第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その390
―――レナス・アップルは考えた、自分は罪人になってしまったのだと。
自分自身を鑑みるための行動は、ときに苦痛を伴うことではある。
レナスにとっては、人一倍の痛みがあった。
自分が女神イースに力を託されるほど、善良だとは思えない……。
―――自らの罪を数えるような、耐えがたい苦痛の時間でもある。
すべては去勢されて犯される、あのときから始まっていた。
それ以前の自分と、それ以後の自分ではあまりにも違い過ぎる。
心のなかに刻み付けられた、屈辱と痛みが大きな闇を生んだのだ……。
―――穢されて、歪んでしまったとき。
純粋さは失われ、心のどこかで信仰心に疑問を覚えた。
女神イースは自分たちを、どうして助けてくれなかったのか。
それらに意味や価値があると言われても、今も納得は出来ていない……。
―――もしも、この『願い』を叶えられる力を使ったなら。
女神イースに疑いを持たずに、大人になれた世界にだって行けるのに。
おぞましい『人買い』の野心に、襲われなかった人生を手に入れられる。
その幻想のなかで、終わらぬ夢を見たいのだろうか……。
「違う。私は……それを、望めない。そんなのは、私だけには許されない」
―――自分を許せないレナスは、首を横に振った。
母親に会いたかった、殺されていなかったらどんな風に暮らしたのだろうか。
父親にも会いたい、きっと幻想のなかでなら一緒に暮らせることも可能だろう。
『家族』全員が、ずっとそろっていたら幸せだったに違いない……。
―――その幸せに、逃げ込んだとしても。
女神イースもアリーチェも、納得したはずだった。
それなのに、レナスはその道を選ばない。
自分の幸せのために、この力を使うなんてことは許されない……。
「だって、私は……失敗したんだ。『カール・メアー』の、イース教の……世界を、良くするための任務を……失敗してしまった。たくさんの命に、報いることが出来なかった」
―――ならば、『カール・メアー』の願いに尽力すべきだろうか。
『もうひとつのオルテガ』で、地上にいる者たちを殺し尽くせば満たされるのか。
亜人種や『狭間』を、大勢殺すことになるのは構わないけれど。
人間族まで殺すなんて、どうしても望めない……。
「あそこには、たくさんの子供たちもいるんだ。わ、私は……また、罪もない子供たちを殺めるというのか?そ、そんなのは、耐えられない」
―――女神イースの狂信者でいたときなら、『彼女のせい』だと言えただろう。
女神イースのためだと思えば、どれだけだって犠牲に出来たはず。
だけど、女神イースは言ったのだ。
レナスの願いのままに、この力は使われるのだと……。
「わ、私の責任で、たくさん……子供たちを、殺すなんて……ああ。それだけは、嫌だ。嫌だよ……あそこには、子供たちだけじゃなく…………」
―――殺したくない者がいた、つい先ほど痛めつけてしまった者が。
フリジア・ノーベル、彼女を死なせるなんて。
友情めいた絆が、今では確実にふたりのあいだにある。
レナスは、より自己嫌悪に陥ってしまった……。
「フリジア・ノーベル。き、傷つけてしまった。あんな仕打ちをしておいて、私は……お前のことを考える権利なんて、ないだろう。私は、『カール・メアー』を捨てたお前を、恨んでいる。憎んでいる。嫌っている……そうでなくては、ならないはずなのに……私は、どうして、お前を殺したくないのだろう」
―――フリジアが、すぐ目の前にいたのなら。
泣きついているかもしれない、弱くなったレナスは訊いてみたい。
もしも、フリジアがこの力を託されたなら。
どんな願いを、叶えようとしただろうか……。
―――誰かに相談したいのだ、それは『カール・メアー』としてではなく。
ただの友人関係が相応しい、そんなものはレナスにはいないのだけれど。
ただの友人であれば、女神イースに責任を押しつけないですむからだ。
『カール・メアー』なら、女神イースに責任を押しつけてしまう……。
―――女神イースは、自分たちを助けるという道を選び。
自分たちを裏切って、それでいて救っているのだ。
星になった子供たちが、誰もが幸せな世界を生きているのが見えた。
女神イースの選択が、間違っているとは感じられない……。
―――信仰の与えた理論武装が、すっかりとはぎ取られていた。
『仮面』の力を奪われたレナスに残っているのは、ただの悲惨な若者として苦悩。
穢されて、男か女かもよく分からない中途半端な存在だ。
しかも、今では生きてさえもいないというのに……。
「こんな、とんでもない……とてつもない、半端者だ。それでも……それでも、フリジア・ノーベル。お前は、きっと……今の私からも、逃げることはないのだろう。お前は、大して賢くないから、いいアイデアを提供してくれないかもしれない。それでも、お前は、きっと、いっしょに考えてくれる……私を、もう、見捨てないはずだから……」
―――助けて欲しい、張り裂けそうな心が甘えたがった。
だが、この孤独な空間にいるのはレナスだけだ。
空想のフリジアを創り出して、永遠の友達ごっこを楽しんでもいいはずなのに。
レナスはそれさえも、選ぶべきではないのだと断じる……。
「私には、そんな権利はない……都合のいいことは、許されない。それだけは、許されないんだ。私は、お前を拒んだ。お前を、痛めつけた……お、お前の……友人である、ビビアナ・ジーを、人質にしてしまったんだぞ……ッ」
―――それでも、きっとフリジアは許すだろう。
レナスには、奇妙で特別な運命と責務があったのだから。
『カール・メアー』としての『正義』、それを全うしようとしていただけ。
レナスの『正義』は、誰よりも純粋なものではあった……。
「でも、それは……私の、信仰への『逃げ』だったのだろうか。自分が、無価値だから……無意味に、なりたくなくて。女神イースを頼り、汚らわしい自分にも、生まれて来た理由があったなどと、思いたくなった……思い込もうとしたかっただけ……私は、どれだけ、この苦しみに、囚われている……」
―――願いを持つことも、許されるべきではない。
そんな気がしているのだ、女神イースのためにならどんなことでもやれたのに。
いざ、自分の願いを叶えてもいいと言われたら。
これほど、自己嫌悪が膨らみ上がって吐きそうになる……。
―――どうして、こんなに気持ち悪いのだろうか。
自分は自分のどこを、これほどまでに嫌っているのか。
醜く思うのは、切り落とされた性器の傷跡だけじゃない。
醜く思うのは、自分の所業の数々だけじゃない……。
「私は……私は……痛みを、抱えている。この痛みは、怒りになって……怒りが、けっきょくは、私を突き動かしていただけ……私は、暴力的なんだ。どうして、こんなに……怒りから、逃げたい。怒りが、私を……おぞましくて、より、醜い者に、変えてしまっているんだ……」
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