしい。
はぁ、とため息をついた。その瞬間、彼女とため息のタイミングが被っていたことに気付く。すると、なぜだろうか自然に口角が上がって、ちょっぴり幸せになった。家で独り、最悪のニュースを聞いているときは絶望しかなかったのに、こんなちょっとした出来事だけで気持ちが切り替わるのだから、やはり恋とはすごいものだ。
すると、南雲さんはぽんぽんとソファーを軽く手でたたきながら訊いてきた。
「座る?」
彼女からしてみれば単に聞いただけなのだろうけれど、それは抜群の破壊力を秘めていた。もう、なんでこんなに素晴らしい生物が同じ人間として扱われているのだろうか。おもわず顔がにやけそうになる。俺は気取られないようにポーカーフェイスを保ちながら無言で彼女の近くに歩いて行き、ゆっくりとその隣に腰を掛けた。
「君は、怖くないの?」
呟くような南雲さんの問いかけに、俺は正直に答える。
「怖くない、って言いたいけど……めちゃくちゃ怖いよ。このシェルターも、あんな隕石は耐えられない、っていうか衝撃で地表ごとめくられちゃったら、どうやっても避けられない。それでも、ほんの僅かな希望に縋って、ここに君を連れてきてしまうくらいには、俺は死にたくないと思ってる」
喋りながら、不安な気を紛らわせるように、机の上のビニール袋からお菓子類を取り出した。とりあえず、手に取ったのはポッキーだ。
「いる?」
「ありがと」
二人で並んで、ポッキーを食べた。ポリポリと鳴る音は、静かな地下シェルターの中に小さく響いている。
「ねぇ、ポッキーゲームしようか」
「うん……うん?」
それは、突然の提案だった。聞き間違いだろうか、と思った。あの南雲さんからいきなり出てきた単語とは思えなかったからだ。
「時間、ないんでしょ?」
話の筋は通っていないわけじゃない。俺の「やり残したこと」は、恋愛が大半を占めているわけだが、悠長に愛を育む余裕は俺たちに残されていないのだ。これで一気に距離を縮めることができれば、限りない時間をさらに有意義に使うことができるだろう。そういう意味では、非常にありがたい提案だ。というか、そういう意味以外でも、ありがたいというか、嫌な気持ちなんて何一つないくらい人生最高の誘いである。
でも。
「……南雲さんのほうは、いいの?」
彼女の意図が読めない。これも、最期の気まぐれに過ぎないのだろうか。
その問いに、南雲さんは返事をしなかった。その代わりというべきか、ポッキーの持ち手部分を口にくわえて、俺の方へと突き出してくる。それが答えなのだろう。
「ん」
その黒い瞳は、真っすぐにこちらを向いている。そして、ふっくらとした唇にはポッキーが咥えられていて、その矛先も同様に俺を指していた。OKってことだ。
そんなことされて、断れるはずもなく。俺は恐る恐る、チョコのついた先端を齧った。
目の前の景色は、絶景だった。俺は神なんて信じちゃいないけれど、南雲さんの顔が神の手で1つ1つのパーツを丁寧に組み上げて作った美術作品だと言われたら、信じてしまいそうなほど、完璧に完成されている。今まで見てきたどんな女性よりも確実に魅力的で綺麗で美しくて可愛い。そんな神がかった南雲さんが、無理やりキスできちゃいそうな距離で、俺のことを見つめているのだ。絶景以外の、何だというのだ。
すると、ポリと音が鳴って彼女が侵攻を開始したのが分かった。それに合わせて、俺も何口か齧っていく。口の中にチョコのビターな甘い香りとクラッカーの食感が広がって、それを丁寧に咀嚼しながら時間をかけて食べ進めていった。
時間経過とともに、頬の熱さが増していく。食べ進める度に、彼女のふっくらとした艶のあるピンク色の唇が近づいてくる。それは、日常では明らかにあり得ない距離で、少しでも息を荒げたら伝わってしまうほどだった。
3cmぐらいの距離まで来ると、もう何も出来なかった。あと少し口を動かせば、この美少女の唇を奪えてしまう。そんな理性と欲望の狭間で揺れ動きながら、なんとか耐えている状態である。その唇は魔性の魅力を放っていて、触れたくて堪らないのに、理性が邪魔して動けない。いやまて、いやまて、と特に意味もない理由をでっち上げて、唇の接触を止めているのだ。
そんなとき。
「……ん」
南雲さんは瞼を閉じた。それは、まるで唇を差し出しているみたいだった。ポッキーは咥えるだけで、もう食べ進めていない。顔は俺と同様に赤く染まっていて、近づきすぎた肌と肌が互いの熱に触れている。抵抗しない彼女に、あと数センチ近づけば、彼女の唇は俺のモノだ。
呼吸を止めた。抗いがたい衝動が、湧き上がる。
「んむっ」
そして、ゆっくりと僅かな距離を縮めて、触れた。
その唇は体のどこよりも柔らかかった。軽く触れれば空気のように軽く、踏み込めば微かな弾力を感じる。帯びた熱は肌の比ではなくて、人間の体じゃないみたいに直接暖かさが入り込んでくる。瑞々しさを保った表面は恐らくリップクリームでコーティングされており、互いの唇をぴったりと繋ぎ合わせる潤滑油のように働いていた。
初めてのキスだった。瞳を閉じて数秒、唇に感覚を集中させて、それを堪能する。
「ぷは」
何秒、触れていただろうか。唇を離すと、南雲さんは可愛らしく息を上げた。そして、しばらくすると、頬を赤く染めたまま平然とした口調で訊いてきた。
「どうだった?」
その問いに、何と言い表せばいいのか分からなかったけれど、間違いなく言えることが一つだけあるとすれば。
「よかった」
この一言に尽きるだろう。そんな史上最高の幸福に浸っている俺とは違って、南雲さんの態度は先程までと特に変わっていない。唯一の違いといったら、頬が赤いくらいだ。
「南雲さんは?」
彼女を真似て感想を求めてみると、南雲さんは顎に手を当てて少し考える素振りをしたあと、口を開いた。
「……これがキスなんだ、って感じかな」
「え?もしかして南雲さん、初めて?」
「うん。そうだけど」
そんな予想外に、思わず顔がにやけてしまった。強烈に嬉しくて、最高に幸せだ。これが、独占欲というものなのだろうか。美しく綺麗な彼女を初めて穢し唯一奪ったと考えると、自己満足的な達成感が湧き上がってくる。そんな感情で、ますます口角が上がってしまう。
「そんなに嬉しい?」
「あ、いや」
南雲さんに見られていたことに気付いて、さっと口元を隠した。きっと、もう遅いのだろうけれど。
南雲さんの反応は、よく漫画やアニメで出てくるような恥じらいのあるそれとは違い、少し照れてはいるもののどこか事務的だ。「やり残したことをやる」という目的が主体な感じがするというか、キスそのものをそこまで特別視していないように見える。そんな意識の違いがちょっぴり悔しくて、南雲さんの反応を注視してみたけれど、彼女は首を傾げるだけだった。
「もう一回する?」
それどころか、もう一度捧げようとしている。彼女にとって、そこまで唇の価値は高くないのだろうか。それとも、これも気まぐれなのだろうか。その誘惑は非常に魅力的だが、これ以上スピードを上げると歯止めが効かなくなりそうだ。
「い、いや。とりあえず、今は」
「後でするんだ?」
手を繋いだ時は大丈夫だったのに、今は彼女の顔をまともに見れる気がしなかった。誤魔化すみたいにソファーから立ち上がって、テレビ台のデバイス類に手を伸ばす。ガラスの反射に映った南雲さんの姿にすら、どうしても目を吸い寄せられる。そんな煩悩を、物理的に頭を振って払い、ビデオプレーヤーを起動した。
「……な、南雲さん、映画でも、見ようか。」
抑えようとしても無駄だった。挙動不審な様子は、どうしても声に出てしまう。顔を見せていないのが、唯一の救いだろうか。機械的な駆動音とともにランプがついて、テレビにメーカーのロゴが映し出される。何も入っていないので、画面には「ディスクを挿入してください」という文字が大きく映し出されている。
すこし心が落ち着いたので振り返ると、すぐに南雲さんと目が合った。どうやら彼女は俺を見ていたらしい。すると、やはり視線は自ずと唇へと移ってしまう。意図的に顔をそむけて、そんな視線を誤魔化した。
「ねぇ、宝仙くん」
その声は、少しいつもより優しい感じがした。
「私、君なら嫌じゃないから」
南雲さんの頬の熱は、もう冷めていた。その真剣な目は、きっと俺に本心を伝えているのだろう。平然とした表情と声色は、彼女が俺と違って恋になど落ちていないことを示しているのだろう。嫌じゃない、というのもきっと、そういうことだ。
でも、それでも、南雲さんは俺が触れることを許してくれる。今日まで誰にも触れさせて来なかったはずなのに、なぜか俺にだけ。
「うれしいよ、南雲さん」
南雲さんと違って頬の熱は未だ収まらないけれど、その真剣な態度に誤魔化しを演じるのは気が引けて。俺は彼女の目を見て、そう言った。
そして、もう一度ソファーに座りなおすのだ。
数秒の沈黙。
破ったのは、俺だった。
「……そういえばさ、恋愛映画ってジャンルを見たことがなかったんだ。だから、一緒に見ない?南雲さん」
顔は暑いが、もう慣れた。高まる鼓動も、気にならなくなってきた。それに、彼女の言葉に少し安心したからだろうか、俺は割と普通に喋れていた。
「いいと思う。私も、見たことないから」
その返答は、実に予想通りだった。これまでの反応を見るに、彼女も俺と同じ、いやそれ以上に、恋愛の何たるかを分かっていない。
「なに?」
ちょっぴり視線が生暖かかっただろうか。南雲さんは怪訝な顔をしながら、こっちを見た。そんな彼女を誤魔化すように、俺はソファーから立ち上がった。
「じゃ、じゃあ、とりあえずディスクを取りに行こうか。すぐ隣の部屋にあるから」
すると、南雲さんもすっと立ち上がった。そして、なぜだろうか手を取られた。相変わらず平然としていて、それが当然かのような振る舞いだ。
「うん。ついてくよ」
そうして、ゆっくりと歩き出した。
この秘密基地兼地下シェルターはいくつかの部屋に分かれている。ベッドやソファーのあるリビングルーム、キッチンやシャワーなどの水回りがセットになった部屋、シェルターっぽい保存食が大量に備蓄された食糧庫、本やゲーム・DVDなどが大量に収納された物置の計4つだ。詳細には、他にも機械部屋や巨大な水タンクの部屋など、色々あるが、普通に出入りするのはこれくらいだろう。
案内図を軽く見て、物置部屋へと南雲さんを連れ込んだ。その部屋には、可動式の棚が何台も置かれていて、部屋の殆どが収納スペースで埋め尽くされている。本来は通路に消費されるスペースも、棚が稼働するおかげで有効活用できているようだ。そんな膨大な収納スペースがあるにも関わらず、それは既に埋め尽くされており、部屋の隅には棚からあぶれたものが入った段ボールが2つほど積まれていた。
「すごいね、ここ」
「集めたのは俺じゃなくてじいちゃんだから、映画はちょっと古いかもしれないけど」
「それでも、すごいよ。お金持ちだったの?」
「じいちゃんはね。俺の家は、全然。えーと、8番だったかな」
棚のハンドルをぐるぐる回すと、あり得ないくらい重い棚が軽い力でゆっくりと動いて、その横に通路をつくった。予想通り、そこは映画ゾーンで、大きな棚一面を埋め尽くすほどの大量の映画が並んでいる。
「……どれが恋愛映画なのか、分からないな」
並んでいるとはいえ、ジャンル別に置かれているわけじゃないので、恋愛映画なのか判別はつかない。
「恋とか、キスとか書いてあるやつじゃない?」
「たしかに」
ずいぶん雑な判別方法だが、間違ってはいないだろう。指でさっとなぞっていって、一つ目に見つけた『紫陽花のファーストキス』という映画のパッケージを手に取った。どうやら、俺たちと同じ高校生の恋愛模様を描いた映画のようだ。
「これにしよう」
部屋に戻って、ディスクをビデオプレーヤーに挿入した。読み込み中の画面が映っている間に、少し急いでソファーへと戻る。すこし近めに座ると、彼女はそれに気づいたのかさらに近くに寄ってきた。おかげで肩がぴったりとくっつくほどに距離が縮まっている。
「手、繋ぐ?」
脚の上に乗った華奢な手を掴むと、南雲さんの手はそのまま俺の膝の上で落ち着いた。彼女の手の甲から、じんわりと暖かさが伝わってくる。それは、なぜだろうかとても心地よかった。
「時間、かかっちゃうね」
それは、残された時間のことを言っているのだろう。でも、俺はそれでもいいと思っていた。
「……こういうのも、俺はやってみたかったから」
「それなら」
映画デートなんて、定番中の定番である。彼女が出来たら一度はやってみたいと思っていたことだ。もうキスはしてしまったけど、最初のデートって感じがしてワクワクする。
『デーン』
制作会社のロゴなんかが出始めて、どうやら映画が始まったらしい。彼女と体温を共有しながら、俺は映画の世界に入っていった。
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