閑話 "彼女"に対する反応5

 魔王が"楽園深部"に仕掛けた雨雲をノアが消し飛ばした日以降、世界は混乱し続けている。


 竜の月15日から観測され続けていた"楽園深部"の魔力反応が急激に増大し、あまりにも強大な魔力量と密度のため、観測魔術師達が情報を受けきれずに倒れてしまうほどの巨大な光の柱が、"楽園深部"から立ち上ったためである。


 "楽園深部"の魔力反応の正体すら掴めていない人類にとって、更なる魔力反応の変化は、まるで想定していなかったのだ。最早、混乱どころの話では無くなっていた。

 少なくとも、光の柱は"楽園"と同じ大陸にいれば、何処からでも目視で確認する事が出来るぐらいには巨大であった。


 混乱を避けるために情報を秘匿していた国も、この巨大な光の柱は隠しようが無く、瞬く間に"楽園深部"の存在が世界全体に知れ渡る事となってしまったのだ。


 人類は世界的な恐慌状態に陥った。


 巨大な光の柱の出現以降、"楽園"の奥地から"楽園浅部"へと凶悪な魔物、魔獣が現れるようになり、経済的にも世界恐慌が起こるのではないかと人々が懸念し始め出したころ、三度目の変化に人類は困惑を極めた。


 今度は魔力反応が無くなってしまったのだ。

 だが、そのおかげか、"楽園浅部"に押し寄せてきた魔物、魔獣は"楽園浅部"から奥地へと引き下がって行った。


 その事実が伝わり次第、個人、組織を問わず"楽園"での採取によって生計を立てる者達はこぞって"楽園"へと足を運び始めた。

 更なる変化が起きる懸念は当然あるし、"楽園"に向かう者達も大半は承知の上での行動だ。

 元より、"楽園"での探索、採取は、命を落とす危険と隣り合わせなのだから。


 それからしばらくは魔力反応も観測できなくなり、膨大な魔力反応によって混乱に見舞われた人類は何とか平静を取り戻しつつあった。


 だが、初めて例の魔力反応が観測されてから二ヶ月ほど経った頃、"楽園"にドラゴンの集団が襲撃を仕掛けた事が確認された。


 50年以上前にも、ドラゴンの群れが"楽園"に対して襲撃を仕掛ける事態があった。

 "楽園浅部"に住まう者達とドラゴンの戦いは熾烈を極め、結局、数で圧倒的に勝る"楽園"側が押し返す形で戦いの幕を閉じた、という記録が残っている。


 今回も同様にして撃退されるかと予測されたが、そうはいかなかった。

 突如ドラゴン達の前に例の魔力反応と同質の反応が確認され、超大規模かつ巨大な黒い閃光が放たれたかと思えば、閃光が収まる頃にはドラゴン達は影も形も残らず全滅していたのだ。


 観測された魔力反応の規模は、最初に観測された反応とは比べるべくもないほどに小さなものであったが、それ以降、"楽園深部"にて不定期に初期と同規模の魔力反応が観測されるようになった。


 この事態に、観測魔術師達はお手上げの状態となってしまった。

 規模が小さすぎれば観測が出来ず、かといって観測が出来るほど大きな規模の場合、大きすぎて詳細が分からないのだ。



 人類が"楽園深部"の魔力反応の正体を知るのは、まだまだ先の事だ。

 その正体を人類が知った時、果たして人類にとって幸となるか、不幸となるか、それは人類次第だ。






 ―――とある軍事国家にて―――


 ここはこの世界に存在する人類国家の中でも有数の超大国の一つとされる軍事国家。その中枢。国の首都中心に建てられた世界最大の高さを誇る、巨大な塔の形状をした建造物だ。その高さは下層雲の雲底に届いてしまうほどである。


 世界全体の状況を常時観測する場所であると同時に、この国の権力者が集い政をなす場所でもある。


 その超高層建築物でも上層に位置する機密区域にて、とある計画の関係者達が一堂に会し、計画の顛末について討論を行っていた。


 「バグバース長官、結局のところ、計画は失敗に終わったわけだが、機体を失う事になってしまった原因を把握する事は出来ないのかね?」

 「不可能だ。"楽園中部"で"例の魔力反応"に触れた時点で記録機器と送信機がほぼ全て破損した。その上、"例の魔力反応"の観測データを送られた際に、此方の計測器と受信機までもが破損したのだ。何が起きたのか断言する事など、出来はしない。我々に出来るのは、せいぜい推測という名の妄想ぐらいだ。」


 計画の失敗の原因を尋ねた、見事な濃い髭を蓄えた大柄な初老の男の問いに対して、兵器研究開発局長官、バグバースは不可能と一言で切り捨てる。一呼吸置き、不可能である理由を語るバグバース長官の声に感情は無い。


 この場に集まっているのは、私利私欲のために計画に関わった者も多い。感情的になり隙を見せれば、即座に自分の地位を蹴落とし、彼等の息が掛かった者を今の自分の席に着かせようとするだろう。


 「よくもぬけぬけと言えたものだなっ!!!この計画のために、我等がどれだけの援助をしてやったと思っている!!!」

 「我々の力が無ければ、こんな計画など、卓上の空論で終わっていたというのを、分かっているのか!!!」

 「機体の回収すら出来ないなど、断じて許されるものでは無い!!!この責任、どう取るつもりだ!!!」


 ちょうど今、バグバース長官にの感情の無い回答に激高し、怒鳴り散らしている者達のように。


 服装や佇まいからして、彼等は皆、軍人では無い。

 その発言からも分かる通り、計画のために多大な資金や物資の援助を行っていた、出資者達の内の一部である。


 凄まじい剣幕で罵声を浴びせられるも、バグバース長官の佇まいには微塵も狼狽える様子が無い。それどころか、彼等を鼻で笑う始末である。


 「何だ!!!その態度は!!!貴様!自分の立場が分かっているのか!?!?」

 「我々に対してそのような態度、許されるものでは無いぞ!!!」

 「笑わせるな。責任をどう取るつもりだと?それはこちらのセリフだ。本来であれば"GLUTTONY"は、まだ投入する段階では無かった。その事は実験結果と機体性能を知るこの場にいる全員が知る事だ。誰のせいで"GLUTTONY"を"楽園"に投入する事になった?他ならぬ、貴様達のせいだろうが。」


 なおも怒鳴り散らす出資者達に対して、初めて怒気を露わにして罵倒を浴びせてきた出資者達を睨みつける。


 ―――GLUTTONY―――


 "楽園"を探索し、その資源を回収する目的で開発された、半自立型の無人飛行兵器の名称であり、彼等の計画の計画名でもある。


 この"GLUTTONY"の最も特筆すべき点は、周囲の魔力を吸収する機構を搭載している事だ。


 強固に練り固められた魔力や、強い意志が込められている魔力などは、まだ吸収する事が出来ないものの、この機構の性質上、魔術を行使しようとして魔力を生み出した段階で魔力が吸収されてしまうため、実質魔術を使用できない空間を作り出す事が出来るのだ。


 吸収した魔力は貯蔵するだけでなく、一色の魔力に変換され、機体の動力に変換させる事も出来る。


 機体の機能は一つだけではない。この機体は、自前で『格納』の魔術が発動する事が出来るのだ。

 『格納』の魔術の消費魔力は、他の魔術と比べて比較的多い。だが、吸収した魔力を用いれば、全くの問題にならない。それによって、格納庫を組み込む事なく、大量の資源を回収することが可能となっている。


 魔力の吸収を絶やさなければ、この世界から魔力が消失しない限り、半永久的に稼動し続ける事が出来る、驚異の機動兵器なのだ。


 そして、飛行兵器と銘打っているだけあって、当然飛行能力を備えている。

 現在、単独で飛行を可能とする事が出来る魔術具は、世界中を探してもこの"GLUTTONY"のみである。


 そもそも、魔術具だけに留まらず、空中を移動する手段そのものがこの世界にはあまり普及していない。


 この世界の空は、決して安全な場所ではない。空を活動領域としている魔物や魔獣は数多くいるのだ。

 未熟な魔術師や有翼種の獣人ビースターが、そういった空の脅威に襲われて命を落とす事など、日常茶飯事とされている。


 この"GLUTTONY"は、そういった空の危険な存在にも対応できるだけの飛行能力と戦闘力を求められて開発されている。両翼に取り付けられた筒状の噴射機構によって、強力な推進力を得るのだ。


 "楽園"から海を越えて遠く離れた地にあるこの国としては、高速で飛行する能力は、必須の性能であった。


 この機体を"楽園"へと向かわせた理由は三つ、"楽園浅部"より奥の領域の調査と物資の回収。そして、"楽園"の魔力の回収である。


 世界最高峰の技術を持ったこの国では、一般的な生活用品ですら、誰でも、それこそ子供ですら扱える魔術具として普及されている。


 他国では希少な道具である魔術具が生活必需品にまで浸透しているこの国では、魔力そのものも貴重な資源なのだ。"GLUTTONY"が"楽園"の魔力を持ち帰って来るだけでも、計画に使用された費用の三割が取り戻せるだけの性能が、実験段階で確認できたのだ。


 だが、能力があるからといって"楽園"で機体の性能が通用するかと聞かれた時、バグバース長官は首を縦に振らなかった。

 彼から見ても、"GLUTTONY"の性能はこの国から飛び立ち、"楽園"まで到達するのに十分な性能があると判断している。

 だが、通用するのはそこまで、という判断もしている。


 "死神の双眸"を始めとした、"楽園"の奥地に生息する生物に対応できる性能だとは思えなかったのである。

 "死神の双眸"は、古くから人類にとって"楽園"で最も危険な存在として認識されているが、人類が確認できていないだけでそれ以上に強力な存在がいない、などとは、口が裂けても発言する事など出来ない。

 人類が知る"楽園"など、"楽園"のほんの一部分でしかないのだ。


 バグバース長官としては、最低でも"死神の双眸"と同程度の飛行能力が得られるまでは、"GLUTTONY"を"楽園"に投入するつもりは無かったのだ。


 それを、資源の回収が出来ると分かった段階で、先程からバグバース長官に罵声を浴びせている出資者達が強引に推し進めたのだ。


 彼等が計画のために投資した費用は確かに膨大だ。バグバース長官が求める性能を得るには5、6年は時間が掛かる見込みだ。

 出資者達は、莫大な富と権力で我儘放題を続けてきた者達なのだ。現時点で資源の回収できるのにも関わらず、お預けを食らって我慢が出来るほど、忍耐強くは無い。


 計画に莫大な出資をしている事もあり、発言力が大きく、バグバース長官の反対の声に聞く耳を持たずに"GLUTTONY"を"楽園"へ向かわせるように仕向けたのは、間違いなく彼等であった。


 実際、バグバース長官に非難の声を浴びせているのは、彼に睨みつけられた三人のみだ。その他の関係者達も強弱はあれど、彼等に非難の視線を送っている。


 「き、貴っ様ぁぁ・・・!言わせておけばぁ・・・!!」

 「何だ!?!?何を見ている!?貴様ら!我々をそんな目で見る資格が貴様らにあるのか!?!?」

 「貴様等に責任が一切無いなどとは言わせんぞ!!!」


 強引に計画を進めたのは確かに非難の視線を浴びている出資者達だ。だが、最終的に合意し、決行したのは、この場にいる全員だ。責任が無い者は一人としていないという出資者達の言葉は、確かに正しい。


 出資者達の喚きに対して、目元を仮面で隠した男が静かに、それでいてよく通る声で語り始めた。


 「君達がそうなるように仕向けたのだろう。つまり、最も責任が重いのは誰なのか、此処にいる全員の意見は、既に一致しているのだよ。」

 「なっ・・・・・・!?」

 「馬鹿な!?!?貴様等!!儂を誰だと思っている!?!?」

 「貴様等!!ただで済むと思うなよ!?!?」


 満場一致で自分達に責任が回って来るという決定に、出資者達の怒声が室内に響き渡る。だが、周囲の反応は正反対に冷ややかだ。

 仮面の男は出資者達の反応に対し、表情を変えることなく言葉を続ける。


 「ただで済まないのは君達の方だ。君達に責任を問い詰めた所で、君達はそれを果たすつもりなど微塵も無いのだろう?それとも、いつものように金で解決するつもりかね?どちらにせよ、我々はその程度の事では納得しない。する筈が無い。よって、この話は既に終わっている話なのだ。」

 「何をっ!?・・・・・・ぐっ・・・がっ・・・。」

 「こ、こんな、こんっ・・・なっ・・・こと・・・がっ・・・!?」

 「き、きさ、ま、・・・・・・らぁっ・・・・・・。」


 怒声を上げていた出資者達が突如、言葉を詰まらせる。顔中に汗が噴き出し、苦悶の表情を浮かべている。

 彼等の動きは徐々に力を失い、やがて物言わぬ屍となった。


 「下らない事に時間を掛けてしまったな。話を戻そう。バグバース長官、君に聞きたい。率直に言って、例の魔力反応、君はどう見る?」


 死体となった出資者達に目もくれず、仮面の男がバグバース長官に"GLUTTONY"を失う事になった原因の予測を尋ねる。仮面の男はバグバース長官の頭脳に信頼を寄せているようだ。


 「あくまで私の推測に過ぎませんが、意志を持った存在の可能性があります。」


 自分で言った台詞ではあるが、バグバース長官はこの可能性を否定したかった。


 現在世間を騒がせて止まない"楽園深部"の魔力反応。規模の大小に違いはあれど、"GLUTTONY"からのデータ送信が途絶える直前に、確かに同質の魔力反応を感知したのだ。その魔力反応が"GLUTTONY"を伝い、受信施設にまで影響を及ぼしたのだ。


 この魔力反応の正体が意志を持った一個体だとするならば、それは間違いなく"死神の双眸"を遥かに凌駕する存在だ。

 別の観測装置から、"楽園"に襲撃を仕掛けたドラゴンの反応が消滅した際にも、一瞬ではあるが同質の魔力反応が観測されている。


 ならば、空からの楽園の侵入を、"楽園"は認めない、という事かもしれない。

 それは、長年練り上げてきた"GLUTTONY計画"を凍結せざるを得ない意見を出すのに十分な理由となるだろう。初期から計画に携わってきたバグバース長官としては認めたくない可能性だった。


 「"楽園"に"GLUTTONY"を使用するのは難しいか。」

 「あくまで可能性ですが、相手は"楽園"です。慎重すぎるぐらいが丁度言いでしょう。」

 「分かった。ならば、"GLUTTONY計画"は方針を変更しよう。」

 「凍結処分にはしないのですか?」


 バグバース長官の意見を素直に聞き入れ、仮面の男が計画の方針変更を伝える。

 バグバース長官だけでなく、この場にいる全員が仮面の男に対して低姿勢を崩さずにいる。

 この仮面の男が、彼等よりも高い地位にいるのは間違いないだろう。そして、死体となった出資者達以外は、その正体を知っていたようだ。


 「"GLUTTONY"の性能は既に我々人類に対してならば、十分すぎるほどの性能をしている。今更捨て去る事など愚の骨頂だ。このまま研究開発を進め、我等がヴィシュテングリンの糧とする。」

 「承知いたしました。我等一同、祖国ヴィシュテングリンの更なる繁栄のために、微力を尽くします。」


 仮面の男を除く全員が仮面の男に頭を下げる。


 人類における軍事大国ヴィシュテングリンの優位は、今後も続いていくだろう。

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