閑話 "楽園"へ向かう者達


 ―――とある王国にて―――


 森林型大魔境"楽園"と地続きの場所にある人類の生活圏の一つ一国の城下町の門前にて、"楽園"へと遠征へ向かう数十人の騎士達が整列し、その視線の先にいる人物の言葉を待つ。


 「総員、傾聴!これより我らは、森林型大魔境"楽園"への遠征に向かう!我が国は古来より"楽園"の恩恵を受け、発展を続けてきた!武器を!防具を!薬を!食料を!発展を続け、国民皆が己を鍛え、"楽園"を知り、学んできた!そして!我が国は安泰となる筈だった!!」


 騎士達をまとめる者なのだろう。自国のこれまでの歴史を振り返り、自国民の強さ、優秀さを称え、騎士達の士気を高めている。


 「だがしかし!その安泰が覆されようとしている!"楽園"の深部に突如として現れた魔力反応によって、その他の領域全ての環境が変化したと思って良いだろう。」


 ここにいる誰もが"楽園"の現状を知っている。先月、"楽園深部"から突如出現した巨大な魔力反応、さらにそこから放たれた"光の柱"から逃げるように、奥地にいた森の魔物、魔獣が"楽園浅部"へと、押しやられてきたのだ。

 その強さは、それまで浅部に生息していた魔物、魔獣を遥かに上回っていた。

 これまで、安定して森の恵みを得てきた森の恵みが、そのまま国の資産となっていたこの国では、存亡の危機でさえある。それ故に国を挙げての遠征なのだ。


 「"楽園"での資源の調達は困難を極めることは必須だろう。ここにいる何人かは無事では済まないかもしれない。だが!我らはこの国に仕える者だ!我らの命はこの国のためのものだ!国の存亡の危機に瀕した今こそ、我らの命を懸ける時なのだ!!」


 この国の騎士達は普段"楽園"に足を運ばない。

 "楽園"から齎された恵みを甘受し、その上で"楽園"を上回るような環境を作り出し、そこで厳しい訓練を日々こなしている。


 全ては、国を脅かす事態に対応するためだ。"楽園"の浅部が今まで通りの環境であったならば、ここに整列している誰もが問題無く活動することが出来るだろう。

 しかし、その環境が変わった。もはや"楽園"は、彼らとて一瞬たりとも気の抜くことのできない、正しく大魔境である。

 話を聞いていた騎士達の表情が険しくなる。だが、それは怖気によるものでは無い。騎士とは、その程度の事で怖気付くような軟弱者になれる職では無いのだ。


 「我らの命は今!この時のため!!この国を救うために!!」


 これまで、振るわれる事のなかった己の力を、ついに振るう時が来たのだ。

 それも、我欲のためではない。掛け替えの無い友のため、忠誠を誓った国のため、自身が愛する者達のため、彼らを守り、救うために振るわれるのだ。


 「「「我らの命は今!この時のため!!この国を救うために!!!」」」


 騎士達の士気は十分だろう。覚悟のできていないものはこの中にはいない。


 「カークス騎士団、出陣っ!!」


 演説を行っていた者の号令に、騎士達は鬨の声で答える。その声量に、城下町の城壁を振るわせるほどだ。


 国の存亡を懸けて、一つの騎士団が"楽園"へと歩を進め始めた。



 ―――とある軍事大国の執務室にて―――


 "楽園"とは別大陸にある軍事大国。その軍事施設の執務室にて、書斎机をはさんで長官と報告者が会話を行っている。


 「今度の実験は成功したのか?」

 「はい。無事、目的地にて、想定通りの効果を発揮することが出来ました。」

 「そうか・・・。具体的な効果を。」


 以前、失敗と報告を受けた報告が、今回は成功したことで長官から僅かに安堵の感情が含まれた溜め息が漏れる。

 失敗の報告など、そう何度も聞きたいものでは無いだろう。当然の反応と言える。


 「はっ。吸引率、変換効率、稼働時間、効果範囲、すべてシミュレーターとほぼ変わらぬ結果となりました。誤差は0.02%です。」

 「うむ。これでようやく次の段階へと計画を進めることが出来るということだ。」


 長官の声が小さく弾む。普段感情を抑えている人物が感情をあらわにするほど、今回の実験結果は満足のいくものであったことが窺える。

 しかし、報告者の表情は浮かばれたそれではない。


 「ですが懸念があります。」

 「分かっている。先日"楽園深部"より発生した例の光の柱だろう。」

 「あれは結局何だったのでしょう?我が国の研究者も魔導師も誰も解明できずにいます。」

 「"浅部"すら踏破できていない我々人類が、"深部"の事など分かるわけがあるまい。我が国どころか魔族にすら解明できておらぬだろうよ。あれは正しく、人智を越えた光だ。」


 この国の技術力は他の人類各国を相手取ってなお上回る。それでもなお、"楽園深部"から現れた光に関して、まるで解析することだ出来ずにいた。

 あれがどのような効果も分からない以上、"楽園"への進出が見送られる可能性も出てくる。


 「計画が中断されたりはしないでしょうか?」

 「その心配はあるまい。我が国が"楽園"の恩恵を得るには、この計画は必要不可欠だ。他国を頼らずに"楽園"の恩恵を得られるならば、多少の懸念など、目に入らぬだろうよ。」


 報告者が計画が頓挫することを懸念することに対して、長官にその心配は感じられない。

 この国の民の自尊心は高い。権力者であれば尚更である。そんな彼らが、自分達だけ"楽園"の恵みを享受できないとなれば、我慢ならないものだろう。

 ならば、多少無理をしてでも計画を進行させるだろう。

 長く軍に努め、権力者達の実態を知る長官には、この程度の事で計画が中止されるなどとは到底思えなかった。


 「それほどの物なのですか?"楽園"の恩恵とは。」

 「我が国だけではどうあっても手に入らぬものがある。それが嗜好品ともなれば尚更だ。」


 彼らの国は技術大国ではある。しかし、その技術が人々の生活に生かし切れているかと問われれば、素直に首を縦に振ることは出来ないだろう。

 それはこの国の権力者達であっても変わらない。特に味覚を満たす美味なるものを知ったとなれば、また口にしたくなるというものだ。


 「嗜好品が、個人の欲が、我が国を動かすというのですか?」

 「人の欲とはとはそういうものだ。おまえも、そのうち嗜好品というものを知る日が来る。そう、遠くないうちにな。」

 「・・・・・・。」

 「若い軍人にはよくある事だ。長い時間を軍に身を置き、軍務に没頭し、娯楽を、嗜好を知らずに歳を取る。そうして耐性が無くなり、いざそれらを知った時に抑制が効かなくなる。手に入れられる立場ならば尚更だな。」


 個人の欲が愛国心を上回ると、そう捉えられる発言に報告者は納得がいなかった。

 それは報告者が、碌に娯楽や美食を享受する機会をこれまで得られなかったためである。


 「私も、そうなると?」

 「このまま何も知らなければ、十分に有り得ることだ。・・・今すぐにとは言わん。人並みの娯楽というものは知っておけ。」

 「・・・はっ。」


 だからこそ、彼がこのまま歳をとり、権力を得た時に娯楽や美食を知れば、抜け出せなくなる。自分を縛る者は無くなり、手に入れようと思えば、手に入れられてしまうからだ。

 それを避けるには、今のうちに、多少でも知っておく必要があるのだと、長官は言う。個人の欲が、どういうものかを若いうちに知っておくべきだと。

 まだ、快楽ともいえるような嗜好品を得たことのない報告者には、素直にうなずくことは出来なかった。

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