第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その595
―――大きな叫びだったから、それにレイチェルは子供好きだからかもね。
息子を持ったひとりの母親でもある、復讐者だけでいられはしない。
レイチェルのすぐれた聴覚は、その指揮官の必死さを見つけてやれた。
船のさきに、すすっと音も立てずに移動すると……。
―――巨大なオーケストラを指揮する、偉大なマエストロのように。
長い腕をゆっくりと伸ばした、激怒に駆られて叫んでいたはずの戦士たちは。
ゆっくりと口を閉じていく、レイチェルは彼らの絶対的な支配者だった。
ここにいる全員がレイチェルの悲しみと絶望と怒りに、コントロールされている……。
―――静まりが得られると同時に、帝国兵どもの自殺が止まってもいた。
帝国兵どもはもちろん今も、残酷に殺されるぐらいなら自殺した方がマシだと信じている。
でも、それでもやっぱり死にたくはなかったんだよね。
潔さや勇敢さが美徳とされるのは、やり遂げられる者が少ないという希少性ゆえさ……。
―――正しくもある、命は生き意地の汚さがある方がいい。
戦場に向かうときは、とくにそうだよ。
恐怖の涙を殺し切れない嗚咽の吐息に圧倒されながらでも、連中は希望を探していた。
指揮官の叫びは、彼らにひとつの素朴な学びを与えている……。
―――反省すれば、助けてもらえるのかもしれない。
何とも身勝手な言い分だ、亜人種を殺して他者から領土を奪うための軍に入ったのに。
それでもね、ボクは知っているよ。
ほとんどのヒトが、自分の決断に命まで捧げられるような生き方をしちゃいない……。
―――身勝手だけど、こんなものさ。
この指揮官が自分たちの代わりに、人魚に八つ裂きにされたなら。
あの少年兵といっしょに、自分たちも助けてもらえるかもしれない。
どうしても生き延びたいのなら、そんなあさましい感情にもなるんだよ……。
「た、頼む!!人魚よ!!こ、この少年兵は……とても、反省しているのだ!!軍に、戻ることはない!!陸に戻れば、そのまま故郷に向かって逃げ帰るだろう!!二度と、帝国軍に参加しようとはしない……あ、争いの、むごさを、学んだのだから!!だ、だろう!?そうだろう!!お前は、お前は、帝国兵で、もういたいとは考えていないはずだぞ!!」
「は、はい……す、すみませんっ。こ、こんな……怖いところは、い、嫌だよおっ。生きて、母さんのところに、も、戻りたい……っ。こ、殺し合いたく……ない。殺されるのも!こ、殺すのも……怖い、怖い……そ、そんなの……ムリです……っ」
「そうだ、それでいい!!……人魚よ、『蛮族連合』の兵士たち……い、いや、『自由同盟』の兵士諸君よ!!この子に、この子に生きるチャンスを与えてやってくれないか!?今一度、たった、一度だけでいいんだ!!考えて、くれ!!こんなボロボロに泣いている、弱い子を……海の藻屑にしなくても、いいのではないか!!」
「た、たすけて……たすけて……たすけて……ください……し、死に、たくないよっ」
―――戦場での命乞いは、無様なまでに必死なものだ。
そのくせ、誰もが一定以上の共感を得てしまう。
みんな死にたくないんだよ。全力かつ必死に殺し合っているくせにね。
不思議なものだけれど、ヒトはあまり合理的な考えだけでは生きていないから……。
「お願いだ!!人魚よ……!!」
「帝国軍に所属するという意味を、知らなかったのでしょうね」
「そ、その通りだ!!」
「でも、それを私たちが気にしてあげないといけない道理はない」
「わ、分かっている!!でも……」
「縛られた亜人種の捕虜がいれば、ユアンダートは言うでしょう。殺せと。貴方もそう命令したかもしれない。殺された亜人種の捕虜もいるわ。ウソを言わないでね。私に、ウソは通じないものよ」
「そ、そうだ!!我々は、捕虜を取れとは、い、言われていない!!殺す、こともあるだろう!!」
「泣き叫んで、やめてくれと言ったでしょう。私のサーカス団の仲間たちと同じように。自分の故郷や、自分の家族のため。命をかけるに相応しいと思った信念。そのために戦った亜人種の戦士たちを、貴方たちは嘲笑いながら、その顔につばを吐きつける。バカにして、殺したの。ちゃんと、考えてから答えなさい。貴方は、何人の捕虜を殺したの?ウソをつけば、見抜いて、全員を殺す。海から引きずり上げて、残酷な拷問を一週間つづけてやりましょう。あの世にも逃げ場はなくなるわ。ほら、答えやすくなったはず。さあ、言いなさい」
―――どう答えたとしても、逃げ場はないだろう。
真実を言えば、きっとレイチェルを怒らせると指揮官は理解していた。
それでも、彼はウソをつく勇気がなかったし。
ウソをつくべきではないと、考え始めていた……。
「人魚よ!!交渉相手である貴方に、真実を答える!!……17人だ!!そ、それだけの数の、亜人種の捕虜を!!お、オレは、この手で殺してきた!!」
―――怒りが、亜人種の戦士たちから放たれる。
彼らの同胞が殺された、捕虜は何もやれないはずなのに殺されたのだ。
目の前にいる男の剣か槍か、あるいは縛り首にすて吊るされることで。
その種の残酷な処刑を、多く見てきたから……。
―――おぞましいほどリアルな解像度で、心のなかに思い描くことが可能だった。
彼らのなかには友人や恋人や家族を、殺された者たちだっているよ。
帝国軍が亜人種を殺す理由はいくらでもあるんだ、気に食わないだけでも殺しもする。
古今東西の侵略者がそうであったように、だいたいの者が残酷だよヒトの本能さ……。
「刃向かう者には、おびえるでしょう。殺し合いを怖がるでしょう。平等に、死の危険があるから。でも、貴方は17人も殺したのね。おびえていたでしょう、脅威にならない。閉じ込めてやればいい。でも、そんな無力で、貴方にも貴方の仲間にも危害を与えられない人たちを、貴方は殺したのね」
「そ、そうだ!!」
「どうして、それがやれたか分かるかしら?」
「め、命令だったんだ!!」
「違うわ。亜人種を、貴方はヒトだって思えていないから、殺せたのよ。生きるに値しない命だと信じたから、それだけ殺せたの。根っからの人種差別主義者で、ユアンダートの思想の化身みたいな悪党だわ。そんな貴方の願いを、私は聞くべきかしらね。答えて欲しい。殺されそうになったから、ようやく私たちをヒトあつかいし始めている、とても自分にだけ都合のいい生き方をしている貴方にね」
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