ブラックスワン

木山碧人

アバンタイトル 白銀ソナタ/忘却の彼方


 12月25日。イタリアのとある島に建つ、白い教会。

 

 教会内のステンドグラスからは、木漏れ日が差し込む。

 

 光に照らされるのは、白いワンピースを着た、銀髪の少女。


 少女は白塗りの像に向かい、両手を組み、黄金色の瞳を閉じた。


「……島の皆が、幸せになりますように」

 

 祈りながら、心の底から思った願いを口にする。


 叶うかなんて分からない。でも、実現して欲しかった。


 そんな時、教会の重い扉が、ガーッと開く音が聞こえてくる。


「ビーチェ、こんなところにいたのか。探したんだぞ」

 

 そのすぐ後に、低くて野太い声が教会に響く。大好きなお父さんの声だった。

 

 尖った耳をぴくんと動かし、銀髪の少女――ビーチェは声のする方へ振り返る。


「あ、お父さん!」


 今日もぼやけてよく見えなかった。いつも通り、目が悪いからだ。


 でも、いつも手で触って、耳で聞いてきたから見えなくても分かった。


 白い修道服を着た、細い目と長い耳が特徴的なお父さんがそこにいるって。


「いっぱい隣人さんにお恵みを頂いたから、そろそろお昼ご飯にしよう」


 お父さんは、きっと手に大きく膨らんだ布袋を持っている。


 中には島で採れた、果物や野菜が、いっぱい入っているはずだ。


「うん、いまいく!」


 こうなったら、いてもたってもいられない。


 ビーチェは元気よく返事をして、勢いよく駆けた。


「……わわっ」


 だけど、何かにつまずいて、勢い余って転んでしまいそうになる。


「――っ!」


 袋が傾き、赤く丸い物体が地面で弾け、赤い染みが広がる。


 お父さんは、持ってた布袋を手放して、受け止めてくれていた。


 そのおかげか、体はどこも痛くない。むしろ、ちょっと楽しかった。


「あ、ありがとう。お父さん」


 ただ、袋の中にあった物が全部駄目になっちゃったかもしれない。


 なんだかしゅんとした気持ちになりながらも、感謝の気持ちを伝えていった。


「怪我は……どこか怪我はなかったか!」


 でも、気にしすぎだったみたい。

  

 お父さんは体をベタベタと触ってくる。


 それだけ心配してくれているのかもしれない。


「う、うん。……でも、くっふふ、くすぐったいよぉ」


 それが、なんだか照れ臭くなって、嫌がってしまう。


「ああ、ごめんな」


 すると、お父さんは気まずそうに、ぱっと離れていく。


 そのせいか、空気がどんよりしちゃったような気がした。


 なんでだろう。お恵みものを落としちゃったせいなのかな。


「……これって、リンゴ?」


 よく分からないどんよりは、少しだけ嫌だった。


 だから、床に転がった、赤い物体を見て、尋ねる。


 話題を変えて、少しでも、空気を明るくするためだ。


「いいや、これはトマトだよ」


 一方、お父さんは少し悲しそうな声を出して、答えた。


 逆効果、だったのかな。だとしても、もうちょっと頑張ってみよう。


「えー、トマト嫌いだから食べたくない。リンゴが良かった」


 子供らしい演技をして、明るくする作戦だった。


 でも、実は本心だったし、まだまだ子供なんだけどね。


「そうか。今日は、いい子のビーチェにプレゼントがあったんだけどなぁ……」


 ただ、そのおかげか、少しだけどんよりした空気がよくなる気配がした。


 というより、プレゼントという言葉に、胸がワクワクしたからかもしれない。


「えっ? あったってどういうこと」


 ただ、気になるのは、お父さんの言い方だった。


 まるで、いい子にしてないとくれないみたいに聞こえる。


「好き嫌いで食べ物を粗末にする悪い子には、プレゼントは渡せないなぁ……」


 最悪だった。悪い予想が当たっちゃった形だ。


 正直、トマトは食べたくないけどプレゼントは欲しい。


 色々と考えたけど、どれだけ考えても答えは一個しかなかった。


「……食べる」


 弱々しい声で、思ったことを口に出す。


 なんとか言えた。嫌だったけど、伝わったはず。


「何だい? もう一度言ってごらん」


 それなのに、お父さんは、意地悪してるのか、聞き返してきた。


 鬼。悪魔。人でなし。って言いかけたけど、ここは我慢しないといけない。


「……トマト食べる!」


 全ては、プレゼントをゲットするため。


 本当は嫌だったけど、心を鬼にして言い放った。


「そうか、いい子だ」


 すると、お父さんは、頭を優しく撫でてくれる。


 それだけで、嫌なことがぜーんぶ、ふっとんだ。


 だから大好きなんだ。こんなお父さんのことが。


 ◇◇◇


 家に帰った後の、昼下がりの食卓。


 広くないリビングに白いテーブルがある。


 そこには、赤く汚れた皿が二枚ほど並んでいた。


 向かいには当然、お父さんが木彫りの椅子に座っている。


「十二歳の誕生日おめでとう、ビーチェ!」

 

 お父さんはそう言って、テーブルに黒い物体を置いた。


 言われた通り、我慢して嫌いなトマトを食べたおかげだ。


「やった!! これ、開けてもいい?」


 輪郭と色を頼りに、黒い物体を手で手繰り寄せる。


 慎重に触っていくと、小さな箱っぽい何かだって分かった。


 手触りからして、鍵は特にかかってなくて、簡単に開けられそうだった。


「ああ、もちろんいいぞ」


 お父さんは許可が出て、早速、箱を開けた。


 中を探っていくと、手に冷たい何かがあたる。


 それをつまんで、中から一気に取り出してみる。


「これ……何?」


 手で触って、目で見て確かめる。


 それは小さな金色の窓みたいだった。


 金色の窓枠に、ガラスを挟んだような物。


 ただ、こんなの、今まで見たことがなかった。


「それはね、眼鏡って言って、鼻の上にかけるものなんだ」


 お父さんは、反応を予想していたように優しく言った。


 入念に触ってみると、ガラスの間には出っ張りがあった。


 もしかしたら、これを鼻の上に引っ掛かけるのかもしれない。


「めがね……? なにそれ。かけたらどうなるの?」


 ただ、使い道がよく分からない。


 嬉しいより、疑問の方が勝っていた。


「そうだね……世界が、変わるよ」


 お父さんは、さらによく分からないことを言う。


(世界が変わる……? こんな小さなもので?)


 疑問は深まったけど、胸がドキドキした。


 これが、好奇心ってやつなのかもしれない。


「えっと、それって――」


 すぐに意味を尋ねようとした時。


 コンコンコンと、ノックをする音が響く。


「誰か来たみたいだ。壊れると困るから、戻ってくるまでいじっちゃ駄目だよ」


「はーい」


 そんなやり取りをした後、お父さんは、玄関へ向かっていった。


 まだ色々と聞きたいことがあったけど、戻ってからたっぷり聞けばいい。


「ちょっとだけならいいよね……」


 そう思ってたけど、手がめがねを放すことはなかった。


 我慢できなかった。かけたらどうなるか試してみたかった。


 ガラスに瞳が吸い込まれるように、持っていた物を鼻へかけた。


「――えっ」


 本当に世界が、変わった。頭の中で想像していた物が、はっきり見える。


 目に映るもの全てが、お星さまのように、きらきらと輝いているようだった。


「魔法、みたい……」


 素直にそう思った。そうとしか、考えられなかった。


 だけど、目の前は、だんだんぼやけて、元の見えない時に戻っていく。


「……あれ、おかしいな」


 急に不安になった。壊したのかもしれないと思ったら怖くなった。


 とっさに、目を軽くこすってみた。すると、世界は少しだけ元に戻った。


「ははっ、そっか、泣いたら、前とおんなじなんだ」


 初めての経験だった。涙で前が見えなくなるなんて、知らなかった。


「そうだ、お父さんに早く、ありがとうって、言わないと」


 そんな思いに背中を押されて、玄関に向かった。


「いいから、帰ってくれ!」


 その時、お父さんの怒った声が聞こえた。


 何かあったのかもしれない。胸が不安な気持ちになった。


 そんな気持ちのまま、玄関に着く。そこには、二人の人が立っていた。


「え……おとう、さん?」


 初めて見えた人の姿だった。でも、何か様子がおかしい。


 長耳で金髪の男の人が、白銀の鎧の人に頭を手でつかまれている。


 特徴的な長い耳。後ろからだったけど分かった。あれがお父さんだって。


 でも、信じたくなかった。頭を掴まれてる人とお父さんが、おんなじ人なんて。


「や、やめろ。やめてくれっ!!」


 だけど、その声は、間違いなくお父さんの声だった。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……どうしようっ!)


 頭の中がぐちゃぐちゃになった。


 助ける。倒す。逃げる。戦う。説得する。


 色んな考えが浮かぶけど、選んでる時間なんてない。

 

 ただ、頭がぐちゃぐちゃなまま、必死になって体を動かそうとした。


(なんで、動かないの……。なんで、なんでっ!!)


 でも、何もできない。体は震えるだけで、ぴくりとも動かない。


 できたのは、その場にぺたんと座り込んで、ただ見ていることだった。


「――」


 すると、白銀の鎧の右手が、白く発光していく。


 右手にはお父さんの頭。なんだか、嫌な予感がした。


(お父さんを助けて……お願い、神様……)


 だから、目を閉じて祈った。祈り続ければ、願いが届くと信じて。


「やめ――ッ――――――」


 耳が気持ち悪くなるような音が鳴って、生暖かい何かが太ももに触れた。


(きっと、お父さんが悪いやつをやっつけたんだ。そうに決まってる)


 ビーチェは、そう自分に言い聞かせ、目を開く。


「……………………………………………………え?」


 目に映ってくるのは、赤い肉と、白い歯と、金色の髪。


 生まれて初めて見たお父さんの顔は、血と肉と骨の塊だった。


 それが意味することは、子供ながらに分かる。そこまで馬鹿じゃない。


 ――お父さんは、目の前で殺されたんだ。


「いやぁぁあああぁぁぁぁああああぁぁぁぁあああああああっ!!!!」


 叫んでも意味がないって分かってる。


 でも、叫ばないと正気でいられなかった。


 頭がどうにかなりそうだった。だから、叫んだ。


「いかないで、お父さん……。一人に、しないでよ……」


 散らばった欠片を必死でかき集めた。意味ないって分かってた。


 でも、やめなかった。他に何をしたらいいか、分からなかったから。


「――」


 すると、金属がこすれるような音が聞こえる。


 白銀の鎧が、背中を向けて、去っていく音だった。


 でも、玄関の外で止まって、なぜか両手をぐっと上げた。


(何を、してるの……)


 視線は自然と、白銀の鎧に向く。


 気にしてる場合じゃないのに、気になった。


 もっとひどいことをするんじゃないかって気が気じゃなかった。


(え……?)


 すると、とんでもないことが目の前で起こった。


 悪い予感は当たってしまった。あり得ない光景だった。


「落ち、てる……。お星、さま、が……………?」


 目を疑った。お星さまが降ってきた。島中に落ちてきた。


 そして、叫び声、叫び声、叫び声、叫び声、叫び声、叫び声。


 ――幸せを願った島の人たちが、一人残らず不幸せになっていった。


「あ……あぁ……なんで……どうして、こんな、ひどいこと、するの……」


 嫌な音が聞こえなくなった後、心にぽっかり穴が空いたまま、聞いた。


 分からなかったから。生き残ってしまったから。理由を知りたかったから。


「――――」


 でも、答えてくれなかった。


 白銀の鎧は、ゆっくり近付いてくる。


 最後の生き残りにとどめを刺すつもりなんだ。


「お前が、お父さんを……島のみんなを……殺した……」


 心の真ん中には、見えない真っ黒が広がっていく。


 何もかもが、どうでも良くなった。あるのは、目の前の一つだけ。


「――殺して、やる。お前だけは、殺してやるっ!! この手で、必ずっ!!!」


 復讐。ただ、それだけが、世界の全てになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る