第一話 『紺碧の底から来たりて』 その38


「それで、ビビアナ。まだ午前とは言え、真夏なんだ。君の屋敷に案内してくれないか?可能ならば、自慢の商品をオレに見せてくれ」


「ええ。この暑さのなか、立ち話しすぎていますね。ミスター・ベケス、ご案内いたしますわ。メダルド・ジーの屋敷に」


 流麗な所作で、貴族じみたお辞儀をする。帝国貴族との商いのために習ったのかもしれないし、メダルド・ジーは姪っ子を貴婦人にでも育てたかったのかもしれない。何であれ、客に対する態度としては、良好なものだった。


 ミスターとつけて呼んでくれてもいる。それを喜ぶのは、浅はかだろうが……悪い気分にはならない。口を滑らせないようにしよう。社交術の達人は、武術の達人と同じように、警戒しているはずの間合いの内側に踏み込んでくるものだ。気づかれもしないうちに。


 背中の開いたセクシーなドレスを身に着けた乙女を追いかけて、人買い野郎の屋敷に入る。


 性格の悪さで有名な男ではあるが、自分と『家族』を住まわせる空間には残酷な置き物を並べたりする趣味はないようだ。赤いじゅうたんと、白い壁……高い天井に、獣たちの飾りが彫り込まれた太い柱。


「いかにも金持ちという印象を見せつけてくれる家だな」


「商売のための窓口でもありますから。居住性よりも、お客さまへの信頼を見せつけることを優先してデザインさせていますのよ」


「住みにくさがあるかい?」


「いいえ。信頼のために、気品を演出していると説明したかっただけです。私たちジーの一族が、どれほどこの商いに真剣なのか……心血を注いで来たのかを伝えたい」


「オレにも、それを示せと?」


「もちろん」


「長い会話をしていれば、伝わるだろう。オレがどれだけ奴隷を求めているか」


 真実の感情は、伝わるだろうよ。この人買いの目にはね。心底、奴隷を求めているというのは正しいぜ。奴隷として使役するためではなく、解放してしまうためにだが。


 まあ、その理由の方をビビアナは感じ取っているのかもしれない。オレを信用できないというのは、彼女にとっては正しい判断ではある。彼女と、叔父の商いを破壊しようとしているのだから……。


 そうだとしても。


 彼女は、我々を屋敷に招き入れてくれた。


 ……いくらか世慣れている26才は、ビビアナの恐怖を嗅ぎ取れている。彼女は、この生活が気に入っていて、誇りまで持っているんだよ。人買いとして生きることを、正しいと信じているわけだ。良い悪いは別として、ビビアナ・ジーはこの屋敷での日々を失うわけにはいかないと考えている。


 だが。


 現実は、彼女の願望とは乖離しつつあった。


 少なくとも、かつての立場はもうない。奴隷たちの売り買いを自分たちの独断ではやれないのだから。帝国の支配下では、彼女たちは主役にはなれない。


 ……誇り高く育てられたビビアナには、憂鬱な日々のはず。イラつきを隠せずに、手下のほほをぶん殴るほどには……洗練された商人の仮面をつけているが、中身はお嬢さまだろうよ。保守的で、自分の世界を維持したいと願う、充実した人生を送っている金持ちの娘さんだ。


「こちらが、商談用の部屋……ですが」


「入れてくれなくてもいいよ。行きたい場所は、そこじゃない。君とおしゃべりをするのも楽しいがね……奴隷を見せて欲しい。人買いで商いをしたいんだろ?……オレは、君を笑顔にさせるほどの金貨を渡せるんだぜ」


「貴方のクライアントのお金でしょうに?」


「同じことだよ。金貨が、君たちジーの生業に転がり込むという結果は変わらない。大口の商いでもある。その後の取引だって、あるわけだぞ。迷うなんて、馬鹿げている」


「……素直に叔父の帰還を待ってとお伝えしてもムダかしらね?」


「君の手下じゃ、力ずくでオレたちをその部屋に押し込むことだってやれないからな。むしろ、それを試みてくれたなら……君にオレの腕と、どんなに真剣に奴隷を求めているかが明白に伝わってくれるな!……それをさせてくれるのなら、腕に覚えのある手下を呼べばいい。ちゃんと、手加減して殺さずに倒してやるよ」


「乱暴なことをしないで欲しいものですね。部下も、我が社の財産なんです。折檻していいのは、私だけですよ」


「オレは傭兵だ。乱暴なことをするのが、売りでもある。奴隷や手下を躾けるのと、全力で抵抗してくる武装した敵を屈服させる暴力ってものはね、あまりにも質が違うってことを教えてやれるぞ。いい経験になるんじゃないか?」


 ちょっと、脅すような言葉と態度かもしれないが―――これも仕事のためだ。


「まあ、決めるのは君だ。お互いのために、良い選択をしようぜ」


「……ええ。商品を、見せてあげます」


「いいね。リストじゃなくて、現物というところが気に入ったよ」


「文字は嘘がつけますからね」


「帝国人は、そのあたりを重視しないから問題だ」


「合理的なつもりでしょうけれど、それだけでは本当の商いなんてやれない」


「信頼が一番だ。本物の目利きの前では、嘘は見破られてしまう」


「……こちらについて来てください。ミスター・ベケスに特別な対応をします。奴隷をその目で確認するといい……貴方の目が、どれだけのものかを私も査定することになりますが」


「いいとも。お互いの仕事を見せつけながら信頼を醸成していこうじゃないか。昼食を共に過ごしたりするプランより、仕事熱心な我々に向いているだろう」


「もちろん。ミスター・ベケスのこと、嫌いではありませんが……顔は、タイプではありませんので」


 さっき聞かせたことを、また聞かせてくる。色気で誘惑するなんて行いは、ガルーナの野蛮人には向いちゃいないってことさ。




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