第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その394


―――音に合わせるように、ひとつずつ声を確かめていく。

声の六大属性を探りながら、壊れてしまった自分を整えていこうとした。

最初はなかなか不安定だったけれど、レナスはすぐに夢中になる。

リュドミナの言うとおり、失われた力を知識と技巧と経験が補っていけそうだ……。




「どうにか、なりそうです。リュドミナさま……」

「それは、良かったわ。私も、あなたの歌を楽しみたいですから」

「はい。でも……『今』なら……」

「何かに、気づいたのね。レナス、言ってみてください」




―――レナスほどの才能の化身であれば、何かに頼り切ることは少ないものだ。

圧倒的な才能は、いつでもすべてを従わせようとする。

レナス自身も含めて、才能に隷属してしまうことになるよ。

天才ならば、今までの歌声に近づくことで満足していたかもしれない……。




―――レナスの才能は、そういう領域に収まるものじゃなかった。

本人にも自信があったわけじゃないだろう、人類で誰もしたことのない行為だからね。

それでも、リュドミナがその場にいたとすれば。

自分の才能を信じろと、うながしただろう……。




―――それを理解しているから、レナスは声に出した。

どれだけ不遜な野望なのか、どれだけあり得ないことなのか。

どんなに難しくて、どんなに異常なことなのか。

それでも天才の知覚は、自らの可能性を見つけ出していたんだ……。




「私には、もう肉体の束縛はあってないようなものですから。だから、『どの種類の歌声でさえも、出せる』かもしれないと……いいえ、きっと、『今』だからこそ、それがやれると思うんです」




―――それは異常な試みではあるけれど、理には適ってもいた。

ヒトとしての体じゃなくなって、とっくの昔に死んでいる。

しかも、ふたりの女神たちの力を分けてもらってまでいるんだから。

不可能なことなど、レナスにはないんだ……。




「まあ、すごいわ。レナス。それは、つまり……子供のときの声でも、大人になった今の声でも……」

「女らしい声でも、男らしい声でも。きっと、とても不安定で、体があるのかないのかも定まらない『今』だからこそ、自由自在に……すべての質の声を……それこそ、六大属性の限界も越えて、扱えるような気がするのです……」




―――言い切りながら、不安も芽生えていたよ。

だってね、そんなことは誰もしたことがないのだから。

男の声、女の声。

厳父の声もあれば少年の声もあるし、若い女の声もあれば慈愛に満ちた母の声もある……。




―――そのどれもが、強烈な個性と特徴に満ちあふれたものたちだからね。

すべてを共存させることなんて、どんな天才的な歌い手でさえもやれやしない。

でも、レナスの体は空虚で希薄であるから。

『異常なまでに上手く使いこなせたならば』、それを成し遂げられるかも……。




「あ、あまりにも。難しいことかもしれません……」

「いいえ。それでも、あなたにはやれるわ。だって、あなたほど……」

「才能が、ある者を知らない……ですか?」

「違うわ。あなたほど、歌が大好きな教え子を、私は知りませんから」




―――才能に従事させられている者たちは、どこか不自由さを背負っているものだよ。

それ以外を、他者から求められることは少なくなるからね。

レナスは才能を羨望されることにはなれていたが、そんなことより重要なこともある。

レナスは歌うことが、大好きなんだよ……。




―――大好きなことであれば、失敗しても許されるものさ。

才能に従事させられているときとは、かなり違うものだよ。

好きに歌うことが、『今』ならば許されている。

死の先である『今』だからこそ、何よりも誰よりも自由でいられた……。




――――リュドミナの言葉は、レナスをもう一度救ってくれる。

かつては聖なる使命を授けられたことで、絶望の泥沼のなかから這い上がれた。

『今』は、何もかもから救われている。

無責任なまでに、ただ遊ぶように試せと偉大なる詠唱の長は教えてくれたんだ……。




「楽しめば、いいのです。あなたにとって、とても大好きなことを」




―――死はリュドミナの使命さえも、やわらげてくれたのだろう。

聖なる厳格さで、すべてを指導する必要はもはやなくなった。

師匠から弟子に対して捧げられる、最高の魔法の言葉だよ。

「やってみればいい」、これほど心を解放してくれるものはない……。




「……はい。ありがとうございます。リュドミナさま。『今』なら……自分のすべてを、歌のために使えると思うのです。私を虜にしていた、おぞましい怒りさえも……とてつもない痛みさえ。歌うための、力に変えられると信じています」

「ええ。それでいいの。あなたの苦しみも、悲しみも。痛かったことも、辛かったことも。あなたの身と魂に刻まれたまま。それらを、捨てることも忘れることもできません。でもね。それを、好きなことに使うことは許される」

「男でも、女でも……子供でも、大人でも。生者でも、死者とも言い難い立場ですから。だからこそ、やれることがあります。それを、試したい」

「聞いてみたいわ。レナス、やってみてください」




―――天才と、最高の師匠が組み合わさったとき。

限界なんてないんじゃないかというほど、才能は解放されるものだ。

孤独では、やれない力だよ。

レナスは『今』、最愛の師匠と共にいるんだ……。




「はい!やってみます!リュドミナさま!」




―――ヒトはそんなに、複雑な生き物じゃないからね。

大好きなことを、大好きな人とやるとなれば。

どんなに罪深い者でさえも、罪科も罰からも自由になった。

子供のころよりも晴れやかな笑顔で、『歌い手たち』がいる……。




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