第4話:困った時は
週末を迎え、朝からバスに乗った。
学校へ行くより、ほんの少し遅い時間。郊外へ向かう車内に、お客さんは四人だけ。
一日に四本。午後七時前が最終のこの路線へお世話になるのは、およそ月に一度。
三、四階建てのビルと一戸建てが入り交じる住宅地から、十分も走らないうちに景色が変わった。
道路際に建つ家と、次に建つ家の間に数百メートルの距離が空く。古そうないかにも農家という家があれば、建て替えてさほどの最近の家も。
さらに十分ほども進むと、錆びた防球ネットに囲われた小さな学校を過ぎる。それが入り口の格好で、数十軒が寄り集まったささやかな街に辿り着いた。
「ありがとうございました」
「どうもね」
運賃箱へ小銭を放り込み、運転手さんにお礼を言って降りる。
センターラインのない道を「まだまだ先は長い」と、古そうなエンジン音が昂って走り去った。
十年前まで、この集落に祖父母の家があった。いや家屋はまだあるのだけど、住む人が居ない。
まだ若いのにと言われながら、先を争うように亡くなったおじいちゃんとおばあちゃん。
正直、遊んでもらったり話した記憶はあまりなかった。
そんな私が足を向けるのは、集落の真ん中を突き抜けた先。アスファルトの道路が小高い丘へぶつかり、コンクリート舗装の参道に変わる。
刈られたススキの原を貫き、さらに進む。するとやがて、グレーの鳥居が。
私が両手を回してようやくの太い柱を持つ、大きなものだ。しかし
なんだかありがたみに欠けるような気もしつつ、目的地に着いた私は小走りに駆けた。
「兄ちゃん!」
鳥居のすぐ手前。台座代わりの大岩に、お稲荷さんが左右へ二体。
その岩へもたれる、すらと背の高い男の人がこちらへ顔を向けた。
「また来たのか。今度は誰を泣かした?」
「誰も泣かしたことなんてないよ」
「毎回泣いてる。俺が」
白いズボン。真っ赤なシャツ。焼きすぎたクッキー色のツンツン髪。
ぞんざいと温かいの間から聞こえる声が頭の上に注ぐ。
「えっ、私が来ると迷惑なの?」
「嬉し泣きだって」
「嘘くさい」
名前を
それでも良かった。困った時、三倉の兄ちゃん頼みが私のとっておきだ。初めて会った時から、かなり頻繁に使うとっておきだけど。
「今さらだけど気づいちゃったんだよ。私、冷たい人間だなって。でも誰も良くないって言わないのに、急に私だけ『おかしい』って言うのもどうだろうって」
話すうち、兄ちゃんは緩い登りの参道を進み始める。半歩遅れて並び、私はそっと右手を差し出す。
すると兄ちゃんは、振り向きもせずに手を握ってくれる。
いつもあったかい手が、今日のように寒い日も私を温めてくれる。
胸の深いところまで。
「特別になりたいんだろ? そいつがかわいそうだって、やめようって言えばヒーローになれる」
「うん、分かる。でもそうしたら、私もかわいそうになるかも。それは怖いよ。普通で居るのが楽で、こんなこと聞いてるの。だから冷たい」
私の問いは拙い。自分に都合の悪いことをごまかす時もある。
だけど兄ちゃんは、なんだそれと聞き返すことがない。
「冷たいってことはないけどな。この神社でだって、毎年いくらも死ぬ奴は居る。でもいちいち、かわいそうとは思わない」
「死ぬ? 誰が?」
「草とか木とか。虫も死ぬし、狸なんかも」
殺人事件でもあったかと驚いた。相談しているのにからかわれたと思い、兄ちゃんの後ろ頭を睨む。
しかし待っても、いたずらっぽい兄ちゃんの眼はこちらを向かない。
「木とか狸とは——」
「違うか?」
低く丸みを帯びた言葉。それでも兄ちゃんでなければ、叱られたと感じただろう。
兄ちゃんは
「俺も詳しくは知らないけど、そこの林だって放ったらかしじゃみんな枯れるんだろ?」
「ああ、うん。余分な木は切ったりするって」
参道の彼方へ盛り上がるのは、ヒノキ林。
そうだ。かわいそうと思って関わるつもりがあれば、いくらでも手出しはできる。
だけどみんな、そうはしない。必要な手立てを知る人だけが、役目として行う。
「私もそれでいいのかな。押して助けたいのかって言われれば、そこまでって思うけど。でもやっぱり、どこか引っかかるような気持ちも残るよ」
手のひらくらいの大きな文字で、御倉神社と彫られた石柱。
話しながら行き過ぎれば、平らな境内に入る。手水の鉢に見向きもせず、いつも兄ちゃんは本殿の階段へ私を座らせた。
「そこのところは、ナオの気持ち次第だからなあ」
「そうだよね……」
「ああ、いや。助けたいかはナオの決めることじゃない」
階段の真ん中を陣取った兄ちゃんは、どこからか饅頭を取り出した。白くて柔らかい、酒蒸しの。
「誰が決めるの」
「そりゃあ、そいつ本人だろ」
「助けられたくないかも?」
「さあな。聞いてみたらどうだ」
言い終えると同時、兄ちゃんの饅頭がひと口で消える。これみよがしにもぐもぐとやって、私も食えと圧がすごい。
「いただきます」
手作り感のある真っ黒いあんこ。素朴な甘さが、頭の中を整理してくれるような錯覚がある。
「そうだね。勝手にしたら、迷惑かもしれないね。私、鷹守と話してみる」
「ああ、いいんじゃないか」
頷いて、兄ちゃんがペットボトルを差し出した。お茶のラベルだけど、中身は透明な水だ。
「また手水で汲んだの?」
本殿に隠れる位置へ、神主さんの住むためと思う家が建っている。意味ありげに眺めつつ、叱られないのか問う。
名前からして、兄ちゃんの家でもあるはず。でも入れてもらったことはない。
おいしい饅頭だったけど、水分を持っていかれた感はある。文句を言いつつ、ふた口飲んだ。
「そうだ、これ出しといてくれよ」
相談だけでなく、前回から今日までのあれこれを話した。毎度一時間くらいか、兄ちゃんは楽しそうに聞いてくれる。
その話も尽き、そろそろ帰る空気。兄ちゃんはまたどこからか、一通の封筒を取り出した。
「出すって、ポストに? 私当てになってるけど」
「たまには手紙もいいだろ?」
飾り気もなにもない、ただの茶封筒。表書きとしては極太の毛筆で、私の名前が記されていた。
地面に枝で書いた以外の字を初めて見たけど、書道のお手本より上手に見える。
「まあ、なにが書いてあるか届くまで面白そうだけど」
きちんと投函しろなどと念を押すことはしない。むしろそれで、言われた通りにしなきゃと思う。
すぐにも開封したい気持ちを抑えこみ、私は神社を後にした。
「また来るね」
「困った時はいつでも来いよ」
と、兄ちゃんが手を振ってくれる。
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