うちでバイトしませんか?

@UtsuseMiO

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少女は夜の街を駆けていた。

 そこは彼女の住む町の駅にほど近く、彼女は帰宅の途についているところだった。彼女は持てる力をすべて出した全速力で走っている。小一時間選んで買ったワンピースが入った紙袋は道に捨ててきた。

 彼女の背には黒い靄のようなものが迫っていた。それは彼女を追いまわすように、背後を滑ってついて行く。

 彼女は叫びたかったが、助けを呼んだところで誰かが来てくれるという望みも薄かった。動いている影は彼女と彼女の後ろの物体しかない。第一走り続けて息が上がっており、「助けて」などのちゃんとした言葉を発せる自信は皆無だった。

 彼女は前後も分からず逃げ続けたが、ついにたどり着いたのはビルの非常階段だった。右は壁。前と左は柵が付いているが飛び降りれば大きい道路に出ることが出来る。後ろは少女を狩る黒。それは確実に少女に向かって迫る。

 少女に選択肢はひとつしか残されていなかった。

 その夜、少女は空を飛んだ。





 御林(みはやし)凛子(りんこ)に声をかける者がいた。

「御林さん、ちょっと話いいですか」

1学期の最終日、どうせ明日からも夏季講習が続くというのに校内全体が浮足だっている。

全開の窓の向こうに覗く青と同様に、生徒の心も開放的である。

そんな空気を知ってか知らずかひょっこりと話しかけたのが天堂(てんどう)日向(ひゅうが)だった。

 学ランは常識的に着ているものの、黒色の長い前髪は右目をほとんど覆い隠している。そんな髪型が暗い印象を与え、今の学校の雰囲気から日向は逆光の写真のように浮いていた。

「どうしたの?」

きびきびとした歩みを止めて、凛子は振り返る。彼女の長い黒髪が翻った。

「学校じゃちょっとしづらい話だからファミレスとか行きませんか」

 当然「ちょっと……」と引き気味の凛子に、何としてでも来てほしい日向。

「お願いします!」「そこをどうにか!」

 こういう男、街で見たことあるな……日向は今までの人生でいちばん情けない気持ちになった。それでも簡単にここを退いてはならない。日向にはそれだけの理由があった。

 日向にとっては数時間に思えるほどの交渉の末、「なんだなんだ」と野次馬ができ始めたあたりで凛子はファミレスに行くことを了承した。

 それから2人は学校を出て少し離れたファミレスに向かった。道中会話はなく凛子は時々スマートフォンをいじっていたが、日向は圧倒的に低い立場なためスマホなどに逃げることもできず、重たい時間を享受していた。電車の走る音、車掌のアナウンス、他の乗客の喋り声。そのすべてが日向にはクリアに聞こえた。

「わざわざこんなところまで連れてきていったい何の話なの?」

お代は日向持ちのストロベリーパフェをつつきながら凛子は言ったが、言葉の奥にはいらだちが見え隠れしている。それも当然だろう。

 凛子は日向と同じクラスの女子生徒だ。容姿端麗、成績優秀、幼少期から道場に通っている居合道でも数々の大会で好成績を収めており全方向に優れている。校内でもかなりの者に名前を知られており一方的に好意を寄せてくる者がいて困ると凛子はのちに語っていた。だが、日向が本日凛子を呼び出したのはそのような理由ではない。

「バイトの紹介なんだけど、凛子さんにはうちの寺の仕事を手伝ってほしいんだけどどうかな」

絶対断られるだろうな、と思いながら日向は言った。

「お盆期間のお供え物の片づけとか?別にわざわざ私を名指ししなくてもいいわよね?」

「違うんだ。とりあえず話を聞いてほしい」凛子が特に反応を示さなかったため、日向は了承の意と受け取りそのまま続けた。「俺の家はお寺で普通の法事とかもやってるんだけど、実はお祓いで有名なんだ。周囲にあまり同業がいないから依頼もけっこう来る。ところがうちの親父はあまり除霊が得意じゃない。残念なことに俺もそれを受け継いでしまった」

「じゃあうちはお祓いはしません無理ですって素直に言えばいいじゃない」

コーラをちびちびと飲みながら凛子が言った。

「そうしたいところだが、うちの寺は貧乏だからせっかくの仕事を他所に回すなんてもったいないことはできないらしい」

親の面子の問題がさ……と日向は口ごもる。

 本当になんなんだよ。面子ごときで息子にこんなことをさせないでほしいと心の中で愚痴る。

「そう……でも私よりも適任な人は絶対いると思う。私霊感一切ないしね」

 角が立たないように断ろうとしている凛子を見て、日向はさらに心苦しくなった。

「しかしそうもいかないんだ」

 日向の家は平安時代から続いているえらく由緒正しい寺だが、日向の父は急にお祓いの能力を失ってしまった。前代未聞のことらしいが、その子である日向も能力を手にすることはできず、寺の機能が欠けてしまった状態なのである。先程は貧乏だからと凛子に言ったのにはそんな背景があった。実は時代が変わるにつれだんだんと祓う能力は低くなっていた、と父は主張していたがよくわからないものだ。

 日向の父親は除霊ができないことを公表できずにいて、依頼を先延ばしにしていた。しかしいい加減先送りもできない程に依頼が溜まっていたため、息子が夏休みで人手があるうちにやっつけてしまおうというわけである。

「私一般家庭の育ちだし本当に協力できることなんてないよ」

 凛子は困った顔をした。

「霊は俺が確認するから御林さんにはそれを斬ってほしい。一回攻撃すれば誰にでも見える形になるから」

「それ普通に私危ないわよね?」

「リスクは背負ってもらうことになる。その分一体討伐すれば3万円出すし、保険とかもちゃんと用意してるよ」

そう言って日向はカバンの中をごそごそと探してクリアファイルを差し出した。中には黒い文字が細々と書かれていて、名前や住所やを記入する枠も設けられていた。

「特にお金に困っているとかはないし、わざわざリスクのあることなんてやりたくないわ」

 凛子の家は有名な資産家だ。小遣いもそれ相応にもらっているだろうことは日向にも想像がついていた。

「御林さん居合やってるよね?一回ぶんって振れば終わるから。俺から給料をふんだくるような気持ちでいいから。御林さんしか頼める人いないんだ」

お願いします。日向は頭を下げる。

それでも自分の命がかかった仕事を引き受けさせられそうな凛子の怒りに対して日向の食い下がりは無意味だった。

「用心棒じゃないんだからやりません。そんなに強くないなら自分で倒せばいいじゃない」パフェごちそうさまでした。

そう言い残して凛子は速足でファミレスを出て行った。日向の席の窓から、駅の方へと凛子が歩いていく姿が見えた。

「どうしよう……」

クーラーでひんやりした机に突っ伏して、日向は呟いた。

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