玉川上水を流れる、生きる理由

きつね月

玉川上水を歩くと流れてくる、生きる理由


 武蔵野の地に住んでいたのはもう三年も前のことになる。

 上京してきてから五年ほど暮らしただろうか。家賃の安さで選んだ場所だったけど、田舎過ぎず都会過ぎず坂も少なく、散歩好きの私には心地よかった。歩き続けていればちゃんと知らない場所にたどり着ける。都心ではそうはいかない。どこを歩いていてもテレビや雑誌で見たような地名に囲まれている。それは安心ではあるけれど、見たことも聞いたことも誰が住んでいるのかもわからない場所に行く、という寂しさが欠けている。

 かといって知らない場所しかないというのも困る。一度出掛けたら帰ってこない、あてのない旅というわけではなく、あくまでお散歩なのだ。気軽にふらっと出掛けられるものでないといけない。その点も武蔵野という土地はちょうどいい。そこら中に電車やバスが通っているので、いつでも最寄り駅に帰ることができる。

 私が住んでいたのは小平市とか国分寺市とかその辺り。新宿までの定期券を持っていたので、そこから東の方へ向かうことが多かった。とはいえ、まあ目的地は別にどこでもいい。

 歩き続けながら思考すると、前向きにものを考えられるんだそうな。もちろんそんなのはただの現実逃避だということはわかっていた。

 しかしまあとにかくなんにせよなにがどうであれ、当時の私には逃げられる場所が必要だったってことなのだ。

「……」

 あのときの私は、平凡で冴えない若者らしく、よく死について考えていた。

 武蔵野がそういう土地だというわけではない。しかし当時住んでいたアパートの近くには、有名な文豪が飛びこんだといわれる玉川上水が東西に長く伸びていて、落ち行く夕日を背にそこの遊歩道なんかを歩いたりしていると、どうしても死というものについて考えてしまうのだった。

 死というものについて。

 それは一人一つだけの平等だ。立場や境遇もその理由も関係なく、有名な文豪だろうが、冴えない若者だろうが、平等にそれについて考えることができる。

「……」

 夕暮れ時の玉川上水は鬱蒼としている。遊歩道に落ちる街路樹の影は、夕日に照らされているぶん深夜よりも暗く感じる。昔は水量があったという玉川上水も、現代では細流になっている。そして歩道はずいぶん高い位置にある。見下ろすと、深い深い暗闇のなかにぼんやりと光る川明かりが、まるで異世界の入り口みたいに見えている。そこに飛び込めばどこか知らない世界に行けそうな気がしてくる。

「……」

 死について語るのは不謹慎だ、という風潮が世の中にはある。

 確かに、それが例えば自分のことを棚にあげて他人の死を促すような、悪意を持って語られる文章ならそうかもしれない。しかし当時の私は上水を歩きながら、。死というものを通して生きる理由を探していたのだ。

 不謹慎だろうがなんだろうが、死はいつでも私の側にある。死について考えることは生きることそのものだった。それについて考えないことは逆に不安を育てる。何をしていてもその先に得体の知れない恐怖がある。目を逸らし続けていると暗闇はそのぶん大きく深く正体不明になっていく。だったら諦めて目を合わせた方がいい。暗闇をちゃんと見据えた方がいい。

 ―――自分はどうして死にたいのか

 ―――死について考えると、どうしてこんなに安心するのか

 ―――死について考えると、どうしてこんなに世界が綺麗に見えるのか

 そんな問いかけを吐き出しては、玉川上水の闇に投げ込む日々。

 どうしようもない問いかけを投げ込んだ分だけ、川明かりはぼんやりと深くなっていく。

 自分だけの玉川上水。自分だけの死。

 死はそんなに嫌悪するものではなく、かといって焦って手に入れられるようなものでもない。ゆっくり育てればいいのだ、と川は流れる。私はまだ若く、私の死はまだ小さく、その全貌はまだまだ見えない。だから怖いし、だから平凡で冴えない若者は死についてよく考える。よく考え、考え、そして少しだけでもそれを―――自分の生が死に変わる瞬間―――を自覚できたとき、世界は残酷なほど綺麗に見える。

「……」

 生の時間を死の時間に変えていく。そんな旅の途中。

 三年前、武蔵野の地というものは私にとって確かにそういう場所だった。

 今では別の場所に引っ越してしまったが、しかし玉川上水は変わらず私の側を流れている。ふとした瞬間、見下ろせばそこにある。ぼんやりと光っている。その川明かりは三年前よりも確かに輝きを増していて、それはきっと私がそれだけ死に近づいたからだ。だからこれからもどんどん綺麗になっていくだろう。与えられた生命のぶんだけ輝きを増す、そんな景色を見るために私は生きている。その景色は駆け足で逝けば早く見られるというわけではなく、しかしそれを見ずに逝ってしまうにはあまりに惜しい。

 だからまだ生きている。私の人生なんてたったそれだけのものだ。

 それだけでいい。別に焦る必要もない。

 




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