わたしの愛した世界

伏織綾美

序章

 空を飛ぶ鳥になりたい。

 地を這う虫になりたい。

 草木になりたい。花になりたい。猫や犬、ネズミ、いっそゴキブリでもいい。


 なんでもいい。私は私以外になりたい。




 毎晩毎晩、私は自室のベッドで眠る。当たり前の事だ。16歳の女子高校生で、実家に住んでいるから。

 花柄のシーツに包まれた羽毛布団の中に潜り込み、体を丸めた。この体勢は、まるで母の子宮の中で生まれる時を待つ胎児のようだ。



 暖かい布団の中で、私は眠りにつくところだった。このまま何事もなければ........。



「寝るな」



 勢いよく羽毛布団が捲られ、目を閉じていた私の頭上に低い声が降ってきた。寝たフリをしようかと思ったが、以前それをやって殴られたことを思い出した。


 殴られるのは嫌だ。しかもこの人は加減や小細工はせず、有無を言わさず顔面に拳を叩き込む上に、それを周りに発見されても、私が勝手にぶつかっただのと上手く言い訳をして、逃れるのが上手いのだ。



 そう、逃れるのだ。


 この人は、自分の娘に何をしているのか、周りに知られないように、うまく立ち回っている。



「服を脱げ」



 命じられるままに、身体を起こして部屋着を脱いだ。肩には治りかけの痣がある。無理に身体を持ち上げられて、壁にぶつけられたのだ。これは5日ほど前の痣。


 この人ーーーー父が、私のベッドに膝を乗せ、体重を掛けた。ベッドが軋む。


 今日も始まってしまう。






 人の人生はピンキリだ。とてつもなく恵まれた人もいれば、そうではない人もいる。


 私はそのどちらだろうか?親は金持ちで、住んでいるのは駅の近くのタワーマンションの高層階。着ている服も使っている物も、高いものばかりだ。通っている高校は県内でも高いランクに位置する学校だし、将来も親を継いで医者になる、という道が用意されている。


 たしかに、私はその点は恵まれているのだろう。しかしこれは、どうなんだ。



「養われてる身分なんだから、ここでちゃんと奉仕しないと追い出すよ」



 父は言う。彼は私とは血が繋がった親子のはずなのに、どうしてか私に対して「女」を求める。いわゆる性欲というものを、実の娘である私にぶつけるのだ。


 当然最初は抵抗した。しかしコレが始まった当初、12歳で小柄だった私が抵抗したところで、焼け石に水だった。逃げようとする私を父は難なく捕え、うつ伏せにベッドに寝かせた全裸の私の尻をベルトで5回、打ち据えた。想像を絶する痛みに私は声も出せず、体も上手く動かせないほどに取り乱した。彼はその隙に私を犯した。



 それ以来、4年もの間父は私を犯し続けた。幸いなことに毎日ではなかったが、決して少なくはないほどに、父に蹂躙されてきた。私の体を、私の心を、私の青春を。

 彼はきっと、自分の娘は無条件で自分の思い通りに出来ると思っているのだ。悲しいことに、それはあながち間違ってない。力さえあれば、そして弱みさえあれば、恐怖さえ与えれば、思い通りになるのだ。私はその通りになってしまった。抵抗する気力も、すでに失せた。


 私もいつかはと夢を見ていた。男女の目交いというものは、心から愛した相手とするもので、幸せなものに違いないと。きっと、普通はそうなのだろう。幸せなものなのだろう。しかし、必ずしも全ての人間がそうなるとは限らないのだ。




 言葉にするのも忌まわしい、汚らしい行為を強いられながら、私は思った。死にたいと。毎度毎度、そう思った。



 きっと、これは素敵なことなのだと自分に言い聞かせて、不条理を全て受け入れて順応してしまえば楽なのかもしれない。「私は父に愛されてる。大事にされている」と、勘違いでも思い込んでしまえば、少なくとも私の心はその時だけは楽になるのに。



 母はもちろん、気付いているはずだ。しかし何も言わない。時々、意味ありげに私を見詰めるが、悪意は感じない。むしろ何だか、私に面倒を押し付けることが出来て安心しているようにも感じることがある。


 私が父に純情を散らされたばかりの頃、ショックのあまり体調を崩した私に、母はとある薬を渡してきた。箱には外国の文字が書いてあり、中には小さな錠剤が30錠ほど、銀色のシートに並べられていた。



「これを毎日、決まった時間に順番に飲みなさい」と言われ、私はそれ以来ずっとその薬を飲み続けている。これが何の薬なのかは分からないが、薄々感じているものはある。しかし、敢えてそれは思考することを避けてしまう。



「ちゃんと動け!」



 軽く頬を叩かれ、思わず我に返ってしまった。いつもは終わるまで他のことを考えて、逃避しているのだ。自室のドアを確認する。異常はないようだ。母はともかく、弟が覗いていたらどうしよう。弟は5歳だ。私を慕ってくれている可愛い弟に、こんな汚い私を見られたくない。



「お前、やる気あるのか?養われてる身で逆らうんじゃねぇぞ」


「........ごめんなさい」



 うるさいなぁ。この人さえ居なければ、........この人さえ死ねば、こんなに苦しまなくて済むのに。


 それとも私が死ねばいいのだ。私が死ねば、父に犯されることも無くなる。解放されるのだ。



「おい、いい加減にしろよ。手を抜くな」


「........るさいな」


「........あ?」



 長年犯され続けて麻痺していたはずの心が、どうしてか、この時は急に動き出したのだ。胃の中が焼け付くような感覚が広がり、それはやがて明確な「怒り」となった。




「うるさい!もうやめて!全部お父さんのせいで私の人生はめちゃくちゃだよ!」



 そう絶叫した直後、私の視界が真っ白になった。一発目の衝撃で視界が白くなり、二発目で今度は暗くなった。徐々に意識が遠のいてる間も、己の頭部に何度も衝撃が加えられているのは分かった。どうせ殴られてるんだろう。



 殴るなら好きなだけ、殴ってくれ。そして私を殺してくれ。



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