第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その385
―――アリーチェは、満足していた。
女神イースと話すことになると言われ、ぶたれたように強ばるレナスに。
自らの力を込めた剣をひとつ、手渡していたよ。
レナスの指を広げて、ていねいに握らせてあげるんだ……。
―――レナスには、権利が与えられている。
その剣を振り回すことで、武装を解除したアリーチェに挑めるんだ。
今度こそ、一太刀を通せるかもしれない。
もちろん勝てるかは分からないけれど、少なくとも意地を通すことは可能となる……。
―――権利と力を手渡されても、レナスは強ばり怯えている。
『狭間』のことが大嫌いで、アリーチェのことはとくに嫌いだ。
赤い竜に乗ったのだ、血まみれのルルーシロアじゃない。
自分たちを倒したミア・マルー・ストラウスでもない、もっと嫌いな存在……。
―――『プレイレス』全域と、その周辺にいた人々たちを『汚染』した『冒涜者』だ。
女神イースの威光を穢されたと信じるのなら、『カール・メアー』の戦士として。
その剣を一太刀でも、叩き込んでやるべきだったのに。
反射的に手放したくなるんだ、どうしてかは自分でも分からない……。
「『自由』は、意外と難しいことだもんね。でも。大丈夫だよ。どんな使い方だって、していいの。この剣を、どうぞ。どんなことを選んでも、私はあなたを嫌いになれないの」
―――分からない言葉だったよ、アリーチェが何を言いたいのかを理解できない。
それでも半ば無理やり、子供ならではの無邪気な純粋さが剣を握らせる。
男の子は本能的に剣に憧れて、巫女戦士ならば自らの信念の化身とすべきもの。
レナス・アップルの手に、剣は託されたんだ……。
「がんばってね。聞きたいことも、言いたいことも。ぜんぶ、ぶつければいいんだ。それをやれる最後のチャンスだから。ぜーんぶ、ぶつかり合えばいいの。怖がらなくていい。女神イースは、とっても、やさしいんだから!」
―――多くの子供たちに、それぞれの幸せな世界を創ってあげた。
それだけで十分だよ、アリーチェにとってはね。
女神イースは、知りうる限り『いちばんやさしい神さま』かもしれない。
おじいちゃんは別腹として、そんな結論に至らせたんだ……。
―――ニコリとした笑顔を浮かべ、アリーチェは砂浜を歩く。
どこまでも隙だらけだから、戦士ならば斬りつけるべきだった。
でも、アリーチェは斬られることはなかったんだよ。
ゆっくりと夏の暑さの砂浜を踏んで、たくさんの子供たちがいる海へと向かう……。
―――女神として、どんな振る舞いをすべきなのか。
最も新しく、そして最も幼い女神さまにとって。
そんな些細なことを、気にしている余裕はないんだよ。
夏の海で遊ぶ子供たちを前にすれば、彼女がすべきことはもはやひとつだけ……。
「みんなー!私も、混ぜてー!!」
―――信じていれば、怖がる必要さえなかったんだ。
考えることも、まってくもって必要じゃない。
ちょっとした素直さで、自分がそこにいるのだと主張してみればいい。
アリーチェは、大勢の子供たちの前で両腕を元気いっぱいに振っていた……。
―――やっぱり夏の海は、とても懐の深い空間だったよ。
『狭間』の子であっても、受け入れてくれる。
子供たちはアリーチェの期待に応えてみせたよ、拒むことは一切ない。
いっしょに海で遊ぶことを、歓迎してくれていたんだ……。
「うん!いっしょにあそぼう!」
「こっちにきて!こっちにきて、あなたはわたしたちのチーム!」
「なにして、あそびたいの?」
「およぐ?みずかけっこ?おいかけっこ?それとも……ぜんぶ!」
―――生きていたころのアリーチェでも、こんな出来事はなかったかも。
だってね、『狭間』という存在はとても嫌われているから。
親たちが嫌うから、ちゃんと子供たちも幼くして習得してしまう。
差別すべき対象だと、『狭間』を嫌うようになるからね……。
―――でも、この海では違ったんだ。
どの子も、アリーチェという『狭間』がいっしょに遊ぶことを許してくれる。
憎しむべき理由を忘れてしまったのか、それとも違う理由からかもね。
姿かたちが違うからといって、子供たち同士が遊んじゃいけない理由はない……。
―――夏の海は、やっぱり魅力的なものだった。
暑さを和らげてくれる、涼しさがそこにはあって。
それでいて、どこか冒険の心をくすぐってもくれる。
泳ぐだけでも心地良いし、どんな遊び方だって自由に受け入れてくれるんだから……。
―――生きていたころには、確かにここにいる全員を縛り付けていたものがある。
でも、今このときにはなくなっていたんだ。
堅苦しいことなんて、気にする必要はもはやなく。
ただただ子供たちは、夏の海で遊べばいいだけのこと……。
―――それを見ているレナス・アップルの目は、どういうわけか泣いている。
その涙に対して、どんな意味合いをつけてあげるのかはレナスに委ねられた。
とても『自由』で、とても罪のない者たちが目の前にいる。
逃げるように見上げた空は、とても青くて吸い込まれそうだった……。
『……さあ。レナス・アップル。私に聞かさてくれ。私に聞いてくれ。お前の心のなかにある、すべてのことを』
―――奇跡を創り、燃え尽きそうな女神はもはや小さい。
威厳のなくなった幼い無垢な声で、この地獄みたいな世界を生き抜いた者に言った。
これが最後の時間、女神の遺言と最後の赦しの時間。
空に吸い込まれそうにうなだれた者は、剣を抱き寄せながら口を開く……。
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