彼女と彼女

 「できた……」


 僕の目の前のノートには4181までのフィボナッチ数が並んでいる。

 いや、果たしてこれはできたというべきか否か。

 この数列の性質からしてきっと無限に続くものなのだろう。


 「うんうん、かける君も成長したねぇ」

 「母親のような目で僕を見るな」


 そのうち「この子私が育てたんです」とか言い出しそうで怖い。


 「いやー、でも本当に成長したと思うよ? 昔の翔君なら〝それは必要なのか?〟とか言ってたね」

 「必要なことだけがするべきことな訳じゃないって教えてくれたからな」

 「えっ、それもしかして私に向かって言ってる!?」


 ……まあ、そうなるな。


 「めっずらしー、そんなに素直に言葉に出すなんて!」

 「時々はいいだろ……」

 「んふ、嬉しーなぁ」


 うふふふふ、と浜辺はまべの口からエンドレスで笑い声が流れ出る。

 素直な僕と同じくらい珍しいだろう――照れた顔の浜辺を拝めるのは。

 ……ややあって、笑い声が止んだ。


 「私の照れ顔の珍しさついでに正直に答えてほしいんだけど」


 自分の表情の珍しさを引き換えにするのか……。


 「……何か」


 先程とは打って変わって真剣な声色に、思わず慎重になってしまう。

 ここに来る前にあんなことがあったのなら尚更だ。

 

 「絶対に嘘つかないでよ?」

 「………………ああ」


 その間は何よ、と湿度を含んだジト目が僕を追い詰める。


 「わかったよ、正直に答える」

 「ならいいけど。――如月きさらぎさんと何かあった?」

 「はぁ!?」

 

 ――いや信じられるか!? こんなにすぐ核心を突いてこないだろ普通!


 「……前言撤回。やっぱり翔君は素直だねっ、顔が」

 「どーせ分かりやすい奴だよ」

 「じゃあ如月さんのことも素直に話してくれる?


 ……浜辺にはやっぱり敵わない。





 「やっぱり! 絶対好きだと思ったー。私の読みは当たってたでしょ?」

 「できれば当たらないでほしかったんだけどな……」

 「それよりちゃんと断ってくれたんでしょうね」

 「当たり前だ」


 本当にどうすればいいんだ……。

 

 「どう思う? あの子、諦めると思う?」

 「諦めないだろうな」


 ――あたしは諦めないから。


 そう言った彼女の表情は見なかった。

 真剣な表情だったのか、いたずらっぽく笑っていたのか。


 どちらでもよかった。――如月には悪いと思うが。


 「……なんか、如月さんって私と似たオーラを感じるんだよね」

 「急にどうした、厨二病か?」

 「違うよ、雰囲気っていうか……手法?」


 しかしすぐに、ああ、別にそんなに気にしなくていいよ、こっちのことだから、と首を振る。

 

 ……手法? 何のだ。


 「こっちのことってなんだ?」

 「いやだから気にしなくていいって!」

 「気にしなくていいって言われたら余計に気になるだろ!」

 「いやいや大丈夫だから――もう今日は終わりっ!」


 チッ、逃げられた。

 まあいいや、帰るか。





 「もぉ、翔君ってば変なところ鋭いよね……」


 唇を尖らせて、翔君のいなくなった正面の席にジトッと視線を送る。

 ……翔君に告白、かぁ。

 

 「物好きもいたものよね……」


 ……って、私も人のことは言えないか。


 でも実際、翔君は気遣いができる人だ。

 教室では (成績以外) 目立たないけれど、一度優しくされた女子がその魅力に気が付いてもおかしくはない。


 「……あーもうっ、悔しいなぁ」





 「……一緒に帰ろ?」

 

 放課後の靴箱前。

 僕は頭を抱えずにはいられなかった。


 「陽菜乃ひなののお願い、聞いてくれないの……?」

 「マジでやめてくれ……」


 さっさと帰ろうとした僕を目敏く見つけた如月に、腕にしがみつかれていたからだ。

 時間が早かったので周囲に人がいなかったことだけが不幸中の幸い。 


 「方向同じでしょ? ちょっとだけでいいのに……」


 口調こそ小動物モードだったが、表情は数日前に本性を現した時のものと同じ。

 僕が焦っているのを見て、ニヤニヤと笑みを浮かべている――……あー鬱陶しい!

 喋り方と表情がここまで違う態度を維持できるなんて、鬱陶しいを超えて感服すらしてしまう。


 「本気で離れてくれ、お前は大丈夫かもしれないが、こんなところを誰かに目撃されたら二股だなんだ、って噂されるのは僕なんだよ!」

 「じゃあもういっそのこと、二股かけちゃう? ってこれはこの間も言ったか――」

 「話を聞け!」

 「邪魔」


 素っ気ないが苛立ちの表れた言葉に目を上げれば、眉が眉間にグッと寄った――一言でいえばとても不機嫌な顔の、浜辺が仁王立ちしていた。


 「そこ、私の靴箱なんだけど」

 「あ……っ、ごめんなさい、今どきます……」


 浜辺が現れた途端、如月の表情はおどおどしたものに変わる。

 よく一瞬で表情を作れるもんだ。

 浜辺は上靴と外靴を取り換えると、如月にちらりと視線を送る。


 「もういろいろ探り合うのも面倒くさくなったから、正々堂々と三人で話し合わない?」

 「えと……。探る、とか言われるのはちょっと心外なんですけど、一度浜辺さんとは話してみたかったのでいいですよ……?」


 キャラを作ったまま答えられたのが気に障ったのか、浜辺の形のいい眉がぴくりと動く。


 「……いいわ。じゃあ誰も邪魔されないところに行きましょう」





 誰も邪魔されないところってどこだ、と思ったら、連れていかれたのは体育館裏だった。

 ……なんていうか、ベタだなぁ。


 浜辺は立ち止まると、くるりと如月に向き直った。


 「いいよ、如月さん。もう素を出しても」

 「あは、やっぱり浜辺さんにはバレてたぁ?」


 僕にとっては二回目だったが、相変わらず目と耳を疑うくらいの豹変ぶり。

 しかし浜辺はやっぱり、と言わんばかりに頷いた。


 「これは個人的な興味なんだけど、あなたの取り巻きの女子達は、その本性を知ってるの?」

 「取り巻きといってもほとんどは勝手についてきて尻尾振ってるだけよ。実際あたしが仲いいと思ってて本性も知ってるのは二、三人くらいかな」


 そう、と浜辺は短く言う。

 言葉はなくなったが、二人の間には火花が走っているような雰囲気が漂っている。


 右には彼女、左には告白してきた女子。

 ……はっきり言って気まずい。この状況、ものすごく気まずい。

 思わず座り込んでいた。


 帰りたい……。


 「私から如月さんにしたい要求は一つだけ。―――もう翔君に迫らないで」

 「いちおー聞こうかな。何で?」

 「私と付き合ってるから」


 如月はふうん、と意味深に微笑んだ。


 「それ、翔君にも言った? 意外と、あたしが翔君に迫るのが嫌なのは浜辺さんだけで、翔君はそう思ってないかもよ? 付き合ってるからってカレシのこと束縛するのは良くないと思うなぁ」


 今まで強気に出ていた浜辺が、目に見えて揺らいだ。


 「ほらほらぁ。聞いてないんだよね? 翔君」

 「……あ、ああ」

 「っでも! 靴箱であなたが腕に抱きついてた時、翔君嫌がってたでしょ!」

 「どーだろうねぇ、あたしには手応えあったように感じたんだけどなぁ」


 あれのどこに出ごたえを感じたのかわからないんだが……。

 如月は楽しんでただけだろ。


 「「翔君っ!」」

 「ひゃいっ」


 二人に同時に名前を呼ばれ、声が裏返ってしまう。


 「翔君、もう如月さんに絡まれるの、嫌だよね!?」

 「翔君っ、優しい翔君ならあたしが近づくことくらいは許してくれるよねー?」


 ……。

 疲弊……。


 「帰りたい……」

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数学クイーン 宵待草 @tukimisou_suzune

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