米食麦の恋愛計画

弥生奈々子

米食麦の恋愛計画

「いっけなーい。遅刻遅刻!」

 僕は、米食麦。現在十六歳の高校一年生。華の女子高生というやつである。崇め奉れ。JKだぞ。男女問わず、どの層からも需要がある最高のカテゴリーである。そんな僕は先ほど、独り言ちた通り遅刻しないため、通学路を爆走中というわけだ。サービスにも映りかねない速度である。いややめよう。こういうギャグは一人では成り立たない。過去の私の過ちを訂正しよう。サービスではない。正しくはオービスだ。

 これほど急いでいたら先人が遺した『急がば回れ』なんて言葉に耳を痛めかねない。しかし少し待ってほしい。それこそ急がば回って思考を止めてほしい。果たして鈍間はいいことだろうか。現に『善は急げ』なんて言葉もあるだろう。あれも即断即決の決断力を誇示する愚者の言葉に見えなくもないのだが。要は好きな言葉を、価値観を取り込めばそれでいいのだ。求める言葉なんて、一人一人異なる十人十色で、必要な言葉が真実である必要などどこにもない。耳心地のいい言葉や情報を選択することこそが、この情報が溢れる社会では重要である。占いでいい結果しか信じないというとわかりやすいだろうか。かくいう僕は、今朝のニュースで、おとめ座が堂々の最下位だったので、占いサイトをマイニングしておとめ座が一位のサイトを見つけてから家を出た。

 こんなことを言うと、僕が現在遅刻の危機に瀕している理由が、わかりそうなものだが実のところ全く関係ない。オタクはすぐに伏線を探したがるが、生憎現実は伏線やご都合主義などほとんど存在しない。『現実は小説より奇なり』なんて言うが実際は『現実は小説よりいきなり』である。そもそも遅刻の危機という言葉自体が間違いである。信頼できない語り手なんて、推理小説をこよなく愛する諸兄等にはお叱りを受けてしまうだろうか。

 閑話休題。

 つまるところこの遅刻も、通学路ダッシュも、全ては僕の計画通りなのだ。僕は敢えてギリギリの時間に家を出た。何故そんなことをしたのか――それはイケメン彼氏を手に入れるために他ならない。答えは単純明快である。人間、物事を缶足掻えるとき、難しく考えてしまうきらいがある。真相は深層にあらず。時に浅瀬にあるものだ。しかしながら、ここで説明を終えてしまうと、全国八十億人の有象無象の凡愚どもには、およそ理解することすらかなわないだろう。

 理解できたとしても、どちらにせよ僕には敵わないのだが、噛み砕いて説明することも天才の務めである。難解な理論を晦渋な文章で説明してもそれは真の天才ではないのだから。皆様は『まちかど食パンダッシュガール』なるものをご存じだろうか?

 食パンを咥えた遅刻寸前のうら若き乙女が、イケメンとぶつかるという、極めて手垢に塗れたあれである。もちろんこれはフィクションの世界だから起こり得ることで、現実には食パンを咥えて走る少女が偶然存在することなどまずありえない。もうわかっただろうか。僕はその事象を人為的に起こしているのである。よくよく反駁してみると、あの一場面に於いて、おかしいのは女側だけであり、男性は至って平凡で事足りるのだ。つまり少女(今回で言う僕)が能動的に食パンを咥えて遅刻しかけることで、出会いは生まれるのである。この結論に冴えわたった脳みそ(二徹目)で行き着いた僕は、計画を実行に移しているわけである。

 あとは走るだけ。それでイケメンと恋ができる。

 と、取ってもいないタヌキで革製品を大量生産しようとしていたところ、ある異変に気が付いた。周囲に並走する食パン少女がいるのだ。それも一人や二人なんてちゃちな人数ではない。およそ両の手いや、両足を使っても尚、数えきれない大群が食パンを咥えて走っている。おいおいあいつなんて、プレートを首にかけて卵かけご飯を作っているぞ。趣旨を全く理解できてないんじゃないだろうか。

 しかしこれで――こんな些事でへこたれる僕ではなかった。その理論を立ち上げただけで、凡人にしてはよく頑張った方だ。はなまるを与えよう。しかしイケメン彼氏は与えられない。恐らくここにいる全員で考えたのだろう。人ひとりの力には限界があるが、ひとりひとりの力は無限大だ。しかしながら、僕には遠く及ばない。僕は天才だから。関わらず、交わらず、個にして全を圧倒する溢れんばかりの才能を持ってして、凡庸の群れを蹂躙する。格が違うんだ。なんなら核から違う。僕の方が一枚も二枚も上手だった。

 皆々様もよく覚えておくといい。天才とは百パーセントの才能だ。努力なんてしない。彼女等のようなザコがする悪あがきこそが努力だ。精々一生努力してやがれ。パブロ・ピカソの描いたゲルニカを「なんか有名」「値段が高い」という理解しかできないようじゃ、一生こちらのステージには上がれない。ピカソの本名を知っていることがお前等の自慢か?

 円周率でも暗唱してろよ。

 僕はカバンから秘密兵器を取り出した。フランスパンである。この圧倒的リーチ差で、誰よりも早く速く疾く――イケメンとぶつかれる。

 僕の思惑は完璧であった。誰よりもリーチのある僕は、他の追随を一切許さず、人間とぶつかることができた。

「きゃっ」

 完璧だ。ぶつかった時の悲鳴も可愛くできた。イメトレ通りだ。僕は勝利の余韻を味わいゆっくりと目を開ける。

 

 そこには倒れた男性の姿があった。腹部には僕が先ほど口にしていた、パリジェンヌたちが愛してやまないフランスの国民食が刺さっており、口からはゴボゴボと、命の源が込み出ている。

倒れる身体が浸るほどの出血。人間の血液量は、およそ全体の十パーセント。そのうちの三分の一が流れ出すと、命にかかわるという話だが――これはもう全部出ているんじゃないだろうか。

大きな誤算であった。フランスパンと衝突するインパクトにか弱き人の子が耐えきれるはずなどなかったのだ。

 眼前に倒れるこの男は、何を考えているのだろうか。既に意識はなく、熱も痛みも何一つ感じていないだろう。置いてけぼりにされるのは、『魂』の同行を拒否された肉体だけだ。

 もはや鮮血の絨毯に敷き詰めた床を、他の食パンガール達のローファーが波紋を生みながら踏みつけるのみだ。端正な顔立ちももう見る影もない。

 呆然と佇む僕は遅ればせながらある残酷な真実に気が付く。

 ここで僕の計画は失敗に終わったのだと。

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