第542話 明日以降も楽しむために

 私達が屋根のない箱に乗り終わりほどなくすると、乗り物が稼働を始めてゆっくりと前進し始めた。

 出発し始めると、徐々に坂を上るようにして乗り物が高度を上げていく。

 上空から街並みを観賞するシーンを再現するならば、やはり高度を取らなくてはな。


 しかし、あまり高度を上げ過ぎるとこのエリアの先、即ち別の物語のエリアが見えてしまうのではないだろうか?

 上昇中にそんな疑念が頭をよぎったのだが、ある程度高度が上がったところでその疑念は霧散した。



 私の目に映ったのは、まさしく小説に描かれていた街並みだったのだ。それ以外の景色は、一切映っていない。

 本来ならば私の視界の先には、他の物語のエリアが点在する筈だというのに、何処まで行っても雲の上の街並みしか映っていないのだ。


 「これは…見事なものだね…!」

 「ホント、はしゃぎたくなってきちゃうわね!」


 リガロウやウチの子達もそれは変わらないようだ。私とルイーゼは連結された乗り物の最前列の箱に座っているのだが、後ろから皆の楽し気な気配が伝わってくる。


 しかし、一体どうやってこの光景を実現させているのだろうか?

 用意されたアトラクションをただ純粋に楽しめばいいと考える私がいる中で、この技術を解明したいと考えている私もいる。

 こういう時、知りたがりな自分の性根が少し恨めしいな。


 それと同時に、隣で純粋に楽しそうにしているルイーゼが羨ましい。

 彼女は現在自分が目にしている光景に疑問を抱かず、純粋に楽しんでいるのだ。

 どれほど楽しんでいるかと言えば、ほんの少しだけ彼女の顔がいつもより幼く見えてしまうほどだ。


 ある程度乗り物が前進を続けていると、乗り物が螺旋軌道を取り始めた。

 拘束具で椅子に体を固定したのはこのためだったか。体を固定していなければ、上空から地上に落下しているところだったな。


 思えばこのアトラクションが雲の上の街を見て回るシーンを再現しているのならば、この螺旋軌道は無くてはならない要素だった。


 主人公達を乗せて雲の上の街並みを見せてくれたのは、翼の生えた巨大な蛇だったのだ。

 少々イタズラ好きな性格をしていて、主人公達を驚かせるために空中遊覧を行っている最中にゆっくりと螺旋軌道を取り出したのだ。


 振り落とされるのかと思い慌てだす主人公達だったのだが、そこはイタズラだ。

 大蛇の魔力によって主人公達の体は大蛇とつなぎ止められていて落下することは無かったのである。

 驚かされた主人公達は大蛇に文句を言うのだが、大蛇はその様子すらも楽し気に受け止めていた。

 自分が乗せた相手には必ず螺旋軌道を取って相手の反応を見て楽しんでいたようだ。


 「アイツってどこかアンタと似たようなところがあるわよねぇ…。今更ながらにそう思えてくるわ」

 「む…。私は彼ほどひょうきんな性格ではないと思うけど?」


 心外な話だ。

 確かに私もイタズラをして周りの反応を見るのは好きだったりするが、誰に対しても行うつもりはない。

 私はイタズラを行う相手は選ぶ。同好のよしみだったり、友人だったり、ルイーゼだったり…。誰彼構わずイタズラを行うつもりはないのだ。その辺り、物語の大蛇と一緒にしてもらっては困る。


 「…それは分かったけど、なんで私は名指しされてるのよ…」

 「それだけルイーゼが特別だってことさ」

 「ものは良いようねぇ…。ま、いいけど」


 特別だと言ったのが良かったのだろうか?どことなくルイーゼが嬉しそうにしている。

 まったく、良い表情をしてくれるものだ。こちらまで嬉しくなってくる。きっと、彼女にとっても私が特別な存在なのだろう。この考えは、決して私の自惚れなどではない筈だ。


 いやしかし、本当にこのアトラクション、見事なものだな。

 ただ乗り物に運ばれているだけだったのなら、私達よりも下の位置にある雲の街の景観しか視界には収まらなかった。

 しかし、乗り物が螺旋軌道を取っているため、視界が上下どちらにも意図せずに向けられるのだ。


 強制的に視界を上に向けられたことで初めて分かった。

 私達よりも上の位置。即ち空の景色すらも、本来の景色とは違っていたのである。思わず表情が固まってしまった。


 「私が知る限り、今日の天気は多少の雲はあった筈だよね?」

 「ノアったら、そんなことが気になるの?」


 ルイーゼは特に不思議に思っていないらしい。

 いやいや、明らかにおかしな現象だろう?たとえ天気が快晴だったとしても、多少の雲は存在する筈だ。

 それだというのに、私の視界に入って来た今の私達の上空の景色には、雲が1つもなかったのである。

 そもそも今日の天気は快晴ではない。私達がこの街に入った時、空にはそれなりの雲が確認できたのだ。

 つまり、本来の天気の景色ではない。周囲の景色と同様、何らかの方法で見せられている景色なのだ。


 そんな私の疑問をルイーゼは得意気な表情で一蹴した。


 「良いこと?このエリアは何処を舞台にしているのか、よぉーく考えなさい?雲の上に街があるのに、その上に雲なんてある訳ないでしょ?」

 「いや、それはその通りなんだけど、私が気にしたのはそこじゃなくて…」

 「気にするだけ野暮ってもんでしょ。今は目の前の光景を楽しんどきゃ良いのよ」


 まったく、本当に羨ましくなってくるな。

 童心に帰る、と言うヤツなのだろうか?私にもそれができれば嬉しいのだが、生憎と私は最初からこんな感じだ。帰る童心が無かったりする。いや、ある意味では最初から童心とも言える。

 まぁ、無自覚に『広域ウィディア探知サーチェクション』や『モスダンの魔法』や『真理の眼』を総動員して理解できない技術を解析しようとしないだけ、私はまだマシなのかもしれない。

 そして解析した内容をルイーゼ達に言いふらさないだけ、本当にマシだと言いたいところだ。


 多分だが、ピリカやココナナにこの光景を見せたら絶対に技術を解析しようとするだろう。そして夜通し解析した技術を語り合うのだ。下手をしたらその場で再現しようと工作を始めてしまうかもしれない。

 それはそれできっととても楽しいのは間違いないのだが、物語に没入したい者にとってその行為は無粋以外の何物でもないのだ。


 非常に困ったことに、私はどちらかと言うとピリカ達側だということだ。今この場にはいないが、多分フレミーもそうだと思う。

 とにかく、この場で技術的な話をしたりしないように気を付けるとしよう。



 1つのアトラクションを体験し終え、小休憩を取っている間に思いにふける。


 本当に凄い技術だったな。私があの光景を再現しようとしたら、どういった手法を取るだろうか?


 このエリア全体を幻で包むか?いやいや、流石にそれでは非効率極まりない。


 では、エリア全体をドーム状の結界で覆い、結界に映像を投影させるか。

 …我ながら悪くない手段だと思うが、このエリア全体の広さは1つの都市の7分の1だ。映像の投影はともかく、結界の維持がネックになる。

 ならば、あの乗り物を運航している間のみ結界を発生させるか?

 論外だな。そもそも、ドーム状の結界を張ってしまったら、エリア移動ができなくなってしまうじゃないか。


 いやまったく、本当に想像がつかないな。そして、こうした推理をするのは、意外と楽しい。

 『広域探知』を使用すれば、存外あっけなくネタが分かってしまうかもしれない。だが、自分の想像力だけで解き明かしたい私にとって、『広域探知』の使用は無粋であり野暮である。


 「おまたせー!って、何考えてたの?随分と眉間にしわが寄ってるじゃない」

 「ああ、さっきのアトラクションの仕掛けの謎が分からなくてね」

 「意外ね。アンタならすぐに分かるもんじゃないの?」

 「『広域探知』やそれに類する感知能力を使用すればね。だけど、こういう場所でそれは無粋だろう?」


 ルイーゼが出店で購入して来たスイーツ、クレープを受け取りながら、彼女に私が眉間にしわを寄せて悩んでいた理由を説明する。


 おお、このクレープ、中にアイスクリームが入っているのか!フルーツの果肉とソースも入っているし、文句無しに美味いな!当たり前のようにウチの子達にも評判がいい。


 ただ、リガロウは口も体も大きいからな。1口で無くなってしまった。とても美味かっただけに、少し残念そうだ。


 「グキュウゥ…」

 「リガロウにはちょっと小さかったわね…。って言うと思った?元気出しなさい!体の大きい種族用のビッグサイズもちゃんとあるわよ!」

 「グキャッ!キュキューッ!」


 ルイーゼが『収納』から私達が食べているクレープの5倍近い大きさのある巨大クレープを取り出し、リガロウに渡している。

 とても気に入ったスイーツが満足できる量食べられてリガロウも大喜びだ。


 まったく、ルイーゼも私のことを言えないじゃないか。そういうのもイタズラと言うんじゃないのか?


 「でもさ、今のリガロウ、可愛いでしょ?」

 「…それは否定しない」


 確かに、とても嬉しそうにしているあのリガロウの表情は、一度悲しい思いをさせなければ見られなかったかもしれないが。


 「悩ましいところだね。私は、あの子に悲しい表情をして欲しくない」

 「ダダ甘ねぇ…」


 まるで言葉の後に[ホンット、親バカなんだから]とでも付け加えそうなあきれ顔である。

 甘やかしているのは否定しないし、初めての眷属であるリガロウは、私にとって息子みたいなものだ。親バカと言われようが気にする気はない。

 ルイーゼもきっと、子供ができたら私の気持ちが分かる筈だ。


 そう言えば、ルイーゼはヨームズオームに対する私の態度にも姉バカと言っていたな。

 つまるところ、私は身内に甘いのだろう。指摘されたところでやめる気はないが。


 小休憩も終ったので、次のアトラクションに向かうとしよう。

 これだけの広さがあるのだ。おそらく小説のシーンはすべて再現されているだろうし、もしかしたら、裏設定なども網羅されているかもしれない。


 やはりアトラクションを楽しむ前にこの街が登場するところまで本を読んでおいて正解だったな。ヘルムピクトに訪れた時と比べ、このエリアに対する期待度が跳ね上がっている。

 時間の許す限り、このエリアを楽しませてもらうとしよう。


 ああ、そうだ。建物の壁を千切ってみるのも、忘れないようにしないとな。



 雲の街のエリアを十分楽しんだ私達は、このエリアのホテルの一室で寛いでいる。

 時間は既に午後8時30分。本来ならば『亜空部屋』にて修業を行いたいところだが、今日はお休みである。


 理由は極めて自分勝手な話ではあるが、明日以降は別のエリアに移動するのだ。そして明日以降もこのヘルムピクトを十全に楽しみたいのだ。

 ルイーゼが所持している、残り6つのエリアの題材となった小説を、今日中に全て読破してしまうのである。


 「夜更かしに付き合うつもりはないわよ?」

 「大丈夫。解決策は考えたし、ウチの子達にも同じように楽しんでもらいたいからね」


 ヘルムピクトの異様さに驚かされてうっかり失念していたが、時間が足りないのならば伸ばせばよかったのである。そう、『時間圧縮タイムプレッション』である。


 この魔術を使用すれば、今日中に皆で小説を読み終わらせられる。

 皆の分の本も全て複製し、圧縮されて引き延ばされた時間の中で、小説を読破してしまおうというのが私の考えだ。


 適用するのはルイーゼを除く全員なので、寿命の問題を心配する必要はない。

 ちょっと、いやかなりズルいかもしれないが、私は明日以降も今日のような没入感を味わいたいのである。そしてリガロウやウチの子達にもその思いを味わってもらいたいのだ。

 この場にいるのは私の身うちとルイーゼだけなので、自重する気はない。


 存分に物語を楽しみながら、じっくりと読破させてもらうとしよう。

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