第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その388
―――無力であったとしても、お母さんには言ってあげるべき言葉があった。
多くの悲劇がこの世にはあって、とんでもない絶望がひしめき合いながら揺さぶっている。
おぞましい絶望の叫びを、ちいさな箱に閉じ込めたようなものだよ。
どれだけの願いと祈りが、正しいはずなのに踏みにじられてきたのだろう……。
―――誰もが幸せを望むじゃないか、ときには例外もあるけれど。
あったとしても、例外に過ぎないものだ。
ありふれた本能として、みんな幸せになりたいし正しいことを選びたい。
でもね、絶望の大きさにヒトは無力なときがある……。
―――たとえば、今この瞬間もそうだ。
女神イースもレナスも、自分たちの願いを叶えたかったのに。
自分たちだけのためじゃなく、大勢の祈りのためにだ。
それはある正義のもとでは、何よりも正しかったはずなのに……。
―――たとえば、ミアの母親もそうだ。
ミアを助け出したけれど、そのあと大地に倒れ込んだよね。
そのとき、どれだけの不安があったことか。
空よりも広くて大きな不安、敗北の重みはあまりにも圧倒的なんだよ……。
―――誰もが絶望し、無力感に打ち負かされる敗北の時間を経験するものだ。
飢え死にしてしまう瞬間、病気で子供を失うとき。
戦災で国ごと『家族』を焼き尽くされるとか、世界の誰からも恨まれた子供たちとか。
痛みと苦しみが、ありふれてひしめき合っているのが世の中だ……。
―――それでも、母親は言ってきたものじゃないか。
意味があると、価値があるのだと。
自分の産んだ命に、可能な限り絶望に抗いながらそう教えてあげたんだ。
それは真実だし、そして嘘っぱちでも構わないことだよ……。
―――言ってあげるべき、言葉だから間違いがない。
意味があったんだ、価値があった。
たとえどんなにはかなくて、路傍に散った命であったとしても。
石ころみたいに、無意味で無価値に転がっていたとしてもだ……。
―――大切な子供のための言葉は、強がりの嘘だって問題はない。
伝えてあげるべきだ、あなたは大切なのだと。
意味があり、価値があったと。
母親なら、それを言わないといけないんだ……。
―――たとえ、どんなに矛盾に引き裂かれそうであったとしても。
たとえ、どんなに客観的な現実とかけ離れていたとしても。
敗北の最中であっても、子供は言われるべきだった。
あなたの人生には、意味と価値があった……。
―――本当の絶望のどん底にいるときこそ、希望が必要だ。
女神イースが、レナス・アップルに与えてあげたのはそういう力だよ。
ちいさな少女の姿に成り果てた女神は、消えていく体で伝え続ける。
抱きしめてあげるんだ、母親が子供たちにするように……。
―――ちいさな姿だから、まるであべこべのようだろう。
レナスは剣を手放せない、それもすこし違和感を作ってしまうはずだ。
でも、構わない。
これこそが、正しい構図だったから……。
―――泣いていた、涙が熱い。
レナスは女神イースの体が、どんどん冷たくなっていくのを感じている。
死と消滅が、もうすぐそばまで来ているからだと悟った。
死んで欲しくない、ずっと抱きしめて欲しいと願うけれど……。
―――あらゆる願いに、終わりはあった。
どんなことでも、たとえ神さまであっても。
ボロボロの翼で、包まれていきながら。
レナスは死んでしまった、大切な人たちを思い出す……。
『私のレナス・アップルよ。お前のために、すべてをしてやりたい。あらゆる願いを、叶えてやりたいのだ。あらゆる苦しみを取りのぞき、あらゆる痛みを癒してやりたい。寒いのならば、温めてやり。暑いのなら、風を起こして涼を与えたいのだ。でも、お前はとても強い子で。私はいまこのときに、とても弱くなってしまった。あらゆる願いを、叶えてやれない。ただ、たったひとつだけ……私と……』
「私も、力を貸してあげる。この子たちも、それでいいって!」
―――夏の海で遊ぶ、もうひとりの女神が笑う。
子供たちに囲まれながら、レナスと女神イースに開いた手を伸ばした。
力を送るんだよ、『トリックスター』の大きな力を。
アリーチェは自らのすべき道を選び、それを信じることにしたんだ……。
―――どんな絶望の痛みにも、負けなかった者たちに。
負けたとしても、殺されて死んだとしても続いている意志の力に。
正しいことも真実さえも、今は死に絶えたとしても。
負けることなき、意志がただひとつだけ……。
「私も、あなたには意味があったと思う。価値があったんだよ。あなたの大きな旅。大きな痛み。たくさんの、とんでもない苦しみもね。それを、たったのひとつの言葉で、名前をつけてあげることは難しすぎる。たぶん、無理だけど。それでも、信じられる。あなたは、今も世界を憂いてくれていて、とんでもなく『やさしい子』だから」
―――その言葉も、難しいものだろう。
消えていく女神イースのそばで、悲しみに張り裂けそうな者からすれば。
かまわないかもしれないね、アリーチェだって完璧に表現は出来ていない。
意味と価値があり、信じられたならそれでいいんだよ……。
―――だってね、去り行く女神イースに力を分け与えている理由は。
女神らしくプレゼントをしてあげるからだ、とてつもない力の委任だよ。
アリーチェは、あのときのミアと同じ。
レナスにしてあげたいんだよ、周りの子供たちと遊べて幸せなんだからね……。
「本当はね。きっと、たぶん。こういうのはしちゃいけないこと。だって、私はソルジェを応援しているし、ハーフ・エルフのひとりなんだもの。それでも、信じられる。あなたに、力を貸してあげたくなるの。どんなことでも、やれちゃうような……ちいさいけれど、すごい力をひとつだけ」
―――アリーチェは、空を見上げたよ。
『トリックスター』という神さまは、本当に恐ろしいところがあるんだ。
アリーチェは『してはいけないこと』さえも、『してしまえる』。
ボクがその場にいたなら、信じられなくて攻撃していただろう……。
「あの空をね、落っことしてしまうことだって。やれちゃう力を。もう一度、作って。あなたにあげようと思っているの」
―――女神イースの選択にさえも、アリーチェは逆らっている。
ソルジェどころじゃなく、『自由同盟』とすべての亜人種の運命。
それがかかっている戦いに、致命的な傷を与える方法を『組み直している』んだ。
消えかけの女神イースにあえて力を授けて、もう一度……。
「このお空に浮かんだ、もうひとつの街をね。地上に叩き落として、みんなを大勢、殺してしまえるほどの力なんだ。今ね、それをね。女神イースと私は生み出しているの。そしてね。それをね。何かしてあげたくてしょうがないあなたに。そして、きっと、誰よりも信じられるあなたに……プレゼントしようと思うんだ!」
―――ああ、ああ。
これだから、『トリックスター』も無垢な子供も本当に恐ろしいよね。
ボクたちの勝利と、この世界の運命そのものを。
たったひとりの、傷だらけでボロボロの敗北者に手渡そうとしている……。
「どうぞ!これが、女神ふたりの力だよ。たった、ひとつだけ。たったひとつだけ。あなただけに正しいことでも、誰にとっても悪いことでさえも。ひとつだけ。願いを叶える力を、あなたにあげるよ、レナス・アップル。世界だって、滅ぼせちゃうし。救えるかも、しれないような力!どうぞ、好きなようにつかってね!」
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