人魚の見る夢は

宵待昴

第1話 人魚の見る夢は

この話は、Twitterのフォロワーさん 小富百さん(@cotomi_momo)よりリクエスト(「人魚の見る夢」「リュウグウノツカイ」)いただいて書いた作品です。ありがとうございました!


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碧く透明度の高い海を見渡せる小高い丘の上。そこに、小さな洞窟のような店がある。薄暗く、店内も、小窓から差す日光と、いくつかのランタンの灯りのみが光源だ。名前は、雑貨屋「リュウグウノツカイ」。海をテーマに様々な雑貨を扱っている。

海が好きな者、海に訪れた観光客、海を感じたい者、毎日様々な客が訪れているのだ。


今日も、一人の女性が訪れた。名前はペルレ。

しゃらん、と、ドアから提げた貝殻のウィンドチャイムが揺れる。微かに、潮の香りが鼻を掠めた。

店内には他に客は無く、ペルレは静かに入って店内を巡る。白いブラウスに、深い碧のロングスカート姿。肩までの長さの深い緑色の髪。妙齢のようにも、落ち着きある歳を重ねた年齢にも見える。

少し店内を見、ペルレは、カウンターの向こうに居る店主に声を掛けた。

「あの、」

店主が顔を上げる。若い男。一つに結った腰まで届きそうな青い髪が、揺れた。

「何かお探しでしょうか?」

にこやかに尋ねれば、ペルレははにかんだように笑って頷く。

「ええ。『人魚の見る夢』という香があると聞いたのですが……ありますか?」

「もちろん」

店主は背後にある、無数の引き出しがある棚に向き直り、一つの引き出しを開ける。

直ぐにそれを取り出した。

碧い海の色をした和紙で包まれた、手のひらサイズの紙筒。筒の白いラベルには、碧い字で「人魚の見る夢」と達筆に欠かれている。

「ご説明は要りますか?」

静かに店主が問えば、ペルレは是非、と頷いた。店主は穏やかに笑う。

「では。ーーこちらは、香「人魚の見る夢」です。焚いて眠ると、人魚の見る夢を見ることが出来ます。夢の内容は焚く度に変わり、焚いてみないとどんな夢を見られるかは分かりません。香りも、焚いた方によって違うのだとか。皆さん、海の香りには違いない、とのことです」

店主の説明に、ペルレは静かに頷いた。

「……悪い夢も、見るのかしら」

「場合によっては。私は人魚ではありませんが、きっと人魚も、悪い夢は見るものでしょう?」

「それはそうだわ」

ペルレと店主は顔を見合わせて笑う。

店主から紙筒を受け取り、ペルレはじっと見つめた。

店主はそれを、優しく見守っている。

「ーーお客さんは、人魚だった方ですね」

ペルレは、目を見開いて紙筒から顔を上げた。

「どうして分かったのかしら」

「ここにはいろんなお客様が来ますから。目が鍛えられるものです」

店主は自らの目を指し、いたずらっ子のように笑う。呆気に取られていたペルレだったが、やがて笑い出した。

「それは素晴らしいわね。ーー貴方の言う通り、私は元人魚だったの。陸で愛する人に出会って、人間になったわ。人間になったことは、今も昔も後悔していない。今も幸せよ。でもね」

ペルレは店内をぐるりと見渡す。見渡す限り、海に関わる品々ばかりが並ぶ、薄暗い店内。いつも過ごしていた、日の光が届かぬ故郷のようなーー懐かしい雰囲気。

「やっぱり、海に生まれて海に生きて来た時の方が長いから。人魚だった頃、私は何を考えて、何を夢見て、何を思って生きていたのか。思い出したい時があるの。人間になった後は、人魚の時に見ていた夢を思い出せなくなったから。余計にね」

ペルレの話に、優しく笑んだまま、店主は黙って頷く。

「ごめんなさい。こんな話……」

「いいえ。ここは、海にまつわるものを扱う店ですから。海の話をしていただくのは、この店の物たちも喜びます」

恥ずかしさで頬を染めつつ、ペルレはまた店内を見る。静かな店内だが、いつか聴いていたような、悲しい時に慰めてくれたさざなみの音が聞こえた気がした。

ペルレは少し笑うと、また紙筒へ目を戻す。

「これ、いただきたいわ。ーー本当は、少し怖かったの。海を捨てたと、海に嫌われたんじゃないか、とか、悩んだこともあったあの頃の感情が蘇るんじゃないか、それで悪い夢を見てしまったらどうしよう、とか。いざこれを見たら、いろいろ考えちゃって」

彼女が話すのを、店主はまた黙って聞いている。

「でも。それも全部私。海に生きた人魚だったことも陸に生きる人間になったことも。この想いごと、全て私なんだわ」

ペルレは、店主を見た。店主も優しい目で、ペルレの視線を受け止める。

「このお店は不思議ね。とても穏やかな気持ちになって……私の中の私の声が、よく聞こえるようになった気がする」

「きっと貴女が、海を愛しているからでしょう。この店の物たちが、貴女を応援してくれているのかもしれませんね」

ペルレは目を丸くすると、はにかんだように笑った。

「ありがとう」

ペルレは香を買って店を後にした。

店主はカウンターの中から、ペルレを見送る。去って行くその影が人魚の尾鰭を形作っているように見えて、小さく笑った。


その晩。

ペルレは、寝室で「人魚の見る夢」の香を焚いた。ゆっくりと揺蕩う煙から、懐かしい潮の香りがする。

(そういえば。この香が見せてくれる夢の主の人魚は、どんな人魚なのかしら……)

ベッドに入り、そんなことを思う。

(自分のことしか考えていなかったけれど、夢の中でもし会えたら、)

それはとても楽しいことかもしれない。

「一緒に話したいわ……」

いつしかペルレは、眠りについていた。


夢の中で、ペルレはかつての姿に戻り、美しい人魚と出会った。彼女たちは碧い海の中で語らい、遊んだ。どこまでも碧い世界。美しい海と生き物たち。光の届かぬ闇の地形。白い波。遠くに見える人間の船。瓶に詰めた宛なきラブレター。

(これは、この人魚の見ている夢なのかしら。とても楽しい)

時を忘れて過ごし、夕暮れの岩場。

その人魚が、いかに海を愛し、同時に陸を嫌いになれず憧れもあると話しているのを聞いた。

同時に、ペルレは思い出す。

(ああ……そうだったわ……私も人間の街を、自分の足で歩いてみたいと思っていた。靴が欲しかった。履いてみたかったの)

ペルレが人魚だった頃、どんな夢を見ていたのか。鮮やかに蘇った。

いつかは陸を旅してみたい。でも海が見える場所に居たい。夢物語のような希望を、誰にも打ち明けず、祈るように夜に見る夢へ託していたのだ。

(思い出したわ……全て)

真珠のような涙が、ペルレの両目から溢れる。人魚がそれを掬ってやりながら、にこにこと笑みを浮かべていた。

「大丈夫よ、ペルレ。大丈夫」

夜になり、満天の星空が海の上に広がる。

もう直ぐ夢は終わるだろう。

泣き止んだペルレは、美しい人魚に笑いかける。

「ありがとう」

「良い夢を。ペルレ。もう忘れないわ」

岩場で潮風に髪をそよがせなから、美しい人魚が詠うように言う。

「そうね。忘れないわ」

大切な自分の一部を取り戻せた気がして、ペルレの胸は暖かくなる。一瞬目を閉じて、もう離さないと誓う。

後は、夢が終わるまで、ペルレは星明りだけの暗い海を眺め続けた。




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