第6話 「高級なロールケーキって高級な味がする」

 神奈月さんが何か物を取りに隣へ戻るということで、部屋には俺と浅井さんだけが残された。

 気まずい。


「あ、あの」


 沈黙に耐えられない俺は、何とか会話を引き出そうとする。


「浅井さんって、神奈月さんのことお嬢様って呼んでましたよね? どういうご関係なんですか?」

「私は楓怜お嬢様の身辺のお世話を仕事としております。いえ、しておりました。お嬢様がひとり暮らしをなさるということで、私の仕事は終了です」

「失業ですか?」

「とんでもございません。ご主人様より、すでに新たな仕事を頂いておりますので」


 平たく言えばメイドってことだろう。

 かっこクール系のメイド。

 さすがにメイド服なんてものは着てないだろうけど、着たら着たで画になりそうだ。


「ちなみに、お嬢様が高揚するあまりお伝えし忘れた重要事項を今のうちにお伝えしておきます」

「は、はい」


 浅井さんの真剣な雰囲気、声色に、俺は思わず姿勢を正す。


「この先、平坂さんがこのアパートに住まれる間は、家賃をお支払いいただく必要はありません」

「え? 家賃がいらない?」

「その通りです。ご主人様からは、娘がいろいろと世話になるだろうからその迷惑料だと思ってくれればいいと託っております」

「何かコロッケパンひとつから、とんでもない責任を押し付けられてる気がするんですが?」

「もちろん、平坂さんが拒否なさるのであれば、今すぐにでもお嬢様を退却させますが」


 頭の中に、積み荷と共にトラックに積まれ、ドナドナ運ばれていく二頭身のミニ神奈月さんが浮かぶ。

 余りに飛躍しすぎた妄想はさておき、現状の俺に断る理由などない。


 要はご主人様、つまり神奈月さんのお父さんの言いたいことはこうだろ?

 アパートは取り壊さない。家賃も無料にする。

 その代わりに、娘が自立できる生活力を身に付けられるよう助けてやってくれ。

 お安い御用だ。


「分かりました。俺としては全く迷惑なんてことないので、神奈月さんをドナドナするのはやめてあげてください」

「ドナドナ……?」

「あ、なんでもないです」


 浅井さんが眉をひそめたところで、玄関がガチャリと開く。

 そして何やらお洒落な文字のあしらわれたケーキ箱を抱えて、神奈月さんが入ってくる。


「ロールケーキ、一緒に食べよ?」

「わざわざありがとう。皿とフォーク、今出すわ」


 俺が立ち上がると、浅井さんも同時にその場を立つ。

 そして一礼して言った。


「それでは、私はここで失礼いたします」

「あれ? ケーキ食べて行かないの?」

「申し訳ありません。別件で処理しなければいけない仕事の時間ですので。それではお嬢様、どうぞお気を付けてお暮しください」

「残念だなぁ。かおちゃんも気を付けて帰ってね」


 かおちゃん。

 薫のかおでかおちゃんか。

 思いのほかかわいい呼び方されてるんだな。


「それでは平坂さん、そういうことでよろしくお願いします」

「はい。まあ、たまにでも遊びに来てください」

「……考えておきます」


 最後に改めてお辞儀すると、浅井さんは凛とした所作で部屋を後にした。

 今度は神奈月さんと2人きり。

 がぜん、急展開に緊張してくる。

 平静を装いつつ、俺はキッチンに立った。

 そのすぐ横に、神奈月さんも並んで立つ。


「何かお手伝いする?」

「いやいや、座ってていいよ」

「むー。何かしたい」

「えー。そうだな……」


 ここで無理に座らせてコーヒーとケーキを提供したら、今度はどんな恩返しがやってくるか分からない。

 ここは何かしてもらった方が賢明だと、俺は判断した。


「そしたらケーキを切り分けてもらえる? それでこの皿にお願い。俺はコーヒー淹れ直すから。それとも紅茶の方がいい?」

「ケーキ担当ね! うーん、そしたら私は紅茶がいい」

「オッケー」


 電気ケトルにお湯を入れ、スイッチを押す。

 そしてキッチンの棚から、黄色い缶に入ったティーバッグを2つ取り出し、マグカップに入れた。

 神奈月さんはといえば、ケーキ箱を開いて包丁を握り締め思いっきり振り上げ……


「ストップ!!!」

「え?」

「えじゃねーわ!」


 神奈月さんは首を傾げて、どうしたのという顔をしている。

 え? 何かのボケだと思ってツッコんだけど、本人は至って真面目だったパターンか?


「一応確認しておく。ロールケーキに限らず、包丁で何かを切った経験は?」

「お恥ずかしながら……」

「ないのかよ……」

「だってだって、ケーキは全部かおちゃんが切って出してくれてたし」


 生活力を身に付けたいということだったが、まさか初期値がケーキ箱ごとロールケーキぶった切りレベルだったとは。

 家賃無料、あながち間違っていないかもしれない。

 かといって、危ないから包丁を握らせないじゃ意味ないんだよな。

 ちゃんと教えてあげないと。ひとり暮らしパートナーとして。


「いいか? まずはロールケーキをそこのまな板に載せる。一番手前のやつな」

「まな板……そっかそっか。そうだよね。この奥のまな板は何なの?」

「それは魚とか肉とか切る用だ。載せたら、スポンジのふわふわを壊さない程度の力で抑える」

「こう?」

「もうちょっと強くていい」

「こう?」

「もうちょい」

「こう?」

「うーん……」


 俺は横から手を出し、神奈月さんの左手に軽く乗せる。


「こんぐらい」

「こん……ぐらい……」


 神奈月さんの顔が赤い。

 ここまで来て、俺はようやく我に返る。

 怒涛の一日過ぎて、ちょっと錯乱していたようだ。

 神奈月さんの手に自分の手を添えるとか、通常時なら絶対にやらないことだ。

 向こうが怒ったり嫌がったりはしていないようなので、よかったけど。


「包丁を持って」

「うん」

「そんなに強く握り締めなくて大丈夫。もっと力を抜いて。そしたら適度な厚さのところで、すっと刃を降ろす」

「すっ……」


 効果音を口に出しながら、神奈月さんがケーキを切り分ける。

 断面が荒れることもなく、きれいに切ることができた。

 上出来上出来。ケーキが切れて偉いなんぞ、普通は高校生に言うことじゃないけどな。


「できた!」


 されど彼女にとっては大きな初めの一歩。

 心の底から嬉しそうに笑っている。

 かわいい。


「じゃあもう一切れ、その要領で切ってくれ」

「よーし、分かった!」


 彼女の右手にぐっと力が入る。


「力入れ過ぎるなよ」


 そう言うと、俺はちょうど湧いたお湯をマグカップに注ぐのだった。




 ※ ※ ※ ※




「「いただきます!」」


 神奈月さんが切ったケーキと、俺が淹れた紅茶。

 少し遅めのティータイムが始まる。


「ここのケーキ、すっごく美味しいんだよ! 食べてみて」

「何か、箱からして高そうだったもんな。いただきます」


 フォークを入れると、ふわっしとっというスポンジの感触が伝わってくる。

 一口。


「うまっ……」


 思わず声が出てしまった。

 高級なロールケーキって高級な味がするんだな。

 そんなしょうもない感想を抱く。

 少なくとも、俺にはこの味を表現する語彙が不足していた。


「美味しいでしょ~。スポンジがふわふわすぎず、固すぎずで生クリームとの相性がちょうどいいんだよね。しかも生クリームも柔らかすぎないから、一体となって口に入ってくるの。甘さも過剰じゃないし、ちょっと大人のロールケーキって感じでしょ?」


 コロッケパンの時も思ったが、神奈月さんの食レポ能力はすごい。

 さっきまで包丁を振り上げていた人と同一とは思えないほど、落ち着いた雰囲気でお茶とお菓子を味わっている。

 かわいい。

 というより美しい。

 しかしおよそ2時間後。


「むー! だって!」

「さすがにダメだわ。見てて」


 卵の割り方を知らなかった彼女は、キッチンで子供のように膨れるのだった。

 激動の一日はフィナーレへ。

 晩餐へと続いていく。

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