第三話 『愛する者に不滅の薔薇を』 その93
「お前は、そのとき、どこにいた。ヒトは、戦場では単純になる。理由に基づいて動くんだ。バリエーションはない。『考えれば、忘れていたとしても、克明に思い出せる』。やってみろ」
目を丸くしていたな。
だが、眉間のあいだを流れた汗が鼻を伝って流れるあいだに、この男は忘れていたことを思考で思い出せていた。
「……あ、ああ。そう。そうだ。この丘でだ……あの不気味な声を聞いたのは、ここだ。間違いないよ」
「お兄ちゃん、呪術……使ったの?」
「いいえ。これは心理操作術の一つですね。いかにも『プレイレス』の芸術家が好みそうな技巧。良い出会いをしたようです」
さすがは、レイチェル。蛇の道は蛇、芸術の道は芸術家が知るということだ。
不思議そうな顔になっている帝国兵に、続きを促してやろう。
「話してくれるか、その瞬間のことを。出来事が思い出せないなら、空間から、周りのことから考えてみろ。そのとき、ここでは何が起きていた?」
「あ、ああ。そうだな……休息のために、食事を作ろうとした仲間を背にしていたんだ。オレたちは、ゼベダイ・ジス大尉たちを見送ったあと、ここで見張りに立っていたから」
「なるほど。ここで、お前は不気味な声を聞いて空を見上げたが、見えなかった」
「そうだ……」
「その直後を思い出せ。戦いが起きるよりも、前のことだ」
「それは……」
「不気味な声の主は不明。戦場で理解不能なことに出会えば、不安になる」
「ああ。うん。不安に、なった」
「不安になれば、誰かを頼るものだぜ。お前は、その瞬間、誰を頼った?心に浮かんだ者は?」
「……大尉だ」
「ゼベダイ・ジスは『強い』からな」
「そう、だ。それに、大尉は、この遠征に出てから、空と高所を気にしておられたこともある。それも、頭によぎったんだ」
「竜を気にしていたと?」
「もちろん、竜も、気にしていただろう」
「『竜も』。それ以外も、気にしていたわけだ。高い場所には、『何か』が現れることを知っていたから」
南のエルフたちの『ギルガレア』を警戒していたらしい。敵対関係にあるからな。やはり、高い場所を好む。見渡せる場所を好むのか?罰を与えるためにも、罪を見つけるためにも、視認性があるに越したことはないからか?……まあ、南については、今は構わん。
「続けよう」
「あ、ああ」
「不安になったお前は、ゼベダイ・ジスを求めて、東に視線を向けた」
「あ、ああ。見た……」
「じゃあ、今、動いてみろ。きっと、忘れていることを思い出せる」
「……こう、だな。こうやっていたんだ」
帝国兵が東を見た。本来ならば、『オルテガ』の城塞が視界の端に見える位置だ。
「『オルテガ』を視界に入れて、何を考えた?」
「大尉が戻ってこないかと期待したし、報告もしたいと思った。そして……」
「知っているが、聞こう。それから、何が起きた?」
「……悲鳴と、うめき声だよ。それが、背後から聞こえた……」
「振り返り、虫けらに身を裂かれる戦友を見たわけだな」
「そ、そうだ。それで、自分もそうなるのかと思ったんだ……バケモノに、なりたくない」
「戦いになると思ったか?」
「襲われる、と感じた。すごく、殺気立っていたから……」
「なるほど。おかしいことがある。襲われそうなら、どうしてここから動いた?」
「……え?」
「丘の上にいた。戦術的なアドバンテージがある。お前は見張りで弓兵。ここから撃った方が安全だし、強い。それを放棄するのはおかしくないか?」
「…………そう、だ。そう。お、オレ……声を聞いた」
「『ギルガレア』の声が、もう一度、聞こえたと?」
「ああ。ま、また、聞いたんだよ。同じ声だった。でも、今度は『命じられている気持ち』になった。た、戦えって……」
「そいつは、どこから聞こえた?」
「戦友たちの方だ」
「ここからなら、『西』だな」
「そう……だから、ここを動いた。オレ、どういうわけか、突撃していた……っ。矢を撃てば、良かったはずなのに……普段なら、そうするのに……訓練で、そう習ったんだぞ……っ。それに、どうして、声を聞いていたことまで、忘れていたんだ!?」
虫けらに支配されつつあったからだな。しかし。それは、伝えてやらない方が親切か。知ったところで誰にも得ることがない。気になることを、訊くとしよう。
「声は、もう聞こえなかったか?」
「…………聞こえなかった。でも、あっちは……」
「気になることがあるなら、教えてくれ。何でもいいんだ」
「大尉が、教えてくれていたんだ」
「何を?」
「もしも、多くの敵に攻め込まれたら、ここから、『西』に。まっすぐ……起伏が強い地形がある。そこに、誘い込んで……逃げろと。命令されていた」
「逃げろ、か。あの男は、本来のゼベダイ・ジスとは言えん。愛する者の真意を無視して、願望のなごりに突き動かされているだけの面影に過ぎない。負けそうな部下を助けようとはしない」
「……っ」
「じゃあ、あっちには『罠』があるんだね。たくさんの敵を、誘い込もうとしていたなら」
「帝国兵とその敵、そのどちらともを生贄にしようとしたのかもしれませんわ。向かうべきです。戦場の力学は、シンプル」
「駆け込める『拠点』の数というものは、そう多くない」
「追いかけてみましょう。逃しては、なりません」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます