第8話 邂逅


 12月14日。任務から一夜明けた翌日正午。


 リーチェはマンハッタン内にある雑貨店にいた。

 

 服装はいつも通り、黒のロングコートと黒のニット帽。


 店内には渋いジャズの音色が響き、他のお客の姿は見えない。


「いらっしゃい。またいつものかい」


 すると、カウンターにいる年老いた白髪の店員が、語りかけてくる。

 

 黒縁の丸い眼鏡をかけ、目元にある笑い皺が、優しげな雰囲気を醸している。


「――うん。それと、今日はこれも」


 リーチェは、手際よく商品を手にしながら、返事をする。


 カウンターにはトマトジュースが入った瓶二つと、新聞が置かれていた。


「今朝の朝刊か、珍しいね」


「お父さんが買ってこいって、うるさくて」


 黒の財布から百ドル札を差し出し、子供っぽく語る。


 子供のおつかい。という体で、何度も足を運んでいる。

 

 今や常連扱い。ただ、いつ訪れても閑古鳥が鳴いている。


 店員は優しいし、もっと繁盛してもいいと思うんだけどな。


「まいどあり。いつもありがとうね。……お釣りは?」


「いらない。お釣りはチップだから好きに使っていいってさ」


「そうかい。いつも貰ってばかりで悪いね。――これおまけしとくよ」


 店員は紙袋に商品を詰め、近くにある棒付きキャンディを数本入れる。


 余計なお世話だった。見た目は子供でも、中身はとっくに子供じゃない。


「――ありがと」


 だけど、もらえるものはもらっておく。


 短く礼を言い、踵を返して店をあとにした。


 無意識のうちに、口角をほんのりと上げたまま。


 ◇◇◇


 地下鉄に乗り、たどり着いたのは、マンハッタンの隣町ブルックリン。

 

 怪しげな露店やコンテナがひしめき合い、昼間なのにどこか薄暗く感じる。

 

 そこは麻薬、密輸品、違法武器などが販売される、ブラックマーケットだった。


『しっかし、治安悪そうな場所だねぇ、ここは』


 ニット帽の中にいるフェンリルは、唐突に話を切り出す。


 そろそろ、大人しくしているのにも飽きたのかもしれない。

 

「逆よ。マフィアにみかじめ料を払う代わりに、治安は担保されてる」


 紙袋を手に持ち、キャンディを舐めながら、リーチェは答える。


 もちろん小声だった。ここでは極力、目立たないようにしたいから。


『治安も金で買う時代ってか。世知辛いねぇ』


 適当な雑談をしつつ、出来るだけ慎重に歩みを進めていく。


 すると、白スーツの集団が見え、露店の店主を取り囲んでいた。


「あぁ、払えない? 同じことを言ったお隣がどうなったか、知ってるか?」


 その集団の一人。首に髑髏の刺青がある茶髪の男が店主に詰め寄る。


 明らかにトラブってる。あのでかい態度と刺青。どう見てもマフィアね。


『……みかじめ、か。あれは助けてやんねぇのか?』


「助けるわけないでしょ。私は正義の味方じゃないから」


 割り切ったリーチェは、歩みを進める。


 助かってほしい。とは思うけど、助けられない。


 ここで悪目立ちすれば、面倒なことにしかならないから。


「もう、こないでくれ!!」


 すると、店主は懐からナイフを取り出し、威嚇する。


 最悪の展開だった。マフィアに刃を向ければ、すなわち。


「……おいおいおい。そいつを抜いた意味、分かってんだろうな!」


 茶髪の男は、笑みを浮かべ、喧嘩が始まった。


 ナイフは空振り、その間に拳が何発も叩き込まれる。


 見るまでもなく、店主が劣勢。徐々に、追い込まれていく。


「くっそぉっ!!」


 逆境の中、店主はやけになったのか、持っていたナイフを投げた。


「――ッ!?」


 その行動は予期できなかったのか、ナイフは茶髪の男の頬をかすめる。


 ナイフの勢いは止まらず、不運にも真っすぐこちらの方へ飛んできていた。


(さりげなく避ければ何の問題もない。……けど)


 後ろを見ると、通りすがりの子供の姿を視認する。


 リーチェはナイフの腹を手刀で払い、軌道をそらす。


 ナイフは誰にも当たることなく、地面へ突き刺さった。


「んのっ、てめぇ――」


 そこからは一方的で、店主が動かなくなるまで殴られ続けていた。


(ごめんなさい……)


 一部始終を見届け、心の底から謝罪して、その場を立ち去ろうとする。


「……」


「……」


 そこで、ある男と目が合った。


 さっきのチンピラみたいな輩じゃない。


 取り巻きにいた白いタキシードを着る黒人の男。


 互いに無言で見つめ合う中、直感はあることを告げていた。


(この男、かなり危険……)


 がりっと、舐めていたキャンディをかみ砕き、そう考える。


 すると、視線に気付いた大男は、足音一つ立てず、近付いてくる。


 引き締まった肉体に、恵まれた身長。言うなれば、戦闘訓練を受けた熊。


「お怪我はありませんでしたか、お嬢さん」


 意外にも大男は、優しい声音で語りかけてくる。


 体格の差は歴然。ここで普通に対応すると不審に思われる。


 だから、怪しまれないように、自分の中にある見えないスイッチを押した。


「ひっ」


 見た目は少女。ここは怖がるのが自然。


 後は、無垢でひ弱な少女を演じ続ければいい。


 いくらマフィアと言えども、女、子供には甘いはず。

 

 もし、今ので演技だと見抜かれたなら、戦ってあげるまで。


「怖がらせてしまったようですね。何かお詫びをしなければ……」


 そう考えていると、大男は顎に手を当て、悩んでいる。


 すぐに、「そうだ」と手を叩き、落ちたナイフを手で拾う。


(まさか、見抜かれた……?)


 ナイフをわざわざ拾う必要なんてない。


 ここから切りかかってくることも考えられる。


 緊張感が高まり、体には自ずと力が入りそうになる。


 ただ、それはあくまで予想。ここで実力を見せるのは愚行。


 そう思考し、歯痒い思いで、相手の動きをギリギリまで見守った。


「こちらにありますは、種も仕掛けもないハンカチでございます」


 ただ、大男が始めたのは、手品めいたこと。


 懐から取り出したハンカチでナイフを覆っている。


(まだ安心はできない。ここからなら、どうにでも……)


 一切、気を抜くことはなく、状況を見守る。


 襲ってくるなら、この後。それ以外、考えられない。


「これをこうすると……あら、不思議。御覧の通り、お花になりました」


 だけど、大男は最後まで手品をやり通していく。


 ナイフだったものは、一輪の赤い薔薇に変わっていた。


(ハンカチの中に薔薇を仕込み、ナイフはハンカチと共に回収ね……)


 子供騙しな手品を分析するも、口に出すわけにはいかない。


「えっ、お花……? すごいっ!」


 ぱぁっと目を輝かせて、少女の演技を続ける。


 考えすぎだったみたい。きっと、昨日の仕事の影響ね。


 警戒するに越したことはないけど、オンオフは切り替えないと。


「満足いただけたようで何より。では、また……」


 そう考えていると、大男は颯爽と去っていく。


 これでようやく、面倒な状況を乗り切ったことになる。


(あの顔、どこかで……)


 ただ、頭の片隅で引っかかる。


 見覚えがあったような感じの顔だった。


『あいつ、タダもんじゃねぇな……』


 そこで傍観していたフェンリルが、口を挟んでくる。


 聖遺物レリックとはいえ、さっきの男の力量をある程度察したみたい。


「そうね。二度と会わないことを願うばかりよ」


 余計なことを口走った自覚を持ちながら、リーチェは歩みを進めていった。

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