とるにたらない売女のメモ

富永夏海

とるにたらない売女のメモ

 場面 1-a


 ここにひとりの売女ばいたがいるとする。これを売女Aとする。

 突如、売女Bが地平線の向こうからやってくるとする。そして画面中央に屹立している売女Aにぶつかり、そのまま通り過ぎていくとする。

 売女Aが売女Bの背に向かって抗議するとする。「ちょっとあんたいまぶつかったわよ」

 しかし売女Bは末期の健忘症だったとする。「え?」

「えじゃないわよ。いまここんとこぶつかったって言ってんのよ」

「え?」

「あんたふざけてんじゃないの」売女Aは売女Bの肩を揺さぶる。売女Bは驚愕の表情を浮かべ、何がなんだかわからない。

「ちょっと、なんとか言ったらどうなのよ」

「あ」

「あじゃない。いま肩んとこぶつかったって言ってんのよ」

「すいませんでした」

「すいませんでしたで済むと思ってんのか?」

「え?」

「済むと思ってんのかって訊いてんだよ、この売女!」

「すいませんでした。あなた誰ですか?」

「いまおまえに肩つっぱねられた女だよ。このあばずれ!」

「あばずれ」

「そう、それはお前のこと!」

「あっ! あなた誰ですか?」

「だから、いまお前に肩つっぱねられた女だって言ってんだよ!」

「はっ! あなた誰ですか?」

「おまえに肩つっぱねられた女だよ。ふざけんな!」

「ああっ! あなた誰ですか?」

 このようなやりとりが小一時間続き、とうとう売女Aは手にしていた出刃包丁で売女Bを刺してしまう。カーテンを引き裂くような叫びが空間いっぱいに響き渡る。ちくしょう、ちくしょうと喚きながら売女Aは出刃包丁を風呂敷に包み、売女Bをずるずると引きずって地平線を越えていく。そこで売女Cに出会う。



1-b



 ここにひとりも売女がいないこととする。(幕)


1-c


 ここにひとりの売女がいるとする。これを売女Bとする。

 突如、売女Bが地平線の向こうからやってくるとする。そして画面中央に屹立している売女Bにぶつかりたいところであるが、ふたりは同一の存在なのでぶつかることができないし、そもそも同画面上にふたりが同時に存在することも不可能。(幕)



場面 2



 売女Bをずるずる引きずり、売女Aは地平線のかなたまでやってくる。これまでとべつだん変わらない真っ白な大地である。そもそもこれを大地と言っていいものか売女Aは悩みもした。そんな泥臭いものであるよりは、きれいな罫でも引かれていたほうが似合いそうである。売女Aは腰を下ろして汗を拭い、その手がぬるりとするので眼前にかざし、血にまみれているのを知る。売女Bときたら、引きずってくる間にあちこち引っかかったり折れたりし、風呂敷の上からうかがうに、首がありえない方向にねじ曲がっているらしかった。ちくしょうと売女Aはひとり毒づいて、てらてら光る出刃包丁を売女Bの衣服で拭う。そうこうしている間に、ずっと向こうから売女Cがやってきて、ふと足を止める。その冷ややかな眼は、額に血の帯走る売女Aに落とされる。

「これより先は売女の国」

 と売女C。

「真の売女のみ存在を許される場所。そなたは売女であるか否か?」

「売女さ」

 と売女Aは吐き捨てる。

「あんたの眼はふし穴かい? あたしゃ生まれた時からあのむさくるしい野郎どもの相手をしてきたんだよ。当然さ。筋金入りさ」

「では、右手にもっているものは何か」

「出刃包丁だよ。売女が出刃包丁をもってて悪いかい」

「では、左手にもっているものは何か」

「こちらもあばずれさ。筋金入りのね。おっ死んじまっちゃいるが、売女であることに変わりはない」

 売女Cはすこし考えた。

「しかし死んでいては、売女としてやっていけぬだろう」

「はん、おもしろいことを言いやがる。じゃああんたは、この世にマグロは存在しちゃいけないと論じるかい」

 売女Cはしばし黙り込み、あやしげな風呂敷包みに眼をやるとおもむろにめくった。虚空に開かれた瞳は悲しげで、焦点を結ぶことはなかった。

「あいにくだが」

 売女Cはこらえきれずにそう言った。「人殺しを入国させることはできない」

「なぜ」

「危険であるからだ。皆そなたを怖がるだろう」

「だから何だってんだい。あたしは売女さ」

「そうかもしれない。しかし人殺しでもある」

「あんたのうすのろな論理には辟易さ。人を殺したってだけで、売女じゃないってことになるのかい?」

「むろんそんなことはない。売女でありながら人殺しであることはできる。しかし人殺しをここに入れることはできぬのだ」

 売女Cが決して退かぬ心づもりであることを知った売女Aは、石のようにかたまり、ついでおいおいと泣きだした。

「そんなのあんまりさ! この世はあたしにばっかり冷たくするじゃないか。殺したくて殺したんじゃなかった。こいつがあんまりにもばかなのが悪いのに」

「気の毒だが」

「あたしゃ真の売女だよ。だからこうして旅してきたんじゃないか。あたしを入れないというのなら、どこのどいつを入れるってんだい? あたしこそが真の売女、真のあばずれ、ろくでなしの女王だというのに」

 売女Cは答えなかった。それで、売女Aはおいおいと泣きながらべつの方向へ歩いていった。



 場面 3



 売女Cを引きずり、おいおいと泣きながら売女Aが国ざかいまでやってくると、小高い丘からひとりの首切り役人が自転車で駆けおりてくるのがみえた。売女Aはそれがたいへんしゃくに障ったので、わざと足を出してけつまづかせてやると、首切り役人は地面すれすれでみごとなとんぼ返りをしてこちらにくるりと向き直った。

「何をする」

「なんだい」

 売女Aは鼻水を涙をぐいと拭く。「あたしゃあばずれだよ」

「そのずた袋は何かね」

「これもあばずれさ。口なしのね」

 首切り役人はぶるりと震えた。「つかぬことをお尋ねするが、ここらへんでピザかラザニアを食えるところはあるだろうか」

 売女Aはラザニアがなんだかわからなかったが、ピザのことはよく知っていた。

「ピザ屋なら、あの杉林を抜けた沼の畔さ」

「ありがたい」

 首切り役人はぶるぶると震えながら、倒れた自転車を慎重に起こした。そしてまた口を開いた。

「その手にもっているものは何かね」

「出刃包丁さ」

「なぜそんなものをもっているんだ」

「売女が出刃包丁をもってちゃわるいのかい!」

 ひとりごちながら、売女Aはもうこりごりだという風に片手を振った。

「どいつもこいつも、出刃包丁出刃包丁って。あたしゃ食傷したよ。そんなにご入用なら呉れてやる」

「ありがたい」

 首切り役人は出刃包丁を受け取り、自転車の籠に入れた。そしてまだ何か言いたげにもじもじしているので、こんどは売女Aが助け舟を出した。

「まだ何か言うことがあるようだね」

「いや」

「じゃあなんだってそんなにもじもじしてるんだい」

「ひどく寒いんだ」

「そんならあんたはじきに死ぬんだろう」

「死ぬまえにひとつ訊きたいことがある。このへんに弁当を食えるところはないだろうか」

 売女Aは弁当についてはよく知っていた。

「弁当屋ならあるよ。あすこにみえる尾根をくだったところにね」

「ありがたい」

 首切り役人は自転車に乗りかけて、また口を開いた。「ちなみにその弁当屋の名まえはなんというか知っているだろうか」

「知らない」

「どうしても思い出せないか」

「知らない」

「頭文字だけでも」

「知らないよ」

「そうか」

 首切り役人は会釈すると、自転車に乗って厭な音を立てながら走り去った。(幕)

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