第83話 『我地也』
配置換えをしていた魔術師が呼びかけてはいるが、周囲の反応は変わっていない。自分達の事に集中してしまっているためか、皆彼の言葉が耳に入っていないようだ。
「まったく、いつもながら仕方の無い人達ですねぇ・・・。」
そう言って呼びかけをしていた魔術師が、魔術を発動させるために構築陣を組み立てていく。
魔術構築陣を見て効果を確認すれば、私には影響がない事が分かったが、不快な気分にはなりそうだったので、耳を塞いでおく。
耳を塞いだ私を見た魔術師が驚愕の表情をしたのだが、私が彼を見て頷いたのを確認したらそのまま魔術を発動させた。
強烈な閃光と爆音が執務室に行き渡る。
衝撃は爆音による空気の振動のみだったが、それでも各々自分達の世界に入り込んでいた者達をこちら側に引き戻すには十分だったようだ。まともに閃光と爆音を受けた者達は目を回して倒れ込んでいる。
動作が手慣れている所を見ると、これもまた魔術師ギルドでは日常茶飯事の事かもしれない。
「お騒がせしました。それにしても、ノア様は魔術に対する理解度が実に素晴らしいですね。構築陣を一目見ただけでその効果を見抜いてしまうとは・・・。」
「あー、まぁ、私が普段使用している魔術に比べたら大分分かり易い構造をしていたからね。ちなみに、私が耳を塞いでいなかった場合、貴方は構わず魔術を発動させていたのかな?」
「滅相もありません。ちゃんと事前に目を閉じて耳を塞いでおくようにお願いしていましたよ。・・・目を閉じる必要は全く無かったようですが・・・。」
流石に何も知らせずにあの魔術を発動するつもりは無かったようだ。私が普通の人間と変わらない体だったのなら、彼等と一緒に目を回して倒れていただろうからな。
「皆さん、そろそろ起きて下さい。準備が整ったんですから、あまりノア様を待たせるものではありませんよ。」
「ああ~、まぁだ耳がキンキンするわぁ~。もうちょっと手加減してくれないかしらねぇ~。」
「あうぅぅ、目がチカチカしますぅ~~。」
「む、来ていたのか、ノア。済まないね、妻は昔からこんな感じでね。」
魔術を放った本人はその場で手を叩いて倒れている者達に呼びかけるだけだ。自力で起き上がれ、という事だろう。
この光景もいつもの事なのだろう。何ともぞんざいな扱いをするものだ。
妖精人の胸に顔のほとんどが埋まっていたおかげか、ユージェンには先程の魔術はほとんど影響が出ていないようだ。
結構長い時間ああしていたように見えたが、彼の呼吸に乱れは無い。良く窒息しなかったな。
「あらぁ~?貴女がノアちゃん~?可愛いわねぇ~。自己紹介~、しときましょうかあ~。私はぁ~、エネミネアよぉ~。魔術師ギルドのギルドマスターでぇ~、冒険者ギルドのギルドマスターであるユージェンの妻よぉ~。よろしくねぇ~。」
「その様子だと、ユージェンからは色々と聞いているようだね。ノアと名乗っているよ。よろしく。早速魔術を実施して見せるという事で良いのかな?」
「そうねぇ~。一度どういった魔術なのかを見せてもらってからぁ~、ちゃんとした説明を聞きましょうかぁ~。みんなもそれでいいかしらぁ~?」
何ともゆったりとした口調の女性だな。
だが決してのんびりというわけでは無いようだ。口調の早さとは裏腹に、聞かれた事への反応は早い。この口調が素のものなのか、それとも演技なのかは分からないが、彼女を侮る理由にはならないだろうな。魔術師ギルドの長でかつ妖精人というだけあり、保有する魔力量も今まで見てきたどの人間達よりも膨大だ。
人類の中では最上の魔力の持ち主なんじゃないだろうか?残念ながらそれでも"楽園浅部"ではとても強い、と判断する程度なのだが。
彼女の事を考えるのはこのぐらいにしておこう。周囲の反応はどうだ?
エネミネアから同意を求められた者達は皆首を縦に振ってうなずいている。最初に魔術を見せればいいようだ。
説明も無しに、だが魔術構築陣が分かり易いように普段よりもゆっくりと『
「これが、ガラスを容易に生み出す魔術・・・。お、覚えきれるかな・・・?」
「この魔術が使えるようになれば、魔術師ギルドの利益が凄い事になるぞ。」
「ええぇ・・・。何でこんな複雑な魔術構築陣をこんな速度で組み立てられるんだ・・・?しかも、全然大した事無いみたいな感じだし・・・。」
「本を複製していた時といい、規格外にも程があるな・・・。」
「・・・・・・・・・。」
魔術を見た者達の反応は大体ユージェンに『我地也』を見せた時と同じような反応をしている。だが、エネミネアだけは一言も言葉を発さずにまじまじと構築陣とガラスが作られる様を見続けている。『我地也』の性質に気付いたのだろうか。
ガラスの容器を作り終え、魔術師達を見てみると皆険しい表情をしている。
特にエネミネアの表情は、自己紹介した時とは打って変わっている。とても深刻な表情をしている。
「ざっとこんな感じだよ。多分、エネミネアは気付いたと思うけれど、この魔術はガラスを作るための魔術じゃないんだ。」
「やっぱりそうなのねぇ~。魔術を使用する際の消費魔力がぁ~、効果と比べて少ない筈だわぁ~。ノアちゃんが折角教えてくれるっていうのにぃ~、この魔術、多分ほとんどの人間には使いこなせそうにないわねぇ~。」
「そ、それほどの魔術なんですかっ!?」
「た、確かに凄く複雑な構築陣ですけど・・・!」
「それじゃぁ、この魔術、『我地也』についての説明を始めようか。」
エネミネアが多くの者達には使いこなす事が出来ないと判断したのを見るに、彼女はやはり『我地也』の効果をほぼ正確に見抜く事が出来たのだろう。
多分だが、いや、十中八九人間達は魔術言語がそれ単体で意味を、力を持った言葉である事を理解していない。
決められた通りに形を組み立てれば、魔術が発動する。彼等にとっては、それぐらいの認識なのだろう。一般的に魔術をアレンジしたり新たに作る事ができない理由は、ここにあると思う。
そして、だからこそ構築陣を見ても魔術の効果を正確に把握出来ない者が多いのだろう。
「この魔術、君達はどの系統にカテゴライズされると思う?」
「えっと、ガラスを作り出すから、物質操作、いや創造かな・・・?」
「あれ?でもガラスを作るための魔術じゃないって今・・・。」
「それってまさか、ガラス以外の物も作る事が出来るんですかっ!?」
「そう。この魔術は使い手次第ではあるが、土や砂は勿論、石や金属といった様々な無機物を作り出す事が出来るんだ。しかも、接地している状態ならば創造した物を動かす事すら可能だ。・・・こんな感じにね。」
再び『我地也』を発動させて鉄製の等身大のユージェン像を作り上げる。更にそこから像を軽く歩かせたり躍らせたりして動かして見せた。
ユージェンの像にしたのは、単にこの中では一番顔を知っていて造形し易かったから、と言うだけだ。
「こっ、これはっ!?」
「そんなっ!?さっきと同じ構築陣だぞっ!?」
「魔力の消費量もさっきと違う!おんなじ魔術の筈じゃないの!?」
「やだ・・・。素敵・・・。ねぇノアちゃん、この鉄のダーリン像、私に売ってもらえないかしらぁ~。金貨100枚までなら出すわぁ~。」
「ミネア・・・。こんなに大きい物、何処に置いておくつもりだい?」
「どこにでも置けるわよぉ~!此処でも良いしぃ~、愛の部屋でも良いしぃ~、ああ!いっそのこと、私の像も作ってもらってぇ~、家の入口に並べるのも良いかもぉ~!?」
何やら、魔術とは別の所で盛り上がり始めてしまっているな。
だが、私の意見としては家の入り口に置くのはお勧めしないな。鉄製だから間違いなくすぐに錆びてしまう。いや、魔術で補強するというのならありなのだろうか?
というか、金貨100枚は出し過ぎだ。鉄の塊なのはそうだが、それでも金貨一枚で売れれば十分だろう。
だが、ただの鉄像にそれほどの金額を出すと言うのだ。エネミネアがどれだけユージェンを愛して、執着しているかが良く分かる。
そうなると、別に売るのは構わないんだが注意しておく必要はあるな。
「この鉄の像は魔術で動かしているだけだから、私が『我地也』の効果を切ってしまった場合ピクリとも動かなくなるよ?」
「つまり、今なら好きなポーズを取ってくれるのねぇ~っ!?ぜひ取って欲しいポーズがあるのよ~っ!」
ユージェンの鉄の像が動くから興味があったのではなく、単純にユージェンの形をしているから欲しがったのか。
私が魔術を切ったら只の鉄像になると伝えれば、むしろ好都合とばかりに望んだ姿勢を取って欲しいと要望を出してくる始末だ。
だが、この像はユージェンをそれなりに精密に模っているからな。本人に残して良いかの確認は必要だろう。
「一応、ユージェンを模ったものだから、ユージェンの許可を得てからにしようか。ユージェン、この鉄の像は残してエネミネアに譲っても良いかな?」
「その言い方をするという事は、術が発動している最中ならば自由に消去する事も可能という事なのか?」
「可能だよ。この鉄は地面と認識した場所を増幅、変質させて作り上げている物だからね。消したければその逆をしてやれば良いんだ。」
「それでは、消去を頼むよ。」
ユージェンとしてはこの鉄像を残しておきたくは無いようだ。まぁ、ユージェンと違ってエネミネアはギルドマスターとして有名らしいからな。その夫もギルドマスターでユージェンの像が彼女の所有物として周囲に伝われば、自然とユージェンもギルドマスターだと知れ渡ってしまうだろう。
「ええぇえ~っ!?そんなぁ~っ!ダーリン、考え直さなぁ~い!?」
「ミネア、例え私の姿をしていようと、私以外の何かに君が夢中になってしまう事に、私は耐えられそうにないんだ。」
「っ!?!?ダ、ダーリィ~ンッ!もうっ!ズルいわっ!そんな言い方っ!そんな風に言われちゃったら諦めるしかないじゃないっ!好きぃっ!愛してるぅっ!」
エネミネアがユージェンに対して再検討してもらうように詰め寄っている。
その間に、私に紅茶を提供してくれた職員が、再び紅茶を入れて私を含めた皆に配り始めた。
私の考えが当たっているかどうかはともかく、エネミネアを説得するためにユージェンが思い切った事を伝えると、感極まったエネミネアが再びユージェンを抱きしめて私が入室した時のように彼の顔を自分の胸の中に埋め込んでしまった。
やはり呼吸が出来ているようには見えないのだが、抵抗するそぶりを全く見せなかった辺り、ユージェンも望むところなのだろうか?
「はぁ・・・、あっま。砂糖入れてない筈なのに紅茶があッまい。」
「なぁーんでまぁたイチャついてんですかねぇ・・・。」
「ん。ピュッケ、また腕を上げましたか。良い味です。」
「えへ、えへへへ・・・しゅ、週一で通い続けていますから・・・。ウヒヒヒ・・・う、腕も上がりますよぉ・・・。」
なるほど。先程皆に紅茶をいれて回ったのは、つまりエネミネアとユージェンが醸し出しているとても強い愛情の雰囲気、職員達の言う甘ったるい空気とやらを紅茶の苦味で紛らわせるため、という事か。
ああ、そんなに勢いよく紅茶を飲むなんてもったいない。
もっとじっくり、ゆっくりと味わった方が、あの二人が醸し出している雰囲気も紛らわせる事が出来るだろうに。
それにしても、あの状況はいつまで続くのだろうね?話が進まなくなってしまったんだが。
エネミネアのスキンシップが更に激しくなり、ユージェンの顔の至る所に口づけをし始めている。
本で読んだ内容ではこういった行為は人前ではやらないものと記載されていたが、感極まった状態ではそれも変わって来るというのか。
「ギールーマース―ッ!イチャつくのはその辺にして下さいよぉっ!話が全然進まないじゃないですかぁ!」
「あ、あら?あららぁ~。ごめんなさいねぇ~。ダーリンが可愛くてカッコ良くて素敵だったからつい、ねぇ?ノアちゃん話を遮ってしまってごめんなさいね?続きをお願いできるかしら。」
「分かったよ。話を戻すとしよう。先程指摘した者もいたけれど、ガラスの容器を作った魔術と鉄像を作った魔術は全く同じ魔術だよ。」
ようやくエネミネアも自分の世界に戻って来たので説明を再開する。
なお、ユージェンの様子にこれといった変化は特にない。いや、若干の喜色が窺えるから、ユージェンはユージェンでエネミネアに抱きしめられるのが嫌だというわけでは無いという事か。
まぁ良い、それは後だ。説明を続けよう。
「作った物は違えど、やっている事は変わらないんだ。先程ユージェンにも軽く説明したけれど、自分が地面と認識している場所を変質、増幅、成形そして操作をしたのがさっきの動く鉄像のからくりだね。」
「そ、それじゃあ、つまり『我地也』という魔術はっ・・・!?」
「見ただけだと地面を操作する魔術に見えるけれど、いや、実際に操作はしているんだ。魔術では無く術者がね。」
「じ、自己強化魔法・・・!?」
「その通り。
「そ、それじゃあ、消費する魔力に差があったのも・・・。」
「『我地也』としての消費魔力には変化が無いよ。問題はそのあとだ。変質、増減、成形、操作。その全てに魔力を消費する事になるよ。」
「加えて言うならぁ、変質させて作り出す物も正確に把握していないとぉ、消費する魔力が一気に増加してしまうでしょうねぇ~。多分だけどぉ、宝石や貴金属は桁違いに魔力を消費するんじゃないかしらぁ~。」
「「「・・・・・・。」」」
そこまで説明すると、エネミネアが更に補足してくれた。流石は魔術師ギルドのギルドマスター。魔術の性質をしっかりと理解出来たようだ。
しかし『我地也』の説明を聞いたほかの職員達は、皆押し黙ってしまった。自分達ではまともに扱えそうにないと分かってしまったのだろう。
「まぁ、そんなわけでね、『我地也』は皆がいう高等魔術に輪をかけて難しい魔術だと言わざるを得ない。これでは魔術でガラスを量産など到底できないだろう。そこで、だ。単純にガラスを生み出すためだけの魔術を作ってきた。」
「えっ?つ、作って来たって・・・?」
「今、平然ととんでもない事言ってなかったかこの人・・・?」
「ダーリンから聞いていたけどぉ、とんでもない魔術の使い手ねぇ~・・・。」
短時間で新たに魔術を作り上げるというのは、エネミネアから見ても規格外の事だったらしい。彼女までもが驚いている。
だが、この場はあえて彼等に反応せずに魔術を発動させてしまおう。百聞は一見に如かず、というやつだ。
「おおっ・・・!先程と同じ速度でガラス容器が・・・!」
「大きさは大、中、小の三種類になってしまうのか・・・。いやいやいや、目的に応じてどのような形にも出来てしまう『我地也』がおかしいのか・・・。」
「構築陣もそこまで複雑じゃないっ・・・!これなら、私達も十分に覚える事が出来そうっ!」
「これはぁ、物凄い事だけれどぉ、不味いわねぇ~。」
自分達でも扱えそうな魔術に職員達が喜ぶ中、エネミネアだけが何かを懸念するように呟いた。
これまで高級品とされてきたガラス製品が容易に作れてしまう事になるのだ。
ガラスを作る職人やその職人達を雇っている者からすれば、迷惑なんて話では無いだろう。勿論、対策は考えてきているとも。
「エネミネアが不味いと懸念するのも尤もだね。この魔術はここにいる者達ならば容易に使用が可能な魔術だ。つまり、ガラスの価値が暴落してしまう。これまでガラス製品で稼いできた者達からすれば、迷惑なんてものじゃないだろう。下手をすれば魔術師ギルドと争いが起こってもおかしくない。」
「そ、それじゃあ、この魔術はやっぱり使わない方が良いんでしょうか。」
「それも込みで対策は考えてきているとも。簡単な話、彼等も容易にガラスを作れるようになってしまえばいい。安価に生み出せれば大量に販売が出来きて、利益を得られるだろうからね。」
「ガラス職人にもこの魔術を教えるって事ですか?」
「そうじゃないさ。つまるところ、ガラスの出来方や仕組み、どうやれば無色透明のガラスが出来上がるのかが分かればいいんだ。」
私が対策について説明すると、職員達が皆一様に驚きだした。
当然だな。ガラスを容易に作り出せる方法を知っているのなら、ガラスが高級品になる事は無いからな。
「魔術師ギルドには厄介事を頼む事になるのだけれど、今回の依頼の報酬は金額をあまり出してもらわなくて良い。その代わりこの魔術を他の魔術師ギルドに、ガラスの出来る仕組みと無色透明なガラスの作り方を、ガラス職人達に伝えて欲しい。」
「凄い無茶ぶりが来たわねぇ~。でもぉ~、やらないと不味い事よねぇ~。分かったわぁ~。世界中に広める事は難しいけれどぉ~、この国の魔術師ギルドとガラス職人達には伝えておくわねぇ~。」
「ありがとう。それじゃあ、早速ガラスについての説明をしようか。これに関しては魔術以外の話にもなってきてしまうから、説明も長くなるし、難しい話になってしまうかもしれないけれど、聞いてもらいたい。大丈夫かな?」
確認を取ってみれば皆興味があるようだ。嫌そうな顔をしている者は一人もいない。少しホッとする。それじゃ、魔術では無い授業を始めるとしよう。
『我地也』を用いながら、ゆっくりとガラスが出来上がる光景を見せてガラスが出来上がる原理を説明し、何とか今回の依頼の参加者達に理解してもらう事が出来た。しかも、参加者全員、ガラスを作る魔術を全員習得する事が出来たのだ。
時間は既に午前の鐘が十四回鳴った頃。5時間近くも良く碌に休憩も取らずに聞いてくれたものだ。
魔術師ギルドの職員達の勤勉さに感心しつつ、真剣に学んでくれた事に対して感謝だな。
ともかく、これで魔術師ギルドからの指名依頼も達成だろう。残るは商業ギルドの指名依頼だ。商業ギルドに向かう前に忘れずにユージェンに冒険者達の識字率と衛生観念について話がしたい事を伝えてから、魔術師ギルドを後にした。
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